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乾隆帝の御筆、御印 |
雨乞いはすべての皇帝にとって公務の1つであった。干ばつに際して、しばしば高貴の人々が画眉山(海淀区温泉郷に位置する・編集部注)上の貴重な泉近くにある「竜王廟」を訪れた。15世紀末建造のこの廟は、竜王の霊と黒竜潭および3つの井戸の水に捧げられ、数世紀にわたって皇室の庇護を受けた。
現在も皇帝御幸を記念する石碑が4つ置かれている。私が最も心を動かされるのは、1798年、88歳の高齢にあった乾隆帝が訪れたときの石碑である。なぜならその碑文には、皇室とその責務に対する乾隆帝個人の見識が示されているからである。
その時の竜王廟御幸に、乾隆帝は新皇帝となった息子の嘉慶帝を同行させ、この地で雨乞いすることの重要性を教えた。自らの幼少時代を振りかえり、この地に来て雨乞いすることは国家安泰のためであると説いたのである。
帝はまた、若き皇帝時代、頂上の竜王祈雨殿に至る3つの石段を颯爽と登ったことを回顧していた。しかし今回は高齢のため輿に乗って登らねばならなかった。「齢90に近く身体は衰えたが、私はここを訪れねばならぬ」。その年すでに2回の降雨があったので、乾隆帝は来る必要はないと考えていた。石碑には、降雨量は2回とも6寸に達したと記されている。しかし、旧暦2月15日以降、長く日照りが続き、竜王に助力を請う必要が出てきた。
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黒竜潭 |
「時は立夏近く、農民は雨を待ち望んでいる」と乾隆帝は書いている。このように帝は、この廟へ来て祈願することの重要性を教えようと新皇帝を伴ったのである。「私は息子に告げた、『農民を大切にせよ』と」と彼の言葉にある。
さらに乾隆帝は、「頂上の廟で私は平伏して祈り、竜神へ敬意を表した」とも述べている。皇室の碑文にこのような個人的言辞が並ぶのは稀である。碑文の最後に署名と、「太上皇帝」の印璽がある。
乾隆帝は気難しい竜王への処し方を心得ていた。彼は竜王を東北に追放すると恫喝し、追放に先立ちその地位を剥奪した。果たしてついに雨が降りだしたのである。乾隆帝は竜王に高位を授け、その廟に黄色の屋根瓦の使用を許した。こうして乾隆帝、竜王双方が面子を保ったのである。
私は17年間に3回、この廟を訪れたが、いつも非公開で他に訪れる人も無かった。門番を説得して入れてもらうのに毎回苦労した。中に入ると3つの階段を登って、黒竜潭を見下ろすことはできたが、竜王祈雨殿は重い錠で閉ざされていた。どうやら今では、ここ数年の日照り続きに際しても、水神にはあまり敬意が払われることはないらしい。(訳・小池晴子)
五洲伝播出版社の『古き北京との出会い』より
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