深遠な国茶の世界K
棚橋篁峰
 
 
七泡シテ余香有リ
烏竜茶D

 
南岩村の南陽石

  鉄観音のもう1つの伝説「西坪鎮南岩村の鉄観音の由来」を紹介しましょう。

  南岩村に、暁陽郷の役人で王士譲という人物がいました。号は「南陽」字は「尚卿」といいます。資料によれば、王士譲は、清代雍正10年(1732)に科挙の試験に合格して副貢(朝廷に貢品を出す官職)となり、乾隆10年(1745)には湖北省蹇州の通判(州の政治を監督する官職)を歴任しています。

  若い時、在住した南山の麓に1軒の書斎を建てて「南軒」と名付けました。乾隆元年(1736)、王士譲は「南軒」に在住して、よく書斎に友人達を集めました。彼は、いつも黄昏時に「南軒」の周辺を散歩しました。ある日、荒れ野の中に1株の茶樹を偶然発見します。そして、その茶樹は他の茶樹と違っていたので、細心の注意を払って書斎の花園に移植したのです。

  「南陽石」のもとに植え、朝な夕なに心を込めて育てました。すると茶樹は成長し、茶葉も盛んに繁るようになったのです。葉は丸く芯は紅色で、葉の周辺はノコギリの歯のようになり、黒く清らかな光を放つようになりました。2年目に摘んだ茶葉で製茶すると、姿は潤いのある色合いでふっくらとしており、素晴らしい香りがしました。飲んでみると更に香りは深く、味はまろやかであり、体内に染みわたるようであったのです。

  乾隆六年(1741)、王士譲は皇帝に召されて北京に赴いた時、このお茶を携えて北京に行き、礼部侍郎に贈呈しました。役人はこれを飲むと、素晴らしい味だったので、口を極めて賞賛し、皇帝に献上しました。

 乾隆帝はこれを飲んで、その甘さと美味しさに、非常に喜びました。王士譲は接見を許され、暁陽郷の製茶の歴史について詳細にご下問がありました。王士譲は「このお茶は観音石のもとで見つかったもので、茶葉は烏の濡れ羽色のように美しく、大変重くて鉄のようで、姿が観音様のようであります」と答えました。これを聞いた乾隆帝は「茶名を鉄観音にせよ」と下命したのです。これによって「鉄観音」の名前が生まれたと伝えられています。

 鉄観音は「茶中の王」「緑葉紅ジョウノ辺、七泡シテ余香有リ」(緑の葉に赤い縁で、7回淹れても香りが残る)と言われ、香りは独特の蘭の香りがあります。ビタミン、フラボノイド、カテキン等が豊富に含まれ、血管と目を清め、動脈硬化を防止し、脂肪を減少させる効果があると言われています。

【ワンポイント・メモ】

 鉄観音は春茶、夏茶、秋茶それぞれ独特の良さがあり、製茶される村や農家によっても味や香りが違います。違いが分かってくると本当の鉄観音の素晴らしさがわかると思います。

棚橋篁峰 中国茶文化国際検定協会会長日中友好漢詩協会理事長、中国西北大学名誉教授。漢詩の創作、普及、日中交流に精力的な活動を続ける。

 

 

 

 
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