【あの人 あの頃 あの話】Q
北京放送元副編集長 李順然

酒は「乱に及ばず」を守るべし

中国風の乾杯をする法政大学教授小峰王親さん(右)と筆者(北京鴻賓楼飯店で)

  半世紀も昔の話になるが、日本での生活にピリオドを打ち、中国に帰ってきて最初に口にしたお酒は、「竹葉青酒」だった。「竹葉青酒」は、山西省杏花村産の汾酒を竹の葉などに浸けて造ったお酒で、淡いみどり色をしていて、甘く口当りがよく、しばらくは馬鹿の一つ覚えのように、この酒ばかり飲んでいた。ちなみに、山西省杏花村は唐の時代の詩人である杜牧の「清明の時節雨紛紛」で始まる「清明」という詩の舞台だという説もある。
 
  その後、仕事の関係で日本から来たお客さんをもてなす宴会などに出席するようになり、そこでめぐり会ったのが「茅台酒」(貴州省茅台鎮)、「五糧液」(四川省宜賓)、「古井貢酒」(安徽省亳県)といった中国の十大名酒である。わたしは、だんだん「竹葉青酒」ばなれし、「古井貢酒」にひいきが移っていった。

  「古井貢酒」は、名声の面では中日国交正常化の宴席での周恩来総理と田中角栄首相の乾杯に使われた「茅台酒」や、中国人民解放軍の創始者の一人である朱徳将軍ご自慢の「五糧液」にはかなわないが、その素朴な香りと味はなんともいえない。

  ちなみに、「古井貢酒」の産地である安徽省亳県が『三国志』の英雄である曹操の故郷であることも『三国志』ファンの私を「古井貢酒」びいきにしたのかもしれない。
 
  こうしたお酒との付き合いのなかで、中国風の飲酒のマナーを学んだ。このマナーの核心は、孔子が『論語』で教えている「乱に及ばず」「酒の困れを為さず」だろう。中国では、酔っ払って他人に迷惑をかけるような人は、酒飲み仲間からもあまり歓迎されない。写真にあるような、飲みほした杯を倒してその底を相手に見せる中国風の乾杯の仕方など、中国風の飲酒の作法も、先輩たちから教わった。
 
  幸いなことに、半世紀にわたる飲酒遍歴のなかで、どうやら「乱に及ばず」「酒の困れを為さず」の中国風飲酒マナーは、基本的に守られてきたようだ。
 
  一回だけ、スレスレのところまで、酔ったことがあった。例の中ソ論争が盛んなころ、1963年だったと記憶している。ある日、この論争の中国側の文書を翻訳し、外国人に向けて放送している私たち北京放送局のスタッフをねぎらって、局長の金照さんが宴会を開いてくれた。金さんが範を垂れ、大いに杯を空けたので、宴席は盛り上がった。
 
  私はかなり酔った同僚に腕を貸して、その家まで送ってあげたのだが、そのあとどうやって自分の家に帰り、ベッドに入ったのか、まったく記憶がない。恐る恐る家内に聞くと「いくらか酔っていたけど、問題なし」というので、それ以上は深く聞かなかった。この日の酒は「五糧液」だった。
 
  同じ年に、同じ理由で、私たち北京放送局のスタッフは、周恩来さんとケ小平さんから食事に招かれた。場所は人民大会堂、お酒は「茅台酒」。周恩来さんが各テーブルをまわって乾杯し、わたしたちをねぎらってくれた。「さすが『茅台酒』、悪酔いしないね」などと話しながら、家路に着いたのを覚えている。
 
  お酒をめぐる思い出は楽しい。ここ数年は体調を崩してお酒から遠ざかっているが、禁酒する気持ちはまったくない。停酒である。ビールのジョッキを傾けながら、息子と共通の趣味である中国史を語りあえる日をめざして、トレーニング中といったところだ。


 
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