発展と保護が叫ばれる竜現村の「稲田養魚」
                                                                                        王攀=文・写真

   中国東南部の沿海に位置する浙江省青田県竜現村は、幹線道路から離れた村落である。周りは青々とした山に囲まれ、300年余り前の古い家屋が、今でも完全な姿で保存されており、古風で美しい田園風景が広がる。        

   家屋の前後にはたくさんの池があり、まだ田植えをしていない棚田にも水が満ちていて、魚が泳いでいる。これこそが、この村の伝統的な耕作方法「稲田養魚」(稲と魚を共に育てる)だ。

「世界農業遺産」とは

水田で魚をすくい上げる竜現村の楊民康さん

   国連食糧農業機関(FAO)は2005年5月16日、世界中から、古い歴史があり絶滅の危機に瀕している5つの農業システムを「世界農業遺産」保護区として選定した。竜現村の「稲田養魚」は真っ先に選ばれた。

   「世界農業遺産」とは世界的に重要でありながら、絶滅の危機に瀕している伝統的な農業文化や技術遺産を対象とし、それを保護することを目的とする。

   農業大国である中国には、昔からの耕作方法が数多く残っている。今回、「世界農業遺産」に届け出された中国の「稲田養魚」システムには3つの候補地があった。江蘇省、貴州省従江県、そして浙江省青田県である。

   江蘇省の「稲田養魚」は、現代化がかなり進んでいる。貴州省従江県は、当地のヤオ族により千年以上前の最も伝統的な方法が完全に留められている。青田県の竜現村はその中間だ。そこで、最終的に竜現村が「世界農業遺産」保護区に選ばれた。青田県では2004年、10万ムー余り(1ムーは6.667アール)の水田で「稲田養魚」が行われたという。

700年続く「稲田養魚」

水田に稚魚を放つ

   竜現村では700年近く前から「稲田養魚」が行われている。当地は人が多い割に耕地が少ない。そこで、限られた水田を有効に利用しようと、稲と魚を共に育てるようになった。当初は、満水にした水田の溝に魚を放ち、あとは管理せずに自然に任せていた。しかし現在は、昔とはずいぶん異なる。

   水田で養殖した魚は「田魚」と呼ばれる。鯉の一変種で、色は黒、赤、黄、白の4種類。水田に張る水は、山から流れてきたもので水質がよい。この水で育った魚は美味しく、鱗もやわらかくて食べられる。

   この村の楊民康さん1家は、大規模に「稲田養魚」を行う農家である。「水田の水温が10度以上になってから、生石灰をまいて消毒します。そのあと、薄い塩水で洗った稚魚を放ちます。昼間は水温が高すぎるので、朝か夕方に放たなくてはなりません」と楊さんは「稲田養魚」について語る。

   稚魚を放つ前に、あぜを田んぼより50〜60センチほど高くしなければならない。そして、魚に寄生虫が繁殖しないよう、山からクスノキや松の枝を拾ってきて水田に浸す。

   楊さんの妻の伍麗貞さんは、毎日2回、午前8時と午後3時にふすまやぬかなどの天然のエサを魚に与える。村人たちの多くはエサを与えないので、彼らの飼っている魚はあまり大きく育たないのだそうだ。

   魚はエサを探すとき、水面を波立てて、泥を掘り返す。「まるで牛が土を耕しているようです」と伍さんは話す。また、肥料や土地、水分、生長空間を稲から奪うタイワンヤマイやコナギなどの水田雑草を、魚がすべて食べてくれるので、除草する必要がない。

水田で養殖している「田魚」

   「稲田養魚」というシステムは、稲にも魚にも有益だ。稲は魚の日よけになり、有機物を生み出す。魚は水に酸素を与え、害虫を食べ、養分を循環させる。FAOはまさにこの良好な生物連鎖に目をつけたのだ。

   村では以前、用水路の上流に分水池が掘られた。村人は昔からの決まりに従って、各農家の水田に公平に水を流す。そして水質の悪い水は溝や池に排出する。

   竜現村には、水田が396ムー、池が140余りあり、「稲田養魚」の条件に恵まれている。面白いことに、この村では「田魚」を嫁入り道具にする習わしがある。よく働き富をもたらすことを象徴しているのだろう。

   毎年9月の稲刈りのころには、村人たちは、「田魚」をすくい上げ、自宅で食したり、市場で売ったりする。楊さんの家では当地特産の「田魚干」も大量に作る。4〜5平方メートルの小さな部屋はもっぱら、「田魚干」を作るために使っている。

伝統技術をどう守るか

楊民康さん伍麗貞さん夫妻が作る「田魚干」は売れ行きがよい

   しかし、村の若者たちは「稲田養魚」の伝統技術に関心がない。この村では765人いる村人のうち650人以上が、50余りの国や地域に居留している。「海外に住んでいる肉親が1人もいない家は7戸しかありません」と楊さんは言う。

   竜現村には、百年以上も前からヨーロッパへ商売に出掛ける人がいたそうだ。この村は貧しく、山や石も多いため、耕作には適していない。そこで、若者たちは別の地へ行って一旗揚げようと考える。彼らは、高校卒業後、ときには卒業を待たずに、出国の準備を始める。ほとんどがスペインやブラジル、イタリアなどの国を選び、そこで出稼ぎをしたり中華料理レストランを開いたり、あるいは石彫りの商売をする。

   楊さんは、「稲を育て、魚を養殖するだけでは、なかなか豊かになれません」と話す。伝統的な「稲田養魚」の方法では、1ムーの水田で養殖できる魚はたったの20キロで、しかも時間が1年もかかる。魚の売値を1キロあたり30元とすると、1ムーあたりの収入はたったの600元だ。

   昨年の楊さんの収入は4万元余りだったが、けっして満足はしていない。海外へ出稼ぎに行っている人たちに比べると、自分の稼ぎは少なすぎると考えているからだ。

   また、農業技術の近代化も伝統的な「稲田養魚」に少しずつ影響を及ぼしている。技術員たちは、村人に人工飼料を与えて魚を養殖するよう指導している。こうすることによって、野生の「田魚」が商品として出せる魚になるのだ。当地に派遣されている技術員の胡益民さんは、「魚を養殖する村民はますます少なくなっています。その主な原因は、『稲田養魚』では生産高が上がらないためです。この状況が続いたら、『稲田養魚』は絶滅してしまうでしょう」と話す。

水田の大きさと需要によって公平に灌漑する分水池。これのおかげで用水のいざこざが起きたことは一度もない

   「稲田養魚」は、中国で2000年以上の歴史があるが、農業生産技術の向上と社会の近代化にともない、「稲田養魚」を行う水田は次第に少なくなっている。江蘇省の北部は、2001年には「稲田養魚」を行う水田が20万ムーあったが、今では1万ムーも残っていない。

   世界文化遺産とは異なり、農業は文化形態の1つとしてだけではなく、社会生産力の1つとして、社会の発展に適応しなければならない。「世界農業遺産」という概念は、世界にもこれまでになかったものであり、何をどのように保護すべきなのか、現在模索中だ。しかし、「世界農業遺産」への登録が、青田県の「稲田養魚」の発展を促す大きな力であることは間違いない。



 
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