山中宰相
陶弘景(456〜536年)は、南北朝時代(420〜589年)の思想家、医学者、文学者であり、陰陽五行、山川地理、天文気象に精通していた。山河の風物を描き出し、清らかで簡潔な著述の『答謝中書書』(謝中書に答える書)は、歴代にわたって高く評価されてきた情景描写の名作である。
斉の高帝の時代(479〜483年)、陶弘景は、宮廷に入り、皇太子の勉強のお供をしたが、その後、俗世を離れ茅山に隠居した。
梁の武帝(502〜547年)の時には、礼を尽くして招聘されたが、彼は茅山を出なかった。しかし、国の吉凶や、祭祀、討伐などの大事が起こると、朝廷が人を遣わして、陶弘景に教えを請うた。そのため彼は、「山中宰相」と呼ばれた。
陶弘景は一生、松を好んだ。風に吹かれると、松の枝葉が音を出し、彼は、まるで仙楽を聞いたように魅せられた。陶弘景は、松風の音を聞くために、よく一人で山に入ったので、後世の人々から、仙人と称されたのである。
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