[特別寄稿]

  チベット自治区成立40年
現代と伝統が交わる
「世界の屋根」の人々の暮らし
北京東方之星綜合企劃代表  李建華=文・写真  

 「地球の第3極」とも「世界の屋根」ともいわれるチベット高原。

 まぶしく降り注ぐ陽光、銀色に輝く氷雪の山々、白雲のたなびく青空、ヤクや羊が群れを成す広々とした草原、紺碧の水をたたえた湖、滔々と流れる大河、息を呑む険しい峡谷、青々と生い茂る原始林、そして聖なるポタラ宮、ジョカン寺をはじめとするチベット仏教の寺院……。その雄大さに人々は圧倒される。

 そのチベットは今年、自治区成立40周年を迎えた。この40年来、とくに「西部大開発戦略」が打ち出されてから目覚しい発展を見せ、経済・インフラ整備・交通・教育などの面で著しい変貌を遂げている。

パルンツァンポの源である来古氷河
 
ツァカロからマルカムへの途中に広がる田園風景
 
ラウォ湖の朝
 
怒江山72のヘアピンカーブ(写真・周壮)

近くなったチベット

青海省玉樹から五体投地でラサに向かうチベット族の一家(タンメで)

 魅力的な秘境・チベットだが、交通の便が悪く、海抜が高いので空気が薄いと敬遠されがちだ。しかし、雄大な大自然や独特な文化は、人をひき付けてやまない。陸路でチベット入りしようと、今年9月20日、雲南省をジープで出発した。

 シャングリラから梅里雪山を経てチベット入りし、それからツァカロ(塩井)、マルカム(芒康)、ポムダ(邦達)、ゾゴン(左貢)、パシュ(八宿)、ラウォ(然烏)、ポメ(波密)、タンメ(通麦)、ニンティ(林芝)、コンボ・ギャムダ(工布江達)を経由し、ラサまでの1800キロを13日間で走破した。

子連れで、五体投地をくり返しながらチャムドからラサに向かうチベット族夫婦。その笑顔は明るく美しかった(パシュで)

 途中、金沙江、瀾滄江、怒江、イオン・ツァンポ(易貢蔵布)を渡り、川蔵公路(四川省成都―ラサ)の最高地点のドゥンダ・ラ(東達山5、008メートル)や「怒江山72のヘアピンカーブ」の難所、さらに「タンメ天険」を越え、希薄な酸素に苦しめられながら、チベット仏教と民族文化の雰囲気を満喫した。

 宿泊や食事の不自由を予想して北京から持っていった寝袋は、とうとう使わずじまいだった。インスタント食品などもほとんど用をなさなかった。行く先々に、ぜいたくさえ言わなければ宿泊施設がそろっていて、スーパーも生活用品と食品が棚に並べてあった。

ドゥンダ・ラを越えた筆者の一行(左端が筆者)
広州からラサを目指すサイクリングの若者(コンボ・ギャムダで)

 レストランは、小さな町でも道端に何軒も並んでいて、主に四川料理だが、けっこう美味しいものが食べられた。マルカムで食べた「瀾滄江魚」、ポムダで食べた「ポムダ魚」の美味は忘れられない。

 GPS(全地球測位システム)まで用意したが、無用だった。通信状況はほぼ問題なく、意外に思われるほど順調だった。携帯電話は、郷や鎮に着くなり、信号が入った。街角で電話ボックスや「インターネット・カフェ」をよく見かけたし、ラマ僧まで携帯電話を使って話していた。

 近年、チベット自治区では、中国電信(チャイナ・テレコム)、移動通信(チャイナ・モバイル)、中国聯通(チャイナ・ユニコム)などの通信会社が次々に進出し、固定電話、移動電話、無線コール、163インターネットなど、さまざまな業務を展開しているという。IT、インターネットなどの現代技術の目覚しい発展は、世界と「第3極」のチベットとの距離を大いに縮めた。

