保護される伝統芸能や技術
                                                                          魯忠民=文・写真

展示ホールの正面には、崑曲を紹介する幕が飾られていた

 国民の文化遺産に対する保護意識を高め、保護活動を全面的に推し進めるために、中国政府は今年から、毎年の6月第2土曜日を中国の「文化遺産の日」にすると決定した。
 
 これに先立ち文化部は、無形文化遺産保護の成果を披露する展覧会と演芸の夕べを開催。数千年にわたって伝承されてきた数々の文化遺産が全国から集結し、来場者の目を楽しませた。

「世界無形文化遺産」

第1回中国国家級無形文化遺産の推薦リスト

 無形文化遺産保護の成果を披露する展覧会は、中国の伝統祭日・元宵節(旧暦1月15日)の期間、北京にある中国国家博物館で開催された。大ホールの正面には、伝統芸能「崑曲」(崑劇とも呼ばれる)の展示エリアがあり、1930年に京劇の名優・梅蘭芳が米国で崑曲を演じたときに使用した巨大な幕が飾られていた。

唐代の琴で『流水』を演奏する中国音楽学院の李祥霆教授と教え子

 中国には現在、ユネスコの「世界無形文化遺産」(人類の口承および無形遺産の傑作)のリストに登録されている無形文化遺産が4つある。崑曲は2001年に登録された中国初の「世界無形文化遺産」である。

 その後、03年には伝統器楽「古琴」が、05年には「ウイグル族のムカム」(詩歌、音楽、舞踏などを一体化させた芸術)と「蒙古族の長調」(息の長い発音と高音に特徴がある民謡)が登録された。

中国の多数の学者が20年余りかけて収集・編纂した『中国民族民間文芸集成誌書』

 北京民族文化宮で行われた演芸の夕べでは、この4つの文化遺産のステージが催され、崑曲の優美さ、古琴の悠遠さ、長調の重々しさ、ムカムの激しさに観客たちは酔いしれた。

 崑曲は元代末期、江蘇省崑山地区で生まれた。すでに600年以上の歴史を持つ。今回の夕べでは、蘇州崑曲劇団が『牡丹亭・驚夢』を上演し、浮遊する笛の音、美しい節回し、柔らかな舞によって観客を夢の世界へといざなった。

 展覧会では、「枯木竜吟」と呼ばれる唐代の琴、「鳴鳳」と呼ばれる宋代の琴が披露された。どちらも非常に貴重な古琴である。

蒙古族の長調民歌

 1977年にNASAが打ち上げた無人惑星探査機「ボイジャー」には、人類の文明を代表する楽曲27曲を収録した1枚の音楽CDが搭載されていたが、東洋文明の代表は琴の名手・管平湖が「鳴鳳」で演奏した名曲『流水』だった。

 中央音楽学院の李祥霆教授と教え子は夕べの席で、この『流水』を演奏した。使用したのは李白が55歳のときに作られた「九霄雲佩」という唐代の古琴。この1250歳の琴はすばらしいメロディーを奏でた。

各地から集まった文化遺産

vウイグル族のムカム

 展示会場は「総合展示ホール」と「地方展示ホール」の2つに分かれていた。総合ホールでは、無形文化遺産保護に関する政府の政策と方針、および新中国が成立してから50年余りの遺産保護の成果を展示。地方ホールでは、全国30カ所余りの省、直轄市、自治区が、各地の概要、保護活動の成果および遺産資源を紹介した。

崑曲『牡丹亭・驚夢』。原作者は明代の戲曲家・湯顕祖(1550〜1616)

 56の民族が数千年にわたって伝承してきた文化遺産の数々が可能な限り展示され、悠久の歴史を持つ文明大国である中国には、口承伝統や芸能芸術、民俗活動、儀礼、節句、手工芸技術など、無形文化遺産が豊富であることが一目瞭然だった。

