【あの人 あの頃 あの話】K
北京放送元副編集長 李順然
お兄ちゃんの居眠り

北京の中心部にある民航ビル

 年末、年始が近づくと、ある風景が頭に浮かぶ。

 20世紀も終わろうとしていた2000年12月30日のことだ。私は、北京・西単の民航ビルの前から、空港行きのシャトルバスに乗って、日本から来る友人を迎えに北京首都空港に行った。

 このシャトルバス、料金が安い上に、時間通りに空港に着くので、よく利用している。最近は、外国人の客も見かけるようになったが、どうしたことか、日本人は少ない。

 民航ビルに早目に着いたので、バスにはまだ何人も乗っていなかった。私は後ろの方の、窓際の席に座る。車外に目を向けると、そわそわと時計を見たり、周囲を見たり、不安げな表情の日本人らしい青年の姿があった。誰かを待っているらしい。

 5、6分もしただろうか、青年の前にリュックを背に、バッグを手にしたおじさんが、おばさんの手を引いてやってきた。青年の顔に安堵の微笑みが浮かぶ。青年は、おじさん、おばさんを、バスの私の席の後ろに座らせた。

 「お兄ちゃん、だいぶ待ったんだろう」。ちょっと地方のなまりのある日本語でおばさんがこう言う。青年は「いや、来たばかりだよ。ちょうどよかった、母さん」と、さっきの不安げな表情とは打って変わった明るい声で答えて、またそそくさと車外に出て行った。

盧溝橋の欄干に彫られている石の獅子を見る観光客

 車外に出た青年の表情は、ふたたび不安げなものとなる。キョロキョロとあたりを見まわしているところに、こんどはリュックを背にした女の子が2人、かけ足でやってきた。青年は、この2人をも私の席の後ろに座らせ、「よかったなあ。みんな間にあって。ヒヤヒヤしたよ」と笑い声で言った。

 姉妹らしい2人は、「お兄ちゃん、ごめん、ごめん。焼きイモ買ったりしていたら、遅くなっちゃった。ほら、お兄ちゃん、食べて! まだ熱いよ」と焼きイモを青年に差しだした。

 どうやら、歳末の中国の旅を終えた日本人一家のようだ。私は、バスの後ろの席から聞こえてくるこの一家の明るい会話に、知らず知らず引き込まれ、空港までの1時間ほど目をつぶって楽しんでしまった。

 家で留守番をしているおじいさん、おばあさんにも、1人1人が思い思いのおみやげを買ったらしい。それを披露しあっていた。いつしか「お兄ちゃん」の声が聞こえなくなる。「お兄ちゃん」は窓際の席でコックリ、コックリ居眠りを始めていた。

 一家団欒の旅、実によい歳末風景だった。心暖まる素晴らしい映画を観ているような1時間だった。「お兄ちゃん」はさしづめ、このミニ「訪中団」の団長兼秘書長、私はあの日の「お兄ちゃん」の顔が、姿が、声が、いまも忘れられない。

 私は、新しい年には、新しい世紀には、もっと多くの一家団欒の旅が、地球の東西南北で楽しまれることを心から願った。それには、まず戦争がなくなり、地球が平和でなければと思った。

 空港からの帰りもシャトルバスを利用する。フランス人だろうか、フランス語を話す若い2人が肩を寄せあって、窓の外に広がる北京の夕景色を楽しんでいた。西の空には、流れる雲が夕陽に輝いて美しかった。



 
本社:中国北京西城区車公荘大街3号
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