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人々が自分の健康を重視するようになったのにつれ、多くの健康施設が設立されている。写真は、市の東南部にある大型の体育健康センター「頤方園」の球技館 |
北京にはたくさんの体育センターがある。その中で最も大きいのは、オリンピック体育センターだろう。これは、1990年代初めに北京で開かれたアジア大会のために建設されたもので、その後、国家クラスの体育センターとなった。この体育センターはとても大きく、主要グラウンド、陸上競技場、水泳館、総合体育館からなっていて、各種の主要なスポーツの試合を行うことができる。
オリンピック体育センターと関連した施設としては、通りを隔てたところに亜運村(アジア大会の選手村)の建築群がある。五洲大酒店(ホテル)、北京国際会議センターなどの建築物と、スポーツ選手の高層住宅ビルから構成されていて、アジア大会の時には、オリンピック体育センターと合わせて、「亜運村」と称された。
今ではすでに、周辺7、8平方キロの範囲にまで広がっているが、東北部は、2008年オリンピックで必要な大型スポーツ施設の用地として残されている。現在、国家体育館や国家水泳館など、オリンピックの主要競技場は、すでに建設が始まっている。
オリンピック体育センターは北四環路に位置する。建設当時、そこは見渡す限りの荒地だった。ここは、天壇から故宮を経て北に向かう、北京市の中軸線の延長地帯である。北京市の都市計画は、まるで交響曲のようで、亜運村の建築群は、南北の中軸線上の、北へ向かうクライマックスおよび最終楽章といえる。
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46年の歴史がある北京工人体育場は、今でも北京において大きなスポーツ大会が開催される場所だ。今年の夏、スペインのサッカーチーム「レアルマドリード」と、中国の「北京現代」の試合が行われた(写真・馮進) |
建築美学の観点から見れば、亜運村の建築は、さまざまな要素を組み合わせる形式をとっており、広大で勢いがある。さらに北へ向かったところには、名人広場や陽光広場、炎黄芸術館、遠大ビルからなる現代的な建築群がある。
陽光広場は、4棟のオフィス・住宅ビルによって山に囲まれるような様相を呈している。四方向にある主要ビルの高さは100メートル、壁の色は北京の建築では珍しい赤褐色なので、人目を引く。
名人広場の主要ビルの高さは152メートルで、名人大酒店(ホテル)、名人公寓(マンション)とともに名人広場を構成している。そして、向かいにある褐色の屋根の炎黄芸術館や遠大ビルと一緒になって、この一帯の美しく、壮大で華麗な建築風格を形成している。一般的に、ここは北四環路の主要な建築群であり、楽章が終わるときの高らかな響きの部分だといえる。
単独の建築物で最も大きいのは、北京工人体育場だ。そのスタンドには、10万人以上の観客の収容が可能。西側には工人体育館があるので、屋内外の各種スポーツが行える。
体育館の前の空き地は、中高年の社交ダンス場になっている。また、館内には「富国海底世界」という海洋生物の博物館が開設されていて、白いサメをはじめ、さまざまな海洋生物が気ままに遊んでいる。これは、体育館が多種経営を行い、場所を貸し出している結果であろう。
北京には他にも、首都体育館、大学生体育館、北京体育館など主要な体育館があり、これらは、大型の公演が催されることで知られている。
競技スポーツは今、ますますプロ化され、商業的になった。そこで、北京などの大都市では、「全民健身計画」(人民全体が心身を鍛える活動)を実施し始めている。この方面において、日本はとても優れていると言えよう。日本人が世界の大きなスポーツ大会で獲得した金メダルは、あまり多くはないが、国民全体が心身を鍛える気運があり、各コミュニティーにスポーツ組織がある。
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市の中心部に位置する東単体育センター |
この20年来、国家の強力な支持のもと、中国のスポーツ選手は多くの栄光を勝ち取り、手柄を立てた。しかし、スポーツの中にビジネスの要素が日増しに入り込んでいる現在、スポーツ大会の目標と本質は、オリンピックの精神から離れつつある。スポーツの産業化には、ビジネスの腐敗とドーピングがついてまわるようになってしまったのだ。したがって、体育センターの大衆化が、大きな流れとなっている。
市の中心部にある東単体育センターと、北京最大の住宅区の方荘にある方荘体育センターは、大衆的な施設で、毎日人々はここで運動している。それは、競技に参加するためではなく、体を鍛えるためである。
ある民族の体格というのは、個々のスポーツ選手だけではなく、国民全体の身体に及ぶ。都市の人々の多くは、すでにこのことを意識している。また、「亜健康」(長期的な健康と病気の中間の状態)を防ぐため、一生懸命体育センターへ行くようになったのだ。
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