活気あふれるポメの県城

 全行程の中でなにより感激したのは、よくもこんな高山峡谷にまで道路をつくったものだ、ということである。昨年、グゲ王国遺跡を見るためツォンダへ行く途中に通った峻険な山道、そして今回の旅で、下を見れば目がくらむ「タンメ天険」の道路など、これを修築するのに解放軍兵士や労働者たちがいかに危険で困難な事業に挑んだかが偲ばれた。

 道端に「豊かな暮らしは道路造りから」というスローガンがあった。埃にまみれ、真っ黒に日焼けした労働者たちが、今も道路整備にはげんでいる。

デプン寺ではラマ僧が携帯電話を使っていた(写真・李叡)

 2004年までに、自治区全域で開通した道路は4万3500キロに達し、92%の郷鎮と73%の村に道路が整備された。青蔵道路(青海省西寧市―ラサ)、川蔵道路、新蔵道路(新疆ウイグル自治区葉城県―アリ地区獅泉河鎮)、テン蔵道路(雲南省下関市―マルカム県)、中国ネパール国際道路(ラサ―シガツェ地区ダム通商地)など主な幹線を中心に、自動車道路網が形成された。

日多郷中心小学校の先生と子供たち(メルド・グンカル)

 ラサ空港に向かう道路がりっぱに整備されたのにも驚いた。ガラ(カツ拉)山のトンネルと、ヤルツァンポとラサ川に跨がる2つの橋が完成したおかげで、距離が34キロも短縮され、高速道路並みの舗装道路は、実に心地よかった。

 自動車道路だけではなく、鉄道建設も着々と進みつつある。総投資額が330億元にのぼる青海―チベット鉄道の建設は、2001年6月からスタートし、いまはレールの敷設がすでに全線で終わった。2006年7月に試運転を始め、2007年7月に本格営業運転が予定されている。そうなると、全国で唯一、鉄道がなかったチベット自治区に、初めての鉄道が走り、全国が鉄路で結ばれる。

活気溢れるラサ

五体投地する人(バルコルで。写真・李叡)

 ラサにたどり着いたとき、ちょうど国慶節だった。チベット自治区成立40周年と国慶節という「双喜臨門」(二重の慶事)を迎えたラサは、碧空に五星紅旗が微風にはためき、新しく整備された芝生が絨毯のように敷き詰められ、ポタラ宮広場はお祭り一色だった。

 チベットの区都ラサは「聖地」「神の地」という意味を持つ。1300年の歴史を有する高原古城であり、チベットの政治・経済・文化の中心、チベット仏教の聖地でもある。

 太陽の恵みを受けるこの地は、年間の日照時間が3000時間以上にも達し、日差しがとくに強いことから、「日光城」(陽光の都市)と呼ばれる。人口は40万、そのうちチベット族が87%を占めている。

ジョカン寺前はチベット仏教の信者でいっぱい

 ジョカン寺の巡礼路であるバルコルでは、香草の煙にかすむ中、信者たちが全身を投げ出して「五体投地」を繰り返す風景が見られる。マニ車を手で回しながら歩く信者、道路の両側にずらりと並ぶ商店や露店、溢れんばかりにならんでいる日用雑貨、骨董品、アクセサリー、仏像、仏具、タンカ、タルチョなどの仏教用品、お土産を買う観光客と商売人のやりとり……。すべてが活気に溢れ、生き生きとした生活臭がここに凝縮されている。その雑踏は、北宋(960〜1126年)に描かれた『清明上河図』を連想させる。ラサは、古い文化と現代文明が巧みに融け合っている。

 「雪山昇起紅太陽、拉薩城内閃金光、……電杆路傍行対行、納金日夜発電忙、機器響来家家亮、拉薩日夜放光芒」(雪山に昇る赤い太陽、ラサ城を金色に輝かす。……路傍に電柱が連なり、納金発電所は日夜、発電に忙しい。タービンが鳴り響けば家々に明かりがつき、ラサは夜も昼も光芒を放つ)

パロンツァンポとイオンツァンポの合流地点に架かる吊り橋(タンメで)

