青島市概況
○地理、歴史
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青島市全景。手前は旧市街区、奥は新市街区 |
青島市は山東半島の南部(東経119゜30´、北緯36゜00´ )に位置し、黄海に面した沿岸都市である。
青島は悠久な歴史文化を誇り、道教発祥の地の一つと言われる。1891年、清の政府が膠澳に防衛兵力を置いたのが、青島建設の始まり。1897年、ドイツが青島を占領、翌年租借地としてドイツ東洋艦隊の根拠地が置かれる。1914年、第1次世界大戦の勃発後、日本が青島を占領、ドイツに代わり軍事植民支配を行う。1922年、ワシントン会議の結果、中華民国は青島を取り返す。1938年、日本が青島を再び占領。1945年、国民党政府が青島を接収、特別市とする。1949年、青島解放。1994年、全国に15ある準省級都市の一つとなる。
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ビール祭で盛り上がる人々 |
○面積、人口
青島市は5つの市と7つの区を管轄している。総面積は1万654平方キロ、総人口は約730万人。そのうち、市街区の面積は1102平方キロ、人口は約260万人。
○気候
海洋性気候。緯度は東京よりやや北に位置するが、三方を海に囲まれているため温暖湿潤。四季はあるが、日本と比べると春と秋は短い。夏は気温が30℃を超えることは少なく、冬の気温もそれほど下がらない。夏季平均気温24℃、冬季平均気温−0.4℃。
○交通
日本とは、東京、大阪、福岡と空路で、下関と国際フェリー(週3便)で結ばれている。このほか、ソウル、シンガポール、バンコクなどとの間に空の便が、仁川との間にフェリーが就航している。
国内は、北京、上海、広州など多くの主要都市と空路および鉄道で結ばれている。
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人で埋め尽くされた桟橋 |
○桟橋
青島のシンボルとして人々に親しまれている。1891年、軍用施設として建設された。長さ440メートル、幅10メートルで、先端には青島ビールのラベルマークになっている「回瀾閣」という楼閣がある。
○八大関
欧米や日本式の異国情緒ある建物が建ち並ぶ一体で、「万国建築博物館」とも呼ばれる閑静な別荘地。最も有名な建築物は、蒋介石が別荘として使っていた花石楼。第2海水浴場に隣接し、屋上からは美しい景色が望める。このほか、迎賓館として使われている八大関賓館、日本式建物の元帥楼、1933年にリゾートホテルとして巨額を投じて建設された東海飯店などがある。
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ロウ山は青島の有名な風景区。ここのミネラル・ウォーターは名高い |
○ロウ山
市内から東へ50キロほどいった郊外にある代表的な風景区。東と南は黄海に面している。道教の聖山として知られ、太清宮や上清宮など道教ゆかりの場所が点在する。ほかにも滝や洞窟、古木など、観光スポットは220余りにのぼる。
○琅ヤ台
郊外の膠南市に位置し、市内からは車で2時間ほどかかる。琅ヤの歴史は古い。春秋戦国時代、呉を滅ぼした越王勾践は、北上して琅ヤに一時都を移したといわれている。また、秦の始皇帝は中国統一後、3回琅ヤを訪れ、そのうち1回は3カ月ほど滞在したと『史記』の「秦始皇本紀」に記されている。
〈2006年の主要な国際イベント〉 |
◯第4回APEC中小企業技術交流及び 展示会
5月18日〜21日 |
◯第2回アジア太平洋国際旅行博覧会
8月11日〜13日 |
◯青島国際ビール祭 8月中旬 |
◯青島国際ファッション祭 9月1日〜5日 |
〈おすすめの観光スポット〉 |
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山東省竜口市にある徐福の像。伝説によると、徐福はここから船出した |
青島と日本は非常に興味深い物語で結ばれている。
「今から2200年前のこと、中国統一を果たした秦の始皇帝は、泰山で封禅の儀を行った後、海を見に琅銜台を訪れました。そこに方術士・徐福が現れ、『はるか東の海に蓬ライ、方丈、瀛州という三神山があり、ここには仙人が住んでいて不老不死の薬を練っています。これを求めてまいりましょう』と申し出ました。
始皇帝は大いに喜び、童男童女3000人を与えて東の海に船出させましたが、徐福はたどり着いたところで王となり、中国には帰ってきませんでした」
これは『史記』に記載されているエピソードがもとになっている。徐福が実際にどこにたどり着いたのかは不明だが、日本各地に「徐福伝説」が存在し、歴史のロマンをかきたてている。
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