 文書や映像、マルチメディア、写真などによる展示のほか、清代の脚本、旧式の商業看板、湖南省江永県の「女書」(女性文字)、木の葉に書かれた手紙、バイタラ(タラの葉に書かれた経文)、少数民族の善本や手書き本など、めったにお目にかかれない貴重な実物も数多くあった。また、中国各地から優れた文化遺産の継承者を招き、刺繍や泥人形、切り紙、年画・印刻、タンカ(チベットの宗教画)、凧、糸操り人形などの製作実演も行われた。さらに、天津・楊柳青の年画や、彩色を施した泥人形、青田石彫刻など、各地の民間手工芸の逸品が披露された。

福建省泉州の糸繰り人形。30本以上の糸を繰って、疫病を防ぐ鬼神・鐘馗(しょうき)が酔った様を生き生きと演じる

 チベット自治区からやってきた研究スタッフの郭林新さんとアリさんは、「展示場所が狭すぎます。北京の人々がこんなにも熱心に参観してくれるとは思ってもみなかった。大勢の人が足を運んでくれたのに、私たちが持ってきたものすべてを見せることができず、本当に残念です」と話した。彼らは70点余りの展示品を持ってきたが、場所に限りがあったので、40点余りしか展示できなかったという。

 今回の展示面積は約5000平方メートルと、決して小さくはなかったのだが、各地方はこの展覧会を非常に重視したため、合わせて6000点以上の展示品が集まった。そこで、専門家に選別された2000点余りしか実際に展示できなかったのだ。

全国で始まった調査

南京雲錦(伝統的な錦織物)の職人が15世紀に作り、皇帝の長衣を製作した「大花楼木織機」(空引機)は注目の的となった。現在もすばらしい雲錦を生み出している

 2005年、中国は全国規模で無形文化遺産の全面調査を始め、国家級遺産リストの登録推薦・申請、審査作業を進めた。各地方はこれに積極的に応え、文化遺産を国家に推薦するため、県レベルから市レベルへ、市レベルから省レベルへと順々に選別を行った。最終的に、各省・自治区・直轄市は合わせて1315項目の無形文化遺産を国家に推薦し、そのうち519項目が国家級遺産に選ばれ、今回の展覧会で公表された。

 それでは、国家級遺産への申請はどのように行われるのだろうか。河北省からやってきた孟貴成さん(27歳)に話を聞いた。

まるで命があるかのような表情の布袋人形

 河北省は04年、民族民間文化研究保護センターを設立。05年に大学を卒業した孟さんは同センターに就職し、第1回国家級無形文化遺産リストへの申請作業に関わった。センターはまず、各市や県に通知を出し、それを受けた各地は全面調査を行ったうえで申請項目を推薦した。センターはまた、同省や北京から招聘した専門家を含む20人余りの専門家委員会を組織し、各市・県文化局の管理スタッフを育成して、第一回民間文化継承者百人を選定。無形文化遺産の保護条例も起草した。

 そして、各市・県から届け出されたリストをもとに、国家級遺産に申請する77項目を選出し、国の文化部に提出。最終的に38項目が国家級遺産の推薦リストのなかに登録された。今回の展覧会では、河北省からは年画、切り紙、影絵、曲馬、内画など11種類44点が展示された。

途絶えつつある伝統

会場では1950年にワイヤー録音機によって録音された二胡演奏家・華彦鈞が演奏する『二泉映月』を視聴できた

 展覧会には本誌で紹介したことがある民間文化の職人が数多くいた。福建省ショウ州の人形彫刻の名人・徐竹初さんは息子を連れ、彫刻や人形芝居の実演をしていた。巧みな彫刻技術と個性あふれる人形に、多くの人は感嘆の声を禁じえなかった。

福建省泉州の古典音楽「南音」。演奏前、伝統に準じて祖師を敬う儀式を行う。琵琶を横に抱えての演奏は、敦煌の壁画のなかで見られるのみ

 北京の凧といえば、哈魁明さんと孔祥沢さんの2人が有名である。哈さんはツバメ型の凧と巨大な凧で名を馳せ、1912年のパナマ国際博覧会では銀賞を獲得した。孔さんは一生を「曹氏凧」(創始者は『紅楼夢』の作者・曹雪芹だと言われている)の研究と複製にささげており、古代の優れた凧の伝承に貢献している職人だ。現在、哈さんはすでに亡くなり、孔さんも80歳を超す高齢となった。

世界的に名高い少林寺拳法。 今回の公演は少林寺の住職・永信法師が座禅している前で行われ、「禅と武を一体とし、武をもって表す」という少林寺の理念を披露した

 展覧会では、海外の大会で何度も賞を獲得し、父親と『中国哈氏凧筝』を執筆した息子の哈亦奇さんが実演を行った。孔祥沢さんの息子の孔令民さんと孫も、孔氏凧の継承者として実演した。

 北京群衆芸術館の専門家・石振懐さんは「北京にもともとあった古い遊びや芸能の多くは、伝承が途絶えてしまいました。受け継がれているものも、先人たちの技芸に比べると、ただ似ているだけで、本物にははるかに及ばないのです」と話す。

「哈氏凧」の継承者・哈亦奇さん(右端)

 北京にはかつて、郎紹安 さんというしん粉細工の人形作りの名人がいた。彼は清代末期、「麺人の郎さん」として名を馳せた。郎さんは「72行」(あらゆる業種の総称)という、当時の北京のさまざまな職種の人物を本物そっくりに作り出した。例えば、「金物の修理屋」という作品は、肩に担いだ道具まで、すべて緻密かつ具体的に作られていた。しかもすべて自分の記憶をもとに、あっという間に作り出すのだ。

息子やアシスタントと一緒に布袋人形を繰る福建省ショウ州からやってきた徐竹初さん(右)

 これはどんなに優秀な彫刻家がいくら頑張っても、あるいはくまなく資料を調べたりしても作ることができないものだ。

 「無形文化遺産の保護において重要なのは技芸です。人がいなくなれば技芸もなくなってしまいます。そこで、当面の急務は、絶滅の危機に瀕している技芸を救うことで、それはつまり伝承者を守ることです。映像や文字など形が残る方法によっても、記録し留めなければなりません」と石さんは語る。

「どう守るか」が今後の課題

「万工轎」と呼ばれる浙江省寧波の嫁入りかご。精巧な彫刻が施されている

 今回の展覧と公演活動を企画したのは、長年、民間音楽と宗教音楽について研究を行っている中国芸術研究院無形文化保護研究センター主任の田青さんだ。田さんは、「中国の無形文化遺産の現状は『心配』という二文字で表せます。中国は近代化建設の最中にあり、かつての生産方式や生活様式は急速に変化しているからです。例えば民謡。昔はたくさんの仕事唄がありました。田植えの時には田植え唄を歌い、樹木を伐採する時にはきこり唄を歌う。しかし今では、すべてが近代化され、昔の民謡もなくなってしまったのです。地方劇もそうです。テレビや流行の芸術が普及したため、若者たちはもう地方劇を見ません。1950〜60年代、山西省には地方劇が52種類ありましたが、今残っているのはたったの28種類です」と話す。

江蘇省無錫の「恵山泥人形」に興味を抱く小学生(右)

 現在、中国の無形文化遺産は二つの大きな問題に直面していると田さんは考えている。一つは経済が発展し、物質生活が向上したことにより、人々が文化遺産保護を重要視する認識に欠けること。もう一つは流行の芸術の普及により、伝統芸術の存在場所が侵されていることだ。

 「中国が無形文化遺産に対して関心を持つのが遅かったのは確かです。隣国の韓国や日本では、20世紀半ばから、自国の伝統的な民族文化を守る対策を行ってきました。私たちは意識するのは遅れましたが、急いで対策を取ればまだ間に合います。もし何もしなければ、10年後には中国の無形文化遺産はほとんどなくなってしまうでしょう。そのとき後悔しても遅いのです」と田さんは指摘する。

海南省の絹織物「竜被」。死者の棺にかける装飾品だ。リー族の人々が作る絹織物は技