特集2 水に映える古い蘇州の街並み |
古地図通りの橋や川
蘇州は悠久の歴史を有する古城である。紀元前514年、呉王闔閭は、大臣の伍子胥に命じ、太湖の東に、壮大な都城を建設した。これが闔閭大城であり、今日の蘇州の古城である。 蘇州城の西南に、蘇州にわずかに残る古い城門の盤門がある。この城門は大きくはないが、水陸の城門が並んで建てられ、陸の門、水閘門がともに2つずつあり、城門の外に「甕城」と呼ばれる城門防御のための小さな城が併設されている。 もっとも特色があるのは、門の内と外にある二重の水門で、花崗岩で造られている。4本の重く大きい石柱がアーチ型の屋根を支えている。大きくて高い城門の通路は、二隻の小船が並んで通航できるようになっている。
二重の門には、巨大な閘門があり、水流をコントロールできる。こうした水郷の特色を持つ城郭建築は、当時としてはきわめて有効な攻撃用、防御用の建造物であったことは想像に難くない。 蘇州の伝統的な住宅は、水路沿いの道路の片側に、通りと水路に面して建てられているものもあり、また道と水路の間に、通りを前に、川を背にして建てられているものもある。水路を跨いで建てられ、廊橋で水路の両岸を結んでいるものもある。 水路の両岸はすべて石で築かれ、俗に「石駁岸(石の護岸)」と呼ばれている。水に面した住宅の多くは、明るい窓がずらりと並んでいる。夏には水面を渡って吹いてくる涼風を入れ、冬には暖かい陽光をいっぱいに浴びることができる。家の裏口には、通常、水路に下りる階段がある。階段は、水路に突き出しているものもあり、また住宅の内側に切れ込んでつくられているものもあるが、いずれも船に乗り降りするのに便利である。 唐の詩人、杜荀鶴は、姑蘇を漫遊したとき、「人の呉に遊ぶを送る」と題する詩を書いた。その一節には――
君 姑蘇に到りて見れば 今、蘇州古城からは、伝統的な住宅が姿を消しつつある。水路を船に棹差して進みながら菱(ヒシ)の実や藕(レンコン)を売る風景はほとんど見られなくなったが、古城の構造はなお保存されている。 南宋時代には、蘇州には「平江府」が置かれた。蘇州の孔子廟には、「平江府」の地図を刻んだ一幅の石刻の碑がある。千年以上前の蘇州は、「運河と街が隣り合い、水陸の道が併行して走っている」碁盤の目のような構造の城郭と街並みであったことが、この地図から見てとることができる。これを今日の地図と照らし合わせると、蘇州古城は、激しい世の移り変わりを経てきたものの、その位置は基本的に変化していないことが分かる。 蘇州古城の東にある「平江歴史街区」は、古城の中でもっともよく保存された区域である。ここは、基本的に唐宋以来の城郭と街並みの構造を引き継いでいて、街や川、小橋、古い井戸の辺りで、老人たちがゆったりと座っている姿がよく見られるのだ。 モクセイの香る運河を行く
秋も深まった10月の蘇州は、馥郁とした花の香りに包まれる。モクセイである。米粒のような黄色や白の花びらが、枝にびっしりと咲いている。蘇州にはいたるところにモクセイの木があり、蘇州の市の花になっている。 蘇州には、灰色、白、黒といった独特の色もある。古い家の多くは灰色のレンガを積み、壁は白く、瓦は黒い。新しい建築も、これにマッチした建材や色彩、スタイルで造られていて、街全体が淡く上品な、伝統的な色となっている。近代的なこの都市が、伝統文化を引き継ぎ、調和していることを容易に肌で感じることができる。 水は蘇州の魂である。今の蘇州は昔のままに水が流れ、小橋が架かっている。古い平江街区や山塘古街、昔のままの水路は、古くて素朴な美しさを感じさせる。
賑やかな商店街は、店舗の裏側に小さな水路があり、水が静かに流れている。市街地の広い幹線道路でさえ、車道の真中を小さな川が流れ、対向する車線を2つに分けている。そして小さな橋が道路の真中に架けられ、横断歩道となっている。 かつて京杭運河は、蘇州城を貫いて走っていた。しかし、河川の運輸がますます盛んになり、汚染や喧騒が水郷の住民の生活に大きな影響をもたらすようになった。そこで蘇州市は、2001年から古い運河の改造を始めた。運河の水路を改めて、城の外側を迂回するようにし、城内にある元の水路は、城を巡る環状の運河となった。 現在、この城を1周する運河は、蘇州遊覧の新たな景観となった。17キロの水路には、18の橋が架かっている。古い橋もあれば、新しい橋もあり、それぞれ異なる特徴を持っている。運河沿いに古い街道を見ることもできるし、新しく建てられた景観もある。古い蘇州と新しい蘇州を見ることができる。 蘇州は水があってこそ美しい。しかしその水は、清らかでなければならない。これまでの数十年間で、蘇州の都市河川網の水質は大きな変化があった。人々はこう言う。
