特集3 見直されるリアリズム |
フランスの国際映画史の権威であるジョルジュ・サドゥールは、「ネオ・リアリズム映画の始まりは、1930年代の中国映画にある」と言った。無声映画からトーキーへの過渡期である34年、下層階級の娼婦の苦難な生活や母性愛を現した映画『女神(神女)』が、呉永剛監督によって製作された。
呉監督は、演劇性を追求するという中国映画の伝統から故意に離れ、外部との衝突を少なくして人物の心理描写に力を入れた。これは、「中国無声映画時代の最高峰」と称される不朽の名作だ。ドイツの表現主義やフランスのアバギャルド映画を生粋な東洋気質に結び付け、さらにクローズ・アップ技法を多く用いて、主人公を演じた女優・阮玲玉のまなざしや表情の変化などを絶妙に映し出した。
この作品が出たころはちょうど、「映画文化運動」が発生し、中国映画は庶民の運命や市井の生活に注目しようとしていた。沈西苓監督は、『上海24時間(上海24小時)』の中で、モンタージュの理論を用い、労働者がギュウギュウ詰めの宿舎と鳥かごのシーンを交互に表現することで、激しく対立する階級の矛盾に対する自分の考えを示した。第1世代の旗手・鄭正秋はこの作品を、「国際性を備えた国産映画」と称えた。 イタリアのネオ・リアリズム映画が、第2次世界大戦前後におけるイタリア民族の苦難の歴史と関係しているのなら、20世紀を通した中華民族の喜怒哀楽は、リアリズムの創立に、もっともよい社会的資源を提供したと言える。こうしたリアリズムの伝統は、新中国成立から「文革」までの期間、放棄されたこともあったが、改革開放時期に突入すると、直ちに中国の現実と結合し、復活を遂げた。
複雑な哲学の思考を表現することを得意とし、文化の啓蒙を使命とする第5世代の映画は、表現の面で中国映画を刷新することにすばらしい貢献をし、国際的な名声を勝ち取った。しかし一貫して、国内の観衆とは距離があった。 21世紀に入って、『始皇帝暗殺(荊軻刺秦王)』と『キリング・ミー・ソフトリー』という2つの作品が国際市場で失敗し、陳凱歌監督は新作『北京ヴァイオリン(和ニ在一起)』の中で、海外市場を狙いすぎたことを反省して、再び視点を庶民に向けた。これは、30年代のリアリズム精神が、第5世代監督に戻ってきた重要な証しであろう。
しかし、リアリズム精神の復活を真に示したのは、90年代初めの第4世代監督・謝飛の『黒い雪の年(本命年)』である。当時、第5世代監督たちは、まださまざまな実験映画の撮影に夢中だった。 第6世代監督は、第5世代監督のように初期は国家の資金を頼って大胆に実験し、その後は国際資本に頼って冒険を続けるということは不可能であり、しかも、彼らが登場した時期は、中国の改革が深まり、社会の矛盾が現れ始めた頃なので、彼らは自然と謝飛の精神を受け継ぐこととなった。 張元の『ママ(媽媽)』は、母親と知的障害児の物語で、中国初の本当の意味でのインディーズ映画である。15年後の今年、ベネチア映画祭の中で、中国映画百年の優秀作品上映リストに挙がった。
王小帥や婁曄、管虎、路学長などの監督は、身近な人の物語の描写を試み始めた。『一瞬の夢(小武)』で有名になった賈樟柯監督は、新作『世界』でアングラ状態にピリオドを打った。 これは、市井の人物を近距離で描写する30年代の伝統が、完全に復活したことを示している。彼は中国映画百年の名作について、「私は『田舎町の春(小城之春)』より『街角の天使(馬路天使)』を好む。なぜなら、そこには私たちが失った技術があり、世俗の関係と市井の生活を上手く描写しているからだ」と語っている。
90年代以降のデジタルの導入は、近距離で市井生活を眺める視点による技術的な支持をもたらした。フィルムが代表する映画の一元的な工業化生産の時代は終わりを告げる。「デジタルビデオを買えば、あなたも監督」という時代に入ったのである。第6世代の映画の表現は、よりいっそう洗練され、文学的な表現の束縛から抜け出した。これは、映画の表現が「口語化」し始めたと言っていいかもしれない。 2005年4月、中国中央テレビ局(CCTV)はある目立たないニュースを伝えた。広西チワン族自治区のチワン族の農家の女性が、自分でシナリオを作り、デジタルビデオを利用して、処女作を撮ったというのだ。20世紀の映画が「人民のための」ものだったのなら、21世紀の「人民の」「人民による」映画は、ここから誕生するのかもしれない。
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