【あの人 あの頃 あの話】N |
北京放送元副編集長 李順然
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ジョークも巧みだった啓功さん
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中国書道協会の名誉会長で、中国書道界の大御所だった啓功さんが亡くなったのは、去年の夏のことだ。私は啓功さんからいただいた「倚杖看雲」(杖に倚りて雲を看る)という書を書斎に飾り、啓功さんを偲んだ。この4文字が、なにか啓功さんの自画像であるように感じられてならなかった。享年93歳だった。 啓功さんとは、ちょっとご縁がある。父の墓を造るとき、啓功さんに墓碑を書いていただけないかとお願いしたところ、二つ返事で「李延禧之墓」という5文字を書いてくださった。 その文字が立派なことはもちろんだが、あまりにも大きな字なのに、私は恐縮し、また驚喜した。1文字が30センチ四方もあるのだ。一画一画、一字一字、丁寧に書かれた文字に、誠実さが感じられ、心を打たれた。 北京の名勝の地である香山の麓の万安墓地に持っていくと、係の人が集まってきて、口々に称賛した。そして、こんなに素晴らしい字を縮小するのはもったいない、墓を大きくしなさいというのだ。 そんなわけで、父の墓は、私がもともと考えていたものより2倍も、3倍も大きなものになった。親不孝者の私は、最後の最後のところで、ちょっとばかり親孝行の真似ごとができたのだ。ひとえに、啓功さんのおかげである。 「啓功さんの誠実さ」と書いて、頭に浮かんだことがある。一昨年(2004年)、啓功さんの92歳の誕生日の祝賀パーティーの席上での、啓功さんの挨拶だ。多くの人のお祝いの言葉を受けて、啓功さんは車椅子から立ちあがり、静かに語った。 「もう2年生きていられたら、いや2年とはいわない、2日でも、2時間でもそうだが、わたしの願いは、みなさんのご厚情に背かない時間を送ることだ」 中国書道界の大御所である啓功さんの素朴な一言、一言に誠実さが感じられ、出席者の感動を呼んだ。
啓功さんは、たしかに大御所だが、大家だとお高くとまっているようなところは微塵もない。いつもウイットに富んだジョークをとばして、その庶民ぶりを発揮していた。いくつか紹介して筆を擱くことにしよう。 大家ともなると、贋作も多い。ある人が何枚か、「啓功さんの書」なるものを持って来て鑑定をお願いしたところ、啓功先生いわく。 「あれあれ、こんなにたくさん。私にもわかりませんね。あなたが見て、いちばん下手なのが私のでしょう」 ちなみに啓功さんは、政府の文物鑑定委員会主任の要職に就いておられた。 また、ある人が「先生の書体は何派、何流に属するのでしょうか」と尋ねたところ、啓功先生いわく。 「強いていうなら『文化大革命派』でしょう。あのころは来る日も来る日も、朝から晩まで、人さまの書いたものを毛筆の大きな字で書き写すよう命ぜられていました。例の『大字報』というやつですよ。一生で、あのころほど毛筆を使ったときはありませんでしたね。たくさん書くうちに書体みたいなものができあがってしまったのかも……」 さらに、ある人が筆の持ち方について尋ねたところ、啓功先生の答は「お箸を持つのと同じですよ。誰でもできます。各人各様で、あまり気にすることはないでしょう」だった。 |
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