「60年代は、川で米をとぎ野菜を洗った。70年代は洗濯し、灌漑用水に使った。80年代、水質は悪くなった。90年代、心身に害を受けるようになった」 しかし近年、蘇州市は水の管理に大きな力を入れた。今では城を巡る環状運河の辺りには、釣人の姿も見られる。市内の古い城区の水路には、小魚も出現し始めた。 蘇州古城の西には蘇州新区がある。ここには、多くの工場や企業、新築の高層住宅やオフィスビルがある。蘇州古城の東には、蘇州工業園区があり、多くの外資系企業や合弁企業がここに居を構えている。欧米や日本などの国にふさわしい住宅や商業、サービス施設があり、いくらか洋風の趣を醸し出している。 崑曲と評弾のふるさと
蘇州は園林で知られている。蘇州古城の中に散在する大邸宅や名のある人の旧居は、江南の住宅の文化と特色をじかに味わうことができる。 蘇州の大邸宅のほとんどは、曲がりくねった小さな横町の奥にあり、邸宅の門も普通の庶民の住宅とほとんど差がない。しかし、一歩足を踏み入れると、別世界が広がっている。 漆喰で塗った壁、青黒い瓦、褐色の木造の柱や梁、栗色の門と窓、室内に配置された木彫を施した家具、名のある人の書画、骨董の器物は、輪郭が柔らかく、彫刻は精緻で、色彩は美しく品があり、典雅で明るく、調和がとれてゆったりした美しさを造り出している。 潘という人の大邸宅に入り、古色蒼然とした2階建ての階上に座ると、彫刻のある栗色の窓の外に青黒い屋根が見えるだけで、2本のチャンチンの木の緑が彩りを添えている。階下から聞こえてくるのは、優雅な管弦の音。こうした洗練された環境の中で、茶を味わい、友と交わりを結ぶ。これほど人を陶酔させるものはない。 2500年以上の歴史を持つ蘇州には、各種の博物館が十数館もある。多くの博物館は、古い園林や会館、邸宅の中に建てられている。平江区の張家巷にある蘇州市崑曲博物館は、清の時代は全晋会館だった。
この博物館は、崑曲に関する文字や写真の資料、楽器や衣裳、シナリオの実物が見られるだけでなく、華麗で美しい建物そのものも観賞する価値がある。多くの建築装飾、木彫、レンガ彫刻などはどれも、題材を芝居からとって作られている。とりわけ、昔の舞台は、構造や造形に工夫がこらされているばかりでなく、不思議な音響効果がある。 蘇州は崑曲の故郷である。700年以上の歴史を持つこの古い芝居は、今もなお蘇州の人々に愛されている。崑曲博物館の館長によると、現在、蘇州の崑曲のファンは、若年化の傾向にあるという。蘇州大学、蘇州教育学院、蘇州芸術学校にはみな崑曲を専攻する学生がいるし、一部の小中学校にも、多くの業余の崑曲クラスがある。ユネスコによって「人類の伝承、無形遺産の代表作」の中に入れられた崑曲は、その故郷では依然、強い生命力を持っているのである。 崑曲博物館の近くに、評弾博物館がある。蘇州評弾は、蘇州方言で演じられる歌と語りの芸能で、400年の歴史を持つ。評弾は歴史物の講談である「評話」と歌を中心とした「弾詞」の総称で、民間芸能の生きた化石とも言われる。 博物館の中には、評弾を演じる場所である「書場」が設けられている。毎日午後1時半に開場する。開演前にお年寄りたちが三々五々、やってきて、1枚4元の切符を買う。それには1杯の茶のサービスがつく。お年寄りたちは気に入った座席を選んで、静かに開演を待つ。
87歳になる周老人は、毎日やって来て、最前列に陣取る。足の不自由な周さんの介護を頼まれた中年の女性がその傍らに座る。開演時刻になるころには、客席は満員だ。チケット嬢に聞くと、この日の入りは180人余りで、もっとも多いとはいえないという。 「書場」にやって来るのは主にお年寄りだが、年の若い勤め人は、ラジオ、テレビで評弾を楽しむ。蘇州テレビ局の『テレビ書場』という番組は、視聴率が相当に高いという。
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