特別寄稿


77回目の訪中報告 「深刻 日本政府不信」

政治評論家 本澤二郎

主宰する日中平和交流21の北京訪問は、東工大の院生を盧溝橋の抗日戦争記念館に案内したりして無事、戦後60年の小さな活動に終止符を打つことが出来ました。それにしても13億人の中国の小泉不信は、72年の国交回復(田中内閣)のずっと以前の岸信介時代に逆転させており、無念のきわみです。

北京から国際政治を概観してますと、韓国、東南アジア、ロシアとの親密な関係を構築した中国は、ついでインド、西アジア、アフリカ、南米そしてEUとの友好協力関係を見事に確立しています。

私が北京に滞在中、中国の国家元首はイギリス、ドイツ、スペインなどを訪問、破格の歓迎を受けておりまして、それをテレビや新聞が連日、大きく報道していました。日本報道は皆無です。たまたま6カ国協議が北京で開かれていましたが、日本代表の姿は一番最後に登場するといった具合です。「靖国の小泉」に対応する報道ぶりです。

50代の夫人は高校生の息子から「日本の車は買うな」と釘を刺されていました。かつて北京市内の車は日本車が独占していましたが、いま片側3車線のアメリカのように広い道路で日本車を探すのは容易ではありません。このままの日本外交が続くとすると、日本企業は欧米企業に敗北するでしょう。経熱と浮かれていられなくなるでしょう。

北京市内の数多くのタクシーは韓国、ドイツの車に独占されてる始末です。いたるところ車の渋滞に泣かされてる北京ですが、それゆえに鉄道、地下鉄建設に力を入れてるものの、日本の誇る新幹線や地下鉄を導入しようにも、「靖国の日本製」に人民が抵抗して具体化しそうもないのです。

私の友人は、それでも善意の日本人のために友好活動に努力してくれていますが、親兄弟から「意味がないのではないか」といわれ衝撃を受けています。万一のことを考えて日本人観光客を友人の自宅に案内することを、ためらっているほどです。

しかし、だからといって日本人観光客が市民に嫌がらせを受けることなどはありません。現に案内した東工大の院生は「来年は友人を沢山集めるので、是非南京に連れて行って欲しい」とせがまれたほどです。日中平和交流21の後継者、民間大使の資格十分です。

北京―成田の往復を米国のノースウエスト機を利用しましたが、乗客は米国人、中国人が大半でした。万里の長城や故宮の観光客は、かつての日本人に取って代わって地方からの中国人、欧米人が主流でした。フランス人が目立ちました。

抗日戦争記念館には、正常化を断行した田中角栄さんと毛沢東の写真などと一緒に、胡錦濤主席と握手する小泉さんも飾られているのですが、関係者は「なぜ小泉の写真を飾るのか、と抗議されて困ってる」といっていました。

私たちが記念館を訪問した時、それこそ沢山の児童・生徒が見学に訪れていました。参考までに申しますと、こうした記念館は日本政治指導者の靖国参拝など侵略戦争を正当化する動きに驚愕した中国政府が、「二度と侵略を許さない」との立場から若者に歴史を学ばさせようと建設したもので、日本右翼のいう反日教育でありません。立場を代えれば理解できることです。広島・長崎と同様なのです。歴史を学ぶことは人間として当たり前のことなのです。

ご存知、2008年に北京オリンピックが開催されます。東京オリンピックがそうであったように、北京の道路、ビル、住宅などのインフラ整備は相変わらずす今もさまじい勢いです。人口も2000万人といわれ、東京が小さく見えます。

北京市の郊外には、200~300平方メートルの広い住宅・別荘が建設されています。ウサギ小屋といわれた日本など圧倒しています。79年から中国を見聞してきた私が空想さえ出来なかった中国です。

もちろん、急激な経済変化はさまざまな歪み、問題を提起します。日本軍国主義と権力闘争など2度の災難を経験してきた人民は、環境や貧困、腐敗といった重い課題と向き合っています。

一方、改革開放は徐々に民主化の流れを生み出しています。中国の経済発展は日本や欧米企業に莫大な利益をも与えています。

中国外交を熟知してる肖向前さんは「小泉がどうもがこうがアジアは、中国、ASEAN,インド、韓国を含め21世紀をリードするだろう。日本も指導国としてアジアに入るしかない。アメリカは先が見えている。誰しもが容認してることではないか」と今回の自宅訪問でも語ってくれました。

大平正芳・宇都宮徳馬・藤山愛一郎・松村健三、高崎達之助ら各氏と交流した中国外交官の大御所の一言は、もって銘すべしではないでしょうか。( 2005年11月17日記)