漢の成立に尽くした軍師・張良
漢の高祖劉邦の軍師として知られる張良は、字を子房といい、戦国時代(紀元前475〜同221年)の韓の人。祖父、父はともに韓の宰相だったが、後に韓は秦に滅ぼされ、張良は、亡国の仇を討つことを誓った。
そんなある日、橋を渡ろうとしていた張良は、一人の白い髭を蓄えた、白眉の老人に出会う。その老人は、わざと自分の履いていた靴を橋の下に飛ばし、張良に、取って来て履かせるよう命じた。張良は言われた通りにしたが、老人はただ、5日後の朝、ここに来るよう言い残して去って行った。
5日後の朝早く、張良は約束どおりにやって来た。しかし老人はすでに橋の上に立っており、自分より遅く来た張良に、5日後の朝、再び来るように言った。次の5日後も、老人は張良より早く来ていた。
張良は、次こそ老人を橋で待つために、4日後の夜更けに同じ場所に行った。現れた老人は、西周(紀元前1046〜前771年)時代の、姜太公(太公望)が書き残したといわれる伝説の兵法書『六韜』を張良に渡した。
張良はこの兵法書を日夜研鑽し、ついに智謀にたけた知恵者になり、漢王朝(紀元前206〜220年)の開国の元勲になった。そして高祖は張良をこう評した。「本陣の中で作戦を練り、千里の外で勝ちを制したのは、子房の功なり」
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