|
侯若虹=文 |
二人の「平」に頼る
国際的には「オリエンタル・ミラクル・ライス」と呼ばれているスーパー・ハイブリッド(雑交)水稲は、中国の有名な水稲専門家、袁隆平さんが研究開発したものである。この水稲(中稲)は2004年に、1ムー(6.67アール)当たりの生産量が700キロという第1期の目標を実現したが、2005年には、第2期の目標である1ムー当たり800キロをも達成した。この勢いで行けば、第3期の目標である1ムー当たり900キロは、2010年以前に実現すると予測されている。 袁さんは、スーパー・ハイブリッド水稲が今後、全面的に普及し、大面積で栽培されて、平均生産量は1ムー当たり650キロ以上に達すると予測している。こうなると、今の高収量のハイブリッド米よりも1ムー当たり150キロの増産となる。毎年の植え付け面積を2億ムーとして計算すれば、毎年、3000万トン多く、コメが収穫できることになる。そうすれば7000万人を養うことができるので、中国は、限られた耕地で13億の人口を養うことができるようになる、と袁さんは確信している。 中国自身の力で、中国人の「食」の問題を解決する――これは、中国政府が一貫して、きわめて強い関心を寄せてきた問題である。2005年、中国はスーパー水稲を普及する国家計画を正式的に策定した。 この年8月、温家宝総理は湖南省を視察し、とくに国家ハイブリッド水稲プロジェクト技術研究センターを訪ねた。そしてスーパー水稲の研究状況を調べ、袁さんを訪問した。温家宝総理は、袁さんが科学研究を通して、中国人の「食」問題を解決したと、その功労を称えた。 2005年末、同研究センターは、第3期スーパー水稲の研究用に2000万元の国家科学研究経費を、期日通りに受け取った。実際、大面積で一ムー当たり900キロの収量をあげるスーパー水稲の第3期目標に向けて、プロジェクトはすでに計画より1年前から始まっており、湖南省の2カ所の実験田ではすでに、1ムー当たり900キロを超す喜ばしい成果が出ていた。
スーパー水稲計画は、水稲の超高収量の育種計画とも呼ばれており、これは日本の科学者が1980年に提起したものである。フィリピンの国際水稲研究所は、2000年に1ムー当たり800キロのスーパー水稲を育成する計画を立てていた。また世界各主要水稲生産国も、それぞれ独自の「スーパー水稲計画」を立てたが、中国以外の国は、今日まで、その目標を達成していない。 中国農業部が「中国スーパー水稲育種プロジェクト」を設立したのは1996年である。それ以来、袁さんが率いる中国の水稲専門家たちは、スーパー水稲の研究を始めた。2004年に第1期の目標が達成されたが、コメの生産量が大幅に増加しただけではなく、品質も明らかに改善された。
この高収量、高品質のスーパー水稲の生みの親である袁隆平さんは、どのようにしてこの研究開発を始めたのだろうか。 彼が最初に研究したのは、サツマイモとトマトの育種と栽培であった。1960年から1962年まで、中国は、3年間の厳しい自然災害に見舞われた。凶作が国家と人民にもたらした苦痛は、袁さんにとって大きなショックであった。 失望した袁さんは、純粋な品種の水稲は、発生の過程で細胞や組織が分化することができないこと、また彼が発見した良く成長した一株の稲は、一代目の天然のハイブリッド水稲に違いないことを悟った。これは、水稲にはハイブリッド優勢はないというこれまでの理論を打破するものであった。そこで、彼はハイブリッド水稲の研究と育成を始めたのである。
しかしその後、中国科学院の雑誌『科学通報』がこの論文を掲載し、国家科学技術委員会がこれに注目し、1966年5月から袁さんのハイブリッド水稲の研究を支持し始めた。 あくまでも農民とともに 今、75歳を過ぎた袁さんは、中国スーパー水稲の第3期計画が実現する2010年には80歳になっている。「たぶん80までやれると思うよ」と彼は楽観的だ。 世界に広がる中国のハイブリッド水稲
1990年代の初め、FAOは、ハイブリッド水稲の普及を発展途上国の食糧不足問題を解決する戦略的措置の一つに組み入れた。袁さんは、FAOの首席顧問に任じられた。袁さんを長とする中国のハイブリッド水稲の専門家たちは何回も、ベトナム、ミャンマー、インド、フィリピン、バングラデシュ、スリランカ、パキスタン、ブラジル、ブルネイなどの国々へ赴き、ハイブリッド水稲の指導と援助に行った。 |
資料 △ 水稲は中国の食糧生産の中では重要な地位を占めている。年間栽培面積は全耕地面積の約30%を、総生産量は食糧総生産量の約40%を、コメを主食とする人口は全人口の約60%を、それぞれ占めている。現在、中国ハイブリッド水稲の年間栽培面積は約1500万ヘクタールに達しており、水稲栽培面積の51%を占めている。 △ 中国水稲の品種の発展史において、単位面積当たりの生産量に、2回の大きなブレークスルーがあった。1回目は1950年代末から60年代初めにかけての、矮化育種。その主な成果は、株の高さを低くすることによって倒れにくくし、収穫指数を大幅に向上させた。2回目は、1970年代初期の雑種の優勢を利用した育種で、中国水稲の生産量を1ムー当たり400キロ以上に、高生産量地域は500キロ以上にまで高めた。 |
本社:中国北京西城区車公荘大街3号 人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。 |