北京電影学院に留学し、中国語と映画を学んでいた頃、『ドア』という20分の短編映画を製作した。「主人公はいつもドアの夢を見ている。しかし、そのドアは開けようとしても開かない。ある日、夢に出てくるドアを現実の世界で見つけた。そこでそのドアを開けようとするが・・・・・・」という作品だ。
これは、末永さんの人生に対する追求と探索を描いた作品といえるかもしれない。
子どもの頃から海外にあこがれ、外国人とのコミュニケーションに興味を持っていた彼女は、英語以外の言葉も身に付けようと、大学で中国語を学んだ。
卒業後、旅行会社に入社したものの、自分がやりたかったこととズレを感じるように。そこで少し立ち止まって考えてみようと、北京電影学院に留学する。この留学生活の中で、自分は映画や音楽など「エンタメが大好き」だということを再確認した。
帰国後、地元で放送局に就職し、子どもの頃から好きだったテレビ・ラジオを通して、生活情報や社会文化を伝えるようになる。もちろん中国と縁を切ることはなく、あるリポート番組で、中国人の胡弓の先生を取材したこともある。そんな中で、やはり中国は忘れられず、「中国+エンタメ」と考えたとき、中国国際放送局への転職を決意した。
赴任間近に反日デモがあり、両親は中国に行くのに大反対した。彼女自身も少し不安を感じていた。しかし実際に来てみると、メディアが報道していたのとは違い、中国の人々はかなり友好的で、仕事と生活の面でいろいろ面倒を見てくれた。
中国国際放送局の日本語部は、中国の生きた情報を日本に向けてラジオで発信している。末永さんは、エンタメや身近な中国を伝えるコーナーを担当する。
現在の仕事には、これまでのキャリアを生かしたリポーターやアナウンサーの業務のほかに、日本語の専門家としての役割もある。中国人スタッフの日本語の発音を正し、原稿の読み方、ラジオ番組の制作をアドバイスする中で、これまで自分が上司に言われてきたことがわかるようになった。「私も勉強しなければいけないことがたくさんあります」とはりきっている。
「自分の目で見た、自分の耳で聞いた中国を、ラジオの電波にのせて、日本の方々に伝えられるのは嬉しい。両親も今では応援してくれ、毎日番組を聞いてくれています」
好きな仕事ができる人は幸せだ。ラジオに夢をのせている末永さんは、これからも生き生きと中国で活躍することだろう。(文=賈秋雅・原絢子 写真=原絢子)
|