中国ではいま、2つの「お笑い」が人気を呼んでいる。2つとも、これまでなかった発想で、新しい「お笑いの世界」を創り出し、人々は腹を抱えて笑いこけている。
1つは、伝統的な観念をひっくり返した喜劇『武林外伝』、もう1つは昔ながらの台本を現代風にアレンジした郭徳綱の相声(漫才)である。まったくジャンルの異なる「お笑い」だが、2つに共通するものは、現代社会のさまざまな事象を風刺し、笑い飛ばす精神である。
尚敬監督と『武林外伝』
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『武林外伝』から |
2006年1月、低コストのシチュエーション・コメディー『武林外伝』が、中央テレビ局(CCTV)のTVドラマチャンネルに登場した。このお笑い侠客劇は、放映前はあまり宣伝されなかったが、口コミで多くの視聴者を獲得した。視聴率はすでに、2005年のCCTVの視聴率第2位だった『京華煙雲』を抜いてしまった。
尚敬監督の『武林外伝』の最大の見どころは、伝統的な侠客劇の決まりきった作り方をひっくり返したところにある。今までの侠客劇はみな英雄の物語だが、『武林外伝』は「反英雄」的である。
『武林外伝』の舞台は「同福客棧」という中国の旧式の旅館。ここでストーリーが展開される。この旅館で働いている人はみな、それぞれ天下に聞こえた大侠客だが、彼らの真の素顔は大侠客とはまったくかけ離れている。
旅館のボーイの白展堂は、「盗みの達人」と人に呼ばれて尊敬されているが、実は肝っ玉の小さい臆病者である。雑役の祝無双は、武術の葵花派の達人と称しているが、実はいじめられてばかりいる弱い女だ。店長の妹の莫小貝は「武林の盟主」などとおだてられているが、現実の生活では、よく学校をサボる、甘いサンザシの串刺しの好きな女の子にすぎない……。
『武林外伝』の逆転の発想は、「お笑い」の手法の上にも使われている。劇中の人物は昔の服装をしているが、しゃべる台詞はみな、いま流行りの言葉だ。最近流行っているコマーシャルや歌、ニュースになった事件はみな、笑いの種にされる。尚敬監督は「私たちはこんなやり方で、流行文化に敬意を表したいのだ」と言っている。
郭徳綱と劇場漫才
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郭徳綱(左) |
『武林外伝』が、その「逆転の発想」に成功の源があるとすれば、漫才師の郭徳綱が評判になったのは、彼が伝統を復活し、それを現代的に味付けしたからだろう。
2006年の春節(旧正月)前後、郭徳綱は、急にマスコミが追いかける時の人になった。漫才師が、こんな扱いを受けることはめったにない。
郭徳綱は有名な漫才師を師匠に仰ぐこともなく、どの流派にも属さなかった。彼の演じる漫才は、なにも特に新しいところはなく、多くは100年前から伝えられてきた古い漫才である。違うのはただ、話に登場する人物の身分や物語の背景を改造して、現代風にアレンジしたことだけだ。
それでは、郭徳綱はなぜこんなに人気が出たのか。北京の若い人までがぞくぞくと天津に駆けつけて、郭徳綱の漫才を聞くことが一種のファッションとなったのはなぜか。
ほかの漫才師と比べて郭徳綱が違うのは、彼が伝統的な漫才の特徴を復活し、この世の不正を鋭く指摘し、辛辣に皮肉るところにある。
劇場の彼は、客席に出稼ぎ農民がいるのを見ると、彼らの好きな「お笑い」を演じ、学生がいると学生の喜ぶ話をする。観客に喜んでもらうことだけを追求しているのだ。
表面的に見れば、尚敬監督の喜劇と郭徳綱の漫才は、前者は「逆転の発想」を使い、後者は「伝統の現代風アレンジ」で演じているので、まったく比較できないように見える。しかし実際は、両者には一種の共通性がある。
これまでの「お笑い」は人々を教え導く役割を持っていたが、両者ともその役割を前面に出さず、大衆を楽しませるという娯楽本来の性質を復活させたのである。だからこそ、彼らの「お笑い」は、人々を心の底から笑わせることができたのだった。
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