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塔の中から見た仏足跡 |
北京動物園の裏手にある五塔寺(真覚寺)は、石刻博物館としても知られ、北京中から集められた数千の石碑類が保管されている。ここにある石碑・記念碑は、取り壊しとなる場所、あるいは保護の必要な場所から、この15世紀建造の寺院構内へ運ばれてきたものである。
寺院自体、市内で最もすぐれた浮き彫りの実例でもある。屋根に5つの仏塔を頂くのは、釈尊が悟りを開いたインドのブッダガヤーの寺院に倣ったものである。外側はすばらしい仏教の象徴紋様を表す精美な石の彫刻で覆いつくされている。
最も驚くべき彫刻は、仏足跡のレリーフのなかの図柄である。仏足跡とは、信仰の対象が人間の姿をとった仏像形式で表される以前に、崇拝の対象となっていた初期の図像的表現である。
1985年、奈良薬師寺の松久保秀胤師を五塔寺に案内した際、私は秀胤師からBuddhapada(梵語で仏足跡の意)の象徴性について多くのことを学んだ。師はこれら仏足および仏教八宝の浮き彫りを目の当たりにして興奮した。
通常、このような象徴的宝物は、足そのものの上に置かれるのだが、ここでは足の周囲、唐草紋様の中に置かれていた。私は、仏足跡が秀胤師の専門研究分野であるとは知らずに、師にとってまさに最善の場所に案内したのであった!
私は、仏足石刻のある北京の別の寺についても読んでいたが、市の西部にあるその寺「宝禅寺」を実際に発見したのは10年後であった。14世紀創建の宝禅寺はほとんど無傷だったが、人々の住居として使用されていて、仏足の石碑はどこにも見当たらなかった。私は友人である石刻博物館文化遺産専門家の劉衛東氏に、保管場所を尋ねてみた。彼はすぐにある石板を出して見せてくれた。傷みが激しく碑文はほとんど判読できなかった。
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五塔寺の仏足跡 |
劉さんは、拓本を取ったらどうですか、と提案した。「例え読み取れなくても、歴史はこの石の中に書かれていますよ」と彼はつけ加えた。こうして劉さんと同僚の郭継華さんが、私に石の拓本の取り方を教えてくれた。「肝要なのは石が熱過ぎないことです。糊がうまくつきませんから」。彼が石板から紙を剥がすと、印跡は石刻よりはるかに判読しやすかった。
劉さんは「ほら、あなたの史記ですよ」と言いながら、石板から直接取った碑文と大きな仏足跡の拓本を私に渡してくれた。仏足の下部は、双魚、千輻輪などの仏教瑞祥紋様で覆われ、つま先は火炎と卍紋で飾られていた。仏足の上には仏陀と二体の菩薩、宝冠の上には2匹の竜が認められた。
この石碑は1592年、明の万暦年間に造られたものである。それは仏足跡の象徴主義がどのような経路で中国にもたらされたかを語っている。すなわち、唐の玄奘三蔵はインドに赴いた折、旅の道すがら仏陀を表象するものとして、仏足を見たと述べている。また、シルクロードからの旅人がもたらした同様の図像が長安に現れた、とも記述してある。図像の1つは北京にも向かった。石板から取った拓本は、このように仏足跡の歴史と、紋様の象徴性とを語っていた。私は、1組の仏足跡拓本を自宅に持ち帰り、幸せに浸った。(訳・小池晴子)
五洲伝播出版社の『古き北京との出会い』より
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