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高 原 |
中国の宇宙事業が、また新たな「突破」を成し遂げた。 2005年10月12日から17日までの約5日間、2人の宇宙飛行士を乗せた宇宙船「神舟6号」は、宇宙空間で地球を77周しながら科学研究活動を行い、内蒙古自治区に無事、帰還した。2年前には、「神舟5号」が中国初の有人宇宙飛行に成功し、この分野で中国は、米国、ロシアに次ぐ第3の地位を占めたが、そのときの宇宙飛行士は1人で、飛行時間は21時間に過ぎなかった。今回の「神舟6号」の成功は、中国の宇宙探索活動がさらに大きく前進する記念碑的な快挙である。 宇宙での生活の質的変化
2003年に、中国初の宇宙飛行士となった楊利偉飛行士が宇宙空間に達したときは、狭い帰還船(帰還モジュール)の中でずっと活動し、宇宙服を脱ぐことができなかった。食事もインスタント食品ばかりで、排泄もオムツを使わなければならなかった。 この点、今回の「神舟6号」は大きく変化した。宇宙飛行士の活動範囲は拡大し、宇宙での生活はずっと豊かなものになった。 「神舟6号」も「神舟5号」と同様に、軌道船(軌道モジュール)、帰還船、推進部の3つから構成されているが、「神舟6号」では、宇宙飛行士が初めて、帰還船から軌道船に乗り移り、重たい宇宙服を軽い作業服に着替えて科学実験を行った。 また、宇宙飛行士の生活の質も向上した。今回、彼らは、八宝飯(もち米で作った甘い食品)やイカ団子、干しリンゴなど50種類以上の食品を持って行った。これらの食品は、加熱したり、水で戻したりして食べることができる。 排泄物を処理する宇宙トイレは、中国の科学者が独自に研究開発したものだ。多少は違和感があるだろうが、「神舟5号」で楊利偉飛行士が使ったオムツに比べれば、大いに進歩している。 しかし、改善されたとはいえ、宇宙飛行士の生活はそれほど自由ではない。宇宙船操作技術訓練部門の主管設計士の胡銀燕さんによると、宇宙空間での飛行士の動作は、1つ1つすべて厳格な操作規則によって決められていて、なおざりにすることは許されない。だから、すべての動きは規則で定められ、自分で勝手に、動作を選ぶことはできない。 例えば、簡単に見える船内の扉の清掃でも、決まった作業手順の規定がある。これによると、船と船の間の扉を3回に分けて拭き掃除をするので、1回の掃除は3分の1だけだ。扉の枠の清掃も同様だ。使われる用具は、特製の雑巾で、実際に掃除をする際には、雑巾のどの面を使うか、どう折りたたむか、どのように交換するかなど、みな、規定がある。 宇宙飛行士は農村の出身
「神舟6号」の2人の飛行士、費俊竜さんと聶海勝さんは、ともに中国の農村の出身である。 指揮員の費飛行士は1965年、江蘇省の昆山で生まれた。宇宙飛行士大隊に入る前は、空軍機の最上級の「特級」パイロットだった。1991年、息子が生まれたとき、彼は息子に「費迪」という名を付けた。「費迪」という中国語の発音は、UFOを指す中国語の「飛セツ」と発音が近く、彼は息子が将来、飛行機よりも高等な飛行物体を操縦して宇宙探索に行くよう望んだのだった。 思いもかけず十数年後、彼自身が先に宇宙飛行士となった。最初、宇宙飛行士に選ばれたとき、彼は宇宙飛行士が具体的に何をするのかよくわからなかった。飛行機のパイロットと同じようなものだと考えていたという。当時は、若者にありがちな好奇心と探求心から、試しに受験してみようと思っただけなのだ。今はその選択が正しかったと思っている。 宇宙飛行士になった後、費さんはかなり長い間、父母に本当のことを打ち明けなかった。家人たちは彼が西北部から北京に転勤となったことしか知らなかった。あるとき母親は、耐え切れなくなって彼に、いったいどんな仕事をしているのか、と尋ねた。彼の答えは「相変わらず飛んでいるよ。けれど空軍にいたときよりもっと高くね」だった。 操縦員の聶さんは、1964年に湖北省の棗陽で生まれた。幼いころから家は貧しく、小学校に上がるとき、両親はいつも、数元の学費が払えるかどうかを心配していた。あるときは、先生に、学費の替わりに1羽のウサギを渡したことさえある。 聶さんは、高校を卒業するとき、たまたま空軍がパイロットを募集していたのが幸運だったと言う。