 これは60年代に流行った『ラサの街をぶらぶら歩く』という歌の1節である。明るくて美しいメロディーだ。

 そのころに比べると、ラサはすでに天地を覆すほどの変化が生じている。経済発展や都市建設が著しく進むなか、政府は都市整備計画を制定し、インフラ整備、道路基盤整備、生態系建設を強化し、ゴミ処理場、汚水処理場を含む環境整備に力を入れている。同時に文化財の保護を重視し、終始「昔の姿のまま補修する」を心がけ、民族色・地方色豊かな地域づくりを目指している。

「最後の浄土」を守る

張万生さん

 旧友の張万生さんは、いま、中国人民政治協商会議チベット自治区委員会経済資源環境委員会主任を務めている。1992年に北京からチベットに移り、すでに13年の歳月が流れた。

 「単身赴任でラサに来た当時、生活環境と条件は、以前より大分良くなっていた。といっても、生活上の不便は多かった。野菜や果物などはなかなか入手できず、北京での休暇が終わると必ず野菜や果物を持って帰った。友人がラサに来るたびに、野菜や果物を持ってきてほしいと注文した。だがいまは、ラサでは生活にまったく不自由はない。4年前、有り難いことに細君も来てくれたし……」と張さんは言った。

 張さんの家の近くに、驚くほど広い自由市場がある。入ってみると、屋台が幾重にもずらりと並び、以前は貴重だった野菜や果物だけでなく、水産物、雑貨となんでも揃っている。野菜売りのお姉さんは、3年前に蘭州市からラサに来たと言い、いまはラサ周辺の郊外で、温室栽培の野菜を1年中、簡単に仕入れることができると言った。

再開したビーゲン家の人たちと
 
ポタラ宮広場の公園でくつろぐ家族連れ
バルコルは、観光客や信者で賑わっている
 
道を渡るチベット族の女性たち

 チベットが目に見えて変化し始めたのは、中央政府が1994年と2001年に、第3回と第4回のチベット活動会議を開催してからのことだという。1994年から2004年にかけて、中央政府によるチベットへの直接投資は504億元に達した。農業・牧畜業、交通・通信を含むインフラ整備、都市建設、教育、衛生事業などさまざまな分野に資金が投入され、とくにチベットは「最後の浄土」と言われているので、環境保護に力が入れられている。

 ラサの郊外で、ピクニックに来ていたチベット族の友人、ビーゲンさんの一家と再会した。

 ビーゲンさんとは、長野チョモラリトレックの旅で知りあったが、今、彼は米国に留学中で、彼の家族とバター茶を飲みながら、楽しいひと時を過した。

 ビーゲンさんの父は5年前、チベット司法庁を退職し、母も数年前、チベット登山協会を退職して、今は悠々自適の生活を送っている。チベットの人たちは、心根が優しい。厳しい環境にあるためだろうか、互いによく助け合う。

ポタラ宮の西側にある自由市場

 昨年、アリへの旅で、車が川にはまって立ち往生したとき、通りかかったチベット族のトラック運転手が、骨を刺す寒さの川に飛び込んで、助けてくれたことがある。

 チベットは大きく発展しているが、チベット族の人々は優しさを失ってはいない。チベットがいつまでも、優しさを保ち続けながら発展するよう、願わずにはいられなかった。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  * 

 チベット自治区

  チベットは1300年の歴史がある。唐宋時代には「吐蕃」と称し、清の康熙年間から現在に至るまで、チベット(西蔵)と呼ばれてきた。中国の南西国境地帯、青海・チベット高原の南西部にあり、北は新彊ウイグル自治区、青海省、東は四川省、南東は雲南省と接し、南と西はミャンマー、インド、ブータン、ネパールなどの国々と国境を接している。国境線は全長四千キロ近くもある。

  人口は現在約270万、そのうちチベット族は94.7%を占め、中国でもっとも人口密度の低い地域である。面積は122万平方キロで、全国の国土総面積の約8分の1を占める。省都のラサ市やシガツェ地区、チャムド地区、ナクチュ地区、アリ地区、ニンティ地区、山南地区からなる。

  チベットは高原の特殊気候帯に属し、気温の差が大きく、日照時間が長い。自治区全体は平均標高4000メートル以上で、冬の酸素含有量は70%、夏は80%以上に達している。1965年にチベット自治区が成立した。

 チベット自治区40年の歩み

ラサ市北京東路にあるスーパー

  1965年にチベット自治区が成立した当時、総生産額がわずか3億.2700万元だったことに対し、2004年は211億.5400万元に達し、63.7倍の成長を遂げた。2004年、チベットの一人当たりGDPは7779元に達し、1965年の33倍になった。1996年から2004年まで、チベットのGDPの年平均成長率は12%に達し、中国の同期の平均成長水準より高い。

  発電総量は11億.6500万キロワット時、1965年の2800万キロワット時から40倍になった。交通状況はラサを中心に青海―チベット道路、四川―チベット道路、新疆―チベット道路、雲南―チベット道路を基本とする自動車道路網を形成し、2004年までに総延長は4万3500キロに達し、1965年の2.9倍になった。現在全国で唯一、道路不通のペマ・コ(墨脱県)への道路修築計画も実行可能性の検討段階に入っているという。

  既設のラサのゴンカル空港とチャムドのポムダ空港に加えて、ニンティ空港がただいま建設中で、将来、アリ空港も建設する予定。

  通信事業はラサを中心とする通信ネットワークが形成され、衛星・光ケーブル・コンピューター制御交換機という新時代に入った。教育の面では、2004年まで各種学校が1010カ所あり、在校生が48万6400人、小学校の適齢児童入学率は94.7%に達している。

 チベット観光資源

ラウォ湖畔にあるチベット族の村

  チベットは特有の優れた自然と文化の観光資源を有し、主にラサ、チベット西部(アリ地区)、チベット南西部、チベット南部の4つの観光区からなる。

  ラサ観光区は、ポタラ宮、ジョカン寺、バルコル、ロブリンカ、「三大寺」(ガンデン寺、デプン寺、セラ寺)などの主な名所があるほか、ヤンパチェン(羊八井)、ギャンツェ(江孜)、ツェタン(沢当)、シガツェ(日喀則)、ヤムドク・ユムツォ(羊卓雍措)などからなる。

  チベット西部観光区はすなわち「世界の屋根の屋根」と呼ばれているアリ地区のことであり、宗教観光を特色とし、神山カン・リンポチェ(岡仁波斉)と聖湖マパム・ユムツォ(瑪傍雍措)、グゲ(古格)王国遺跡がメインである。

ラサのゴンカル空港

  チベット南西観光区は、登山観光を特色とし、主にチョモランマをはじめとする山岳景観に惹かれて観光者や登山者が訪れる。チベット南部観光区はニンティ(林芝)を中心とし、雪に覆われた山、滔々と流れる川、青々と生い茂る原生林、いっぱいに咲くツツジの花など、四季の美しい景色を見ることができる。

  チベットブームは近年、ますます高まっており、2004年に観光客数は初めて百万人を突破し、122万人になった。

 青海・チベット鉄道

  青海・チベット鉄道は西寧からラサまで全行程1956キロで、最高海抜は5072メートル。海抜4000メートル以上の区間が965キロ、永久凍土区間が550キロに及ぶ世界で類をみないほどの「最も高く、最も長い」高原鉄道である。

  第1期工事の西寧―ゴルムド間の814キロは1979年に完成した後、技術上の問題などから工事は中断されていたが、2001年6月から第2期工事が再開された。ゴルムドからラサまで総距離が1140キロあり、建設は6年間かかり、総投資額は330億元にのぼる。

  2005年10月15日にレールの敷設が全線完成した。2006年7月に、青海・チベット鉄道が全線で試運転段階に入り、正式な営業運転は2007年7月を予定。これによってチベットにおける鉄道がなかった歴史に終止符が打たれることになり、中国の鉄道建設史上、最後に残された空白が埋められることになる。



 
本社:中国北京西城区車公荘大街3号
人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。