◆あらすじ
夫に女と子供が出来て離婚した泥鰍は双子の娘大マンと小マンを連れて北京に出稼ぎに出る。汽車の中で知り合った人夫頭の男もまた名前を泥鰍といい、女泥鰍は男泥鰍が請け負った故宮の修理工事現場で働き始める。現場でこっそり子供を匿っていた小屋がクレーンで吊り上げられ危うく大惨事は免れたものの男泥鰍は大激怒。だが、小マンが高熱を出すと大切な万能薬を飲ませたり、工事現場より働きやすい住み込みの病人介護の職を見つけてきて、双子は現場で預かり、いなくなった双子を必死で捜すなど、男泥鰍の心根の優しさに女泥鰍もだんだんと惹かれていく。男泥鰍は妻を亡くした男やもめだった。
男泥鰍に仕事を卸している社長が期日が来ても約束の工賃を払わず、労働者たちは親方である男泥鰍に支払いを迫る。窮地に陥り、未払いのまま逃げ出そうとする男泥鰍を女泥鰍は叱りつけ、自分の同郷が世話してくれた、きついが金は稼げる地下工事の仕事を2人で始める。ようやく金も貯まり始め、2人と娘たちの不思議な家庭が形成され始めた矢先、男泥鰍は地下の陥没事故で大怪我をした仲間を運んだ病院の廊下で疲労の余り眠るように死んでいく。亡くなった男泥鰍に代わって未払いの賃金を払った女泥鰍に、出稼ぎ労働者たちは「いつでも俺たちのもとに帰って来いよ」と温かい声をかけるのだった。
◆解説
監督の楊亜州は長いこと社会派の黄建新監督の助監督を務め、黄建新映画の常連であるコメディアンの馮鞏主演の『没事偸着楽(邦題はしあわせの場所)』で独立監督としてのデヴューを飾った。この作品はまだ黄建新のスタイルから完全には脱却していなかったが、2作目の『張美麗先生の脚』と今回の第3作で完全に独自の作風を確立した感がある。私がこの監督の映画が好きなのは、決して若い美人女優をヒロインにせず、生活感溢れる中年男女のしみじみとした情愛をしっとりと描いてくれるから。こういう大人の鑑賞に堪えうる映画を撮る監督は中国でも意外と珍しい。今回も主人公の2人の他にも20歳も年下の男との恋に悩む美人でも何でもないごく普通の40女が出てくるなど、中年女性の心理をきちんと理解してくれる監督を個人的には断然支持してしまうのだ。第1作は天津方言、第2作は陝西方言、本作では女泥鰍は山東方言、男泥鰍は西安方言とローカル色豊かな台詞も楽しい。
「60万ドルという低予算でスタッフもキャストも他の金になる仕事を棄てて、地味なこの映画に取り組みました。それもひとえに映画への愛と情熱があるからこそ。商業的価値のない映画に投資してくれた出資者に感謝します。」と東京国際映画祭でスピーチした監督は、『空鏡子』『家有九鳳』など、それこそ金になるテレビドラマでもクオリティーの高い人間ドラマを次々に監督して評判を呼んでいる押しも押されぬ実力派監督となった。今後の中国映画界を支える期待の星の1人である。
◆見どころ
主演の倪萍は春節晩会などの司会で中国で知らない人はいないという人気者だが、若い時は女優だったことはあまり知られていない。『許茂とその娘たち』という80年代初めの出演作を見たことがあるが、あまり印象に残らない平凡な女優さんという記憶がある。それが楊亜州に見出され、中年になってから『張美麗先生の脚』で演技開眼、逞しくも善良な土臭い女性を演じて大成功、その後も『破土』『陽光天開』『2人的芭蕾舞』など次々と出演作が続いて女優としても完全復帰、感じはいいけどあまりにそつのない司会ぶりとはまったく異なり、どの役でもなりふり構わぬ市井の女を全力投入で演じて好感度大だ。実際に会った彼女は山本耀司を着こなすセンスのいい都会の女性だったけれど。
男泥鰍役の倪大紅は国家話劇院に所属する名舞台俳優。日本でも太田省吾演出の『水の駅』の舞台に立ったことがある。映画出演作は多くないが、『活きる』の冒頭で葛優を博打で負かし、家屋敷を取り上げた男と言えば、思い出す人も多いのではないだろうか。
『人、中年に到る』や『最後の貴族』などの作品で、そのノーブルな美貌で日本にもファンの多い潘虹が倪萍とは対照的な冷たい都会の知識人女性を好演している。相変わらず美しいが、かつては悲劇のヒロイン役を得意とした彼女がユーモラスに嫌味な女を演じているのが楽しい。彼女にコメディの才能があったとは意外。最近はテレビ出演が多いようだが、本格的な喜劇を是非見たいものだ。また、一体どこで見つけてきたのか、いかにも農村の少女といった風情の双子の姉妹を演じる子役が抜群にいい味を出している。実は監督は前2作でも、子供の使い方が非常に上手かったのを思い出す。この作品は日本配給も決定しているので、日本でも今後、楊亜州の名は広く知られていくに違いない。
水野衛子 (みずのえいこ)
中国映画字幕翻訳業。1958年東京生まれ。慶応義塾大学文学部文学科中国文学専攻卒。字幕翻訳以外に『中国大女優恋の自白録』(文藝春秋社刊)、『中華電影的中国語』『中華電影的北京語』(いずれもキネマ旬報社刊)などの翻訳・著書がある。
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