その後、パイロットからまた選ばれて中国初の宇宙飛行士の1人になった。 これは彼がずっと夢に見てきたことだった。小さいころ、彼が故郷で牛を放牧していたとき、山の斜面で寝ていて奇妙な夢を見た。当時、飛行機を見たことがなかった費少年は、自分に大きな羽根が生え、青空を飛ぶ夢を見たのだった。 今年10月13日、聶さんは41歳の誕生日を迎えた。前の日に宇宙船で大空に飛び出したばかりだった。聶さんはテレビ電話で妻からの祝福の言葉と娘が歌う「ハッピー・バースデー」を受けた。 娘は「大スクリーンでお父さんは笑っていましたが、愉快な気分なの?」と尋ねた。聶さんは「そうだよ。ここでの気分は素晴らしい。ここから見る地球はほんとうにきれいだよ」と答えた。 宇宙の平和利用が目的
「神舟5号」の打ち上げと回収に成功した中国は、米国、ロシアに次いで、自力で有人宇宙飛行を行う技術を持った3番目の国になった。そして今回の「神舟6号」の有人飛行の成功は、さらに世界の注目を集めた。多くの人々は、中国の宇宙技術の進歩が、各国の宇宙における軍拡競争を引き起こすのではないか、と心配した。 しかし、その答えは「ノー」である。中国有人宇宙飛行プロジェクトの総設計士である王永志さんは「中国の有人宇宙飛行プロジェクトは、完全に中国自身の必要に基づき、自国の国情に照らして実施されたもので、その目的は、宇宙空間の資源を開発し、人類に幸福をもたらすためのものだ」と述べている。 石油などの地球の自然資源が日に日に枯渇してゆくのにともない、宇宙を探索し、宇宙の資源を開発・利用することは、人類共通の夢になった。近年、米国、ロシア、日本、インドが相次いで、それぞれ月へ行く計画や星の探査計画を打ち出した。13億の人口を持つ発展途上国の中国が、有人宇宙飛行を発展させるのも、同じような目的から出ている。 当面、中国の宇宙開発事業は、民用技術の研究にある。この数年来、すでに1800余の宇宙技術の成果が国民経済の各部門に応用され、電子、化学工業、気象、農業など多くの分野に発展をもたらした。 「神舟6号」から始まった中国有人宇宙飛行の真の意義は、人が宇宙での科学実験に参与したことにある。王総設計士はこう言っている。 「人間が宇宙に到達し、宇宙の環境を利用して一連のテストを行うことができるようになった。これによって、地球上での生産に対し、技術と研究方法の革新を提供できる。宇宙には人類にとって重要な、価値のある資源がたくさんある。例えば宇宙には、地球上では真似ることができない独特の、高い真空状態、強い輻射、微重力などの環境があり、科学研究にとって理想的な実験場である」 その意味で、「神舟6号」の成功は、中国の宇宙の平和利用に新たな基礎を定めたと言える。 こうした宇宙の平和利用を目指して、中国は長年、国際的な宇宙開発協力を積極的に進めてきた。中国とブラジルが共同で研究・製作した資源探査衛星やEUと共同で進める「2つの衛星による探査」の計画、「神舟」の宇宙飛行士の養成でのロシアの宇宙飛行士養成機関との密接な協力など、中国が世界と宇宙科学の研究成果を共有しようとしていることを示している。 中国の宇宙開発の将来 「神舟6号」の成功で、中国の有人宇宙飛行は次にどのように発展するのか、多くの人々の関心が集まっている。 これについて王総設計士は、3段階に分けられる、としている。 第1段階は、「神舟5号」の打ち上げと回収の成功で終息した。第2段階は「神舟6号」から始まって、多数の人を乗せ、長い時間飛行し、宇宙遊泳やドッキングを次々に成し遂げる。最終の第3段階は、宇宙に恒久的な宇宙ステーションを建設することだという。 現在、「神舟7号」「神舟8号」のロケットのプログラムは、すでに研究が終了し、国の許可を待っているところだ。同時に、中国の新たな世代の宇宙飛行士の選抜プログラムも策定中だ。現役の14人の宇宙飛行士はみな1998年に選抜された最初の宇宙飛行士で、年齢は40歳前後。みな空軍のパイロットから選ばれた者だ。新たな世代の宇宙飛行士は、選抜の範囲がもっと広くなり、女性の宇宙飛行士を募集する計画もある。 バックグラウンド・データ |
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