岳母の刺青
岳飛(1103〜1142年)は、字を鵬挙といい、相州湯陰(河南省)の人。南宋時代(1127〜1279年)、将軍として活躍した、民族の英雄である。
北宋時代(960〜1127年)の末期、北方の少数民族――女真族の政権である金国による軍事侵略が起こった。岳飛は身を投じて金軍と戦った。出征前、岳飛の母・姚氏は、彼の背中に「精忠報国」の文字を彫り、この言葉は、終生変わらぬ岳飛の信条になった。
北宋の都である肚(河南省開封市)が攻め落とされ、欽宗皇帝と太上皇徽宗も金軍に連れ去られた。規律厳正で勇敢だった「岳家軍」を率いる岳飛は、占領された北方で金軍と戦い続けた。
臨安(浙江省杭州市)で即位した南宋の高宗皇帝は、自分の皇位を保つため、岳飛に金と戦うよう命じたが、失った領土をすべて奪い返すという岳飛の提案は受け入れなかった。
「岳家軍」が勝ちに乗じ北上している中、高宗と宰相の秦檜は、金との講和交渉を行っていた。そして、南宋はみつぎものを奉ずるという金の条件に屈して臣服し、岳飛の「岳家軍」は、急いで臨安に呼び戻された。その2年後、わずか39歳の岳飛は、秦檜に無実の罪を着せられ殺された。
「岳母の刺青」や「岳飛の抗金」の物語は、千年あまりにわたって広く伝わり、岳飛は各時代の愛国者の手本になった。
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