【あの人 あの頃 あの話】L
北京放送元副編集長 李順然
長城の初日の出にかけた願

 20年も前になるが、1985年の初日の出を、私は北京郊外八達嶺の万里の長城で迎えた。限りなく静かな万里の長城、雲の中から浮かびあがった真紅の太陽、息もつまるような感動……いまも忘れられない。

 あの日同行したのは北京放送日本語部のスタッフで、その年の年男だった徐学林君、年女だった李麗桃嬢。ともに大学の日本語科をでたばかりで、ピチピチしていた。

 万里の長城の上で、誰いうとなく、東の空に昇る初日の出に願をかけようということになった。徐君は「素晴らしい恋にめぐりあえるように」と初日の出に願った。李嬢は「思い切りおしゃれをしたい。赤い色で」と願った。李嬢の言葉には、徐君と同じように「素晴らしい恋とめぐりあいたい」という願いが感じられた。

 その年だったかどうかは定かでないが、2人の願いはかなえられたようだ。現に2人とも家庭を持ち、徐君はよきパパに、李嬢はよきママになっていると聞く。

 あの日、もう1人の同行者がいた。北京放送日本語部のお便り組のキャップをしていた李健一さんだ。李さんの趣味は北京周辺の山歩きで、自ら私たちの案内役を買ってでてくれたのである。李さんが初日の出を迎えてかけた願は、2人のお嬢さんといっしょに、北京周辺では最高峰の百花山(2218メートル)に登頂することだった。

 早いもので、まだ中学生と小学生だった李さんの長女の紅ちゃんも次女の軍ちゃんも、すでによきママになっている。つまり、李氏はお爺ちゃまになっているのだ。喜々として孫を学校まで送り迎えする好々爺である。だが、酒量はまったく衰えず、みんなに羨やまれている。山歩きも続けているようだ。

 20年、まさに二昔。お兄さん、お嬢さんはよきパパ、よきママになり、よきパパはよき爺になっているのだ。

 あの日の思い出にふける私は、ふと徐学林君にしろ、李麗桃嬢にしろ、その子どもたちにしろ、李健一さんのお嬢さんやお孫さんたちにしろ、みんな戦争を知らない世代なのに気がついた。戦争を知らない親が、戦争を知らない子のパパになり、ママになっているのだ。

 なんと幸せなことだろう。なんと素晴らしいことだろう。わたしは、平和の有難さをつくづく感じた。そしてこうした戦争を知らない親や子供たちが、戦争を知らないお爺ちゃま、お婆ちゃまになっていくよう、心から願った。万里の長城の東の空に初日の出が昇るかぎり、こうしたサイクルがいついつまでも続いていくよう、心から願った。

 あのころ、北京市内から八達嶺の万里の長城までは、車で2時間ほどかかったように記憶している。いまでは、高速道路が整備され、1時間ほどで行けるようになった。

 私はもう一度、八達嶺の万里の長城で初日の出を迎えたい。そして、東の空に昇る太陽に、戦争を知らない親や子供たちの幸せな日々を報告し、世界がいつまでも平和であるよう願いたいと思っている。



 
本社:中国北京西城区車公荘大街3号
人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。