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沈暁寧=文・写真 |
日本に関する優れた学術研究に与えられる「孫平化日本学学術奨励基金」の第4回表彰式が、昨年12月28日、北京の人民大会堂で盛大に挙行された。北京、上海、天津、広東、遼寧などの省や直轄市から来た14人の日本研究に従事している中国の中・青年研究者が、この表彰を受けた。 北京外国語大学日本語学部の朱京偉教授は、その著作『近代日中新語の創出と交流――人文科学と自然科学の専門用語を中心に』で、専門著作部門の一等賞を獲得した。 受賞後、朱教授は「この受賞は、自分の仕事が有意義なものであることを感じさせてくれた。現在、中日間には、交流を妨げる状況が出現しているが、『孫平化日本学学術奨励基金』は、我々中・青年の学者にとって科学的な態度で全面的に深く日本を観察し、研究することを奨励するうえでも、また中日両国人民が相互に理解しあい、接触を深め、友好を増進し、腹を割って話し合うことにも、積極的な役割を発揮している」と心境を述べた。 遺言で設立された基金
孫平化氏は1917年8月に、遼寧省で生まれた。1939年、日本の東京工業大学に留学した。 1952年からは、周恩来総理、廖承志氏のもとで、日本と友好往来や協力を発展させ、松村謙三氏や田中角栄首相ら多くの日本の各界の人々と深い友情を結び、中日国交正常化の実現のために重要な役割を発揮した。 1979年には中日友好協会副会長に就任、その後、会長になり、中日関係の発展に全力を尽くした。 1992年、日本政府は孫氏の貢献に感謝し、勲一等瑞宝章を授与した。当時、多くの日本の友人がお祝い金を寄せた。彼はこの金と自分の所蔵していた大量の書籍を、北京日本学研究センターに寄贈し、「孫平化文庫」を設立した。
1997年はちょうど中日国交正常化25周年の年だったが、孫氏は今はの際にあった。8月4日、日本の国際交流基金北京駐在事務所の小熊旭所長が、25本の真っ赤なバラの花を持って入院先の病院に来た。そして孫氏に「国際交流基金賞」を授与することを告げ、500万円の賞金が渡された。 孫氏は日本語で感謝の言葉を述べ、その日のうちに遺言した。それは、生前も死後も含めてあらゆる彼の講演、著作、賞金および日本の友人から病気療養中に送られた見舞金、その他の寄付金をすべて寄付し、「孫平化日本学学術奨励基金」を設立する、というものだった。 拡大する日本研究の陣容 その年の8月15日、孫平化氏はこの世を去った。娘の孫暁燕さんは父の遺言の通り、彼のすべての収入と貯蓄を宋慶齢基金会に寄付し、「孫平化日本学学術奨励基金」が設立された。
1998年から2年ごとに、日本学の学術分野で突出した成果があり、見解が独創的で、大胆に新しいものを創り出した中国の中・青年の研究者を奨励する審査活動が行われた。現在までに、基金会はすでに4回の表彰を行い、48人が表彰を受けている。 北京日本学研究センター主任の徐一平教授はこう言っている。 「表彰された作品は、現在、中国の中・青年の日本学研究者がどの程度の学術的な水準に達しているかを示しています。基金会の目的は、学術的な角度から中国の日本学の発展を促し、中日の友好関係を促進することにあります。作品がどのような分野のものかを見れば、異なる分野の研究者がますます多くなってきていることがわかります。これは、中国の日本学研究の陣容が絶えず拡大していることを証明しています。私たちは、将来、日本の学術界も参加し、中日双方の学者が、中日関係の発展のために、共同で理性的で建設的な意見を提起することを望んでいます」 「孫平化日本学学術奨励基金」がますます日本学研究者に重視されているとはいえ、基金会の資金が足りないために、さらに多くの役割を発揮することができないでいる。長い間、基金会はずっと、設立時に納められたファンドの利息と一部の社会団体や個人の寄付によって維持されてきた。
孫暁燕さんはこう訴えている。 「基金会の創設のモットーは、学術上の自由な交流を進めることにあります。だから、コマーシャルが介入し、学術の純粋性に影響を与えることは望んでいません。しかし、このために、基金会の実力が急速に大きくなることができません。にもかかわらず、基金会は、中日友好関係を促進する面では、依然、巨大な潜在力を持っています。このため私たちは、社会各界の団体や個人が、私たちに援助や知恵を提供し、この貴重な財産をますます大きくするよう望んでいます。このために、専用の電話とホームページを開設しました(専用電話 中国・北京(86・10)6445―0880 ホームページ www.sclf.org/sunpinghua/index.htm)」 |
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