ラジオ体操が始まり

趙新さん(右)は同僚の高陽さんと毎週、首都体育館に行き、一時間、バスケットボールに汗を流す

   23歳の趙新さんは、北京・翠宮ホテルのフロントで仕事をしている。毎週木曜日の夜、仕事を終えると、彼はいつも定刻に、北京首都体育館のバスケットボール場に姿を現す。この時間は、翠宮ホテルのバスケットボールの愛好者がプレーするよう決まっているのだ。

   趙さんによると、彼のホテルは、勤務時間外の職員のスポーツ活動を大変重視しているという。毎年、運動会を挙行し、普段はテニス、バドミントン、卓球、バスケットボールの試合やボウリング、水泳などさまざまな活動を行っている。

   自分の勤務先が、勤務時間外にさまざまなスポーツ活動を行っていることに、若い趙さんは非常に満足しているし、またそれは当然のことだと思っている。「私たちのホテルは、若い人が多い。仕事が終わってからみんないっしょに球技をしたり、ボウリングや水泳をしたりするのは特に良いと思う」と趙さんは言っている。

集団で障害物を克服する訓練は、若者たちの意志を鍛え、団体精神を強めるいま流行の体育の種目である(写真・張建生)

   職場がスポーツ活動を組織するのは、中国の伝統である。国民の体質を向上させることを目的に、1951年、新中国は最初のラジオ体操を公布し、政府が先頭に立って「みんな来て、ラジオ体操をしよう」という呼びかけを出した。中央人民放送局は毎日、決まった時間にラジオ体操の番組を放送した。

   毎日、スピーカーから音楽が流れると、それに合わせて全国で、数千、数百万という人々が、一斉に体操をしていると考えると、それはまさに壮観である。また1954年には、政府は、毎日午前10時と午後3時に10分間の職場体操をするよう定め、人々に体操と一部の球技のスポーツを行うよう提唱した。

   しかし、その後数十年間は、中国人の生活の中で、スポーツ活動はずっと簡単なものだった。当時は、人々の仕事と生活が勤務先の職場と密接に結びついていたため、スポーツ活動もすべて職場が組織した。

さまざまな職業の若者や中年の人たちが、北京の「舞燃情」競技ダンスクラブで、競技ダンスを学んでいる。

   卓球、バドミントン、バスケットボールなど、施設が簡単につくることのできるスポーツが割合、普及した。運動場につくられた木製のバスケットのゴールスタンドやレンガを積み重ねてつくられたコンクリート製の卓球台は、どこでにもあった。

   だが、1980年代以後、中国人の物質生活の水準は次第に高くなり、人々は自分の好みに応じて主体的にスポーツ活動に参加するようになった。そして条件さえ許せば、職場以外の正規の運動場や体育館で、身体を鍛えるようになっていった。

   1990年に、北京でアジア大会が挙行され、中国人のスポーツに関する意識が高まった。しかし90年代初期は、都市に元からある運動場や体育館では人々の需要を満たすことができなかった。そこで当時の政府は、各大学や機関、大企業に対し、自分の持っている運動場や体育館をすべて、社会に開放するよう要求した。

一部の社区では、簡便なスポーツ運動器具を設置し、社区の住民に無料で使用させている

   1995年、政府は全面的に国民の体質と健康の水準を高めることを目的とした「全国民健康計画」を打ち出した。またこの年、『中華人民共和国体育法』が制定され、「スポーツを発展させ、人民の体質を増強する」ことを国家の意志として確定した。

   現在、趙さんのホテルのように、職場が金を出して職員を組織し、体育館で身体を鍛えさせる職場は非常に多い。国有企業だけでなく、多くの私営企業や外資系企業も、こうした活動を十分、重視している。

いまや生活の一部に

若い人たちは、マウンテンバイクに乗って、郊外に行き、キャンプする

   趙さんにとって職場のスポーツ活動は、彼のスポーツ活動の一部に過ぎない。彼は木曜日以外、毎週1日か2日は友だちと、付近の学校のバスケット場でプレーする。

   週末はテニスをする。お爺さんの家を訪ね、お爺さんや叔父、兄弟たちとテニスのボールを打つ。これが趙さん一家の最大の楽しみなのだ。

   自分自身の健康と生活の中身を重視するようになったので、スポーツは多くの人にとって生活の一部になってきた。以前は完全に職場に依存していたスポーツが、人々が暮らす「社区」(コミュニティー)に浸透し始めた。

スポーツ用品店では、あまり高くないスケート靴などの商品を前面に並べて売っている

   趙さんのお爺さんの趙松海さんは今年、80歳になる。北京・昌平区の華竜苑南里社区に住んでいるが、多くのお年寄りと同様に退職後、身体を鍛錬することを自分の主な仕事としている。若いころ、バスケットボールや卓球をしたことはあるが、それは遊びに過ぎなかった。

   退職後、彼はテニスを学び始めた。テニスはできるようになったが、周囲には、テニスのできる人は非常に少ないことに彼は気づいた。

   テニスというスポーツは、中国ではまだ普及していない。そこで彼は、どこでテニスをするときでも、テニスを学びたいと思っている周囲の人に、自分の習得した技術を進んで教えた。こうしてだんだんと趙のお爺さんは、無料で教えるアマチュアのテニスコーチになった。

   いまや華竜苑南里社区で、趙のお爺さんを知らない人はいない。もともとこの社区には、テニスのできる人はほとんどいなかったが、今は200人近くがテニスの愛好者である。彼らのほとんどは、趙のお爺さんの教え子だ。

今年80歳になる趙松梅さんは、65歳でテニスを習い始め、70歳でテニスのコーチを始めた。今は社区のテニスコーチを担当している

   彼が提唱して、社区にはテニスクラブができた。そしていつも、周辺の社区のテニスチームと約束し、週末には、みんなで金を出し合ってテニスコートを借り、試合をする。

   こうした社区同士の自発的なスポーツの試合は、現在では珍しいことではない。北京の回竜観社区では、インターネットを通じて社区内のサッカーの愛好者が連絡をとり合い、いくつかのサッカーチームを組織し、社区内でリーグ戦を行った。リーグ戦は「回竜観スーパーリーグ」という名が付けられた。

   近年、新しく建てられた住宅区にはどこも、テニスコートやバドミントンコート、プールなど、もっと正式な保健施設がつくられている。住宅の開発業者の目からみれば、こうした保健施設は現在、大変重要なセールスポイントである。趙さんのお爺さんも、この社区の中にテニスコートがあるのが気に入って住宅を買ったのだった。

「見る」から「する」へ

一部の家庭は、専門の水泳コーチを招いて、定期的に子どもに水泳を習わせている

  社区の外では、人々の選択の幅はさらに広く、多彩になっている。新興のスポーツがますます多くなってきた。例えば、ロッククライミング、バンジージャンプ、ボウリング、スケートボード、ダンススポーツ、女子のフェンシング、ヨガ、テコンドー、ゴルフなど、どれも中国人に受け入れられ、好かれている。

  劉梅さんは大学卒業後、ずっと出版社で編集の仕事をしている。だが、オフィスに3年も座っているのに、彼女の身体も心も、学生時代とまったく変わらない。

  その原因は、簡単だ。彼女はずっと、勤めが終わった後、身体を鍛えているからだ。ただ、鍛錬の仕方が他の人とちょっと違うのは、彼女がダンススポーツを選んだことだ。

  海淀区文化館の4階に、「舞燃情」という名の競技ダンスのクラブがあり、劉さんはここで学んでいる。クラブの先生は、北京舞踏学院の若い教師である鄒陽さんと石琳さんだ。

  この2人の先生によると、ここに来て学ぶ人たちの職業はさまざまで、若い人が多いという。勤務が終わったあと競技ダンスを選んだ主な理由は、この種の踊りが好きだからだそうだ。

ビリヤードは、中国全土に普及している。都市でも農村でも、いたるところで、ビリヤードに興ずる光景が見られる

  この踊りを踊るために必要な身体能力は、球技や水泳に必要な身体能力とまったく遜色がない。そのうえ、自分自身に対する自信を高め、健康で美しい姿態をつくるのを助ける。劉さんは「身体を鍛え、体形を良くするばかりか、好きなダンスを学ぶことができる。これこそ一石二鳥です」と言っている。

   競技ダンスと同じように、ローラースケートや自転車のアクロバット競技、ハンググライダーやパラグライダー、馬術などの多くのスポーツは、以前はテレビで見るものだったが、今は中国人の生活の中に続々と登場している。

   こうしたスポーツは、鍛錬を通じて自分の最良の健康状態に到達させることができる。身体能力の質が「最良」になるだけではなく、心理的、精神的に「最良」になるのである。

 これらのスポーツは、現代社会に生きる人々の新たな需要から出現した。仕事や生活のさまざまな重圧に直面したとき、スポーツは、体質を強めるだけでなく、圧力を減らし、精神をリラックスさせ、愉快な気分にする作用があり、ますます多くの人々から愛されるようになっている。

5番目の生活の要素

退勤後、あるいは休みの時間に、北京首都体育館には若い人たちがやってきてスポーツをする。いっしょに連れ立ってここに来て、自分の好きなスポーツを選んで身体を鍛えるのが、一種の流行のシンボルになっている

   中年の域に達した呉建林さんと黄麗さんの夫婦は、同じ研究所で仕事をしている。息子はすでに大学に進学し、夫婦とも、ウイークデーはそれぞれ忙しく、暇なときはほとんどない。連休の日がくると、いつも彼らは最初の休日は身体を鍛え、2日目は家事をすることにしている。だが、夫婦で身体を鍛えるやり方は、それぞれ違っている。

   呉さんはバドミントンが好きだ。彼は3人の友だちとダブルスを組み、体育館で懸命に戦う。呉さんは「我々4人は、毎回、約束する必要がありません。出張さえなければ、必ずやって来なければなりません。そうしないと、残りの3人はバドミントンをすることができないからです」と言う。

   しかし、黄さんの鍛錬は、「わが道を行く」やり方だ。彼女は水泳が好きだが、毎回、1人で泳ぎに行く。「私は自分自身の基準を作り、毎回、水に入ると千メートル泳ぐ。それを超えれば帰ってきます」と黄さんは言う。黄さんは、水泳は個人のスポーツで、連れがいるとかえって互いに影響してしまうと感じている。

   夫婦がいっしょには身体の鍛錬をしないのはなぜか。黄さんは「人それぞれに好みがあります。私は水の中で自分がのびのびすると感じ、それが好きです。球を追って汗だくになるのは好きでありません。だから私たちは、異なるやり方で生活しているのです」と言っている。

各種のスポーツ用品専門店は、商売が繁盛している

  スポーツは、日常生活の必要な消費となったので、新たに発展する市場を生み出した。

   1980年代以前のデパートでは、スポーツ用品は一般に、1つか2つの売り場でこと足りた。当時、北京で専門にスポーツ用品を売る大きな店は、1軒しかなかった。今はスポーツ用品の専門店が市内のどこにもあるばかりでなく、どのデパートやスーパーにも、1階すべてを使ってスポーツ用品が売られている。

   今日のスポーツ用品の市場は、現在流行しているスポーツの動きを正確に反映している。2年前には、スケートボードやローラースケートが爆発的に売れたが、そのときは体育館の中ばかりか社区の並木道でも多くの青少年が生き生きと滑る姿が見られた。

   今年は中国のテニス選手が世界選手権大会で好成績を上げたので、スポーツ用品売り場では、テニスのラケットやウェアーがものすごく売れている。




  ▽ 現在、中国で、いつもスポーツ活動に参加する人の数は、7歳から70歳までの人口総数の33.93%に達する。これは発展途上国の中では、上位を占めている。近年、スポーツを行う人数は毎年約2%の割合で増加している。

  ▽ 1949年の新中国建国当初、中国人の平均寿命はわずか35歳だった。現在、中国国民の平均の推定寿命は、71.8歳に達した。

  ▽ 近年、中国のスポーツ市場の売上げは、毎年、50%を超す速さで成長してきた。2005年には500億ドルに達する見込みだ。巨大な市場は、広東、福建と長江デルタ地区の三大スポーツ用品生産基地を生み出し、1万を超すスポーツ用品企業ができた。

  ▽ 一部の運動場や体育館の使用料金

    卓球、バドミントン:1時間30〜40元
    テニス:屋外 1時間40〜50元;屋内 1時間150〜300元
    バスケットボール:1時間200元
    水泳:1回15〜30元(時間制限なし)
    アイススケート:1時間30〜40元

「利生体育用品商廈」は、北京で最大のスポーツ用品専門店である


 
本社:中国北京西城区車公荘大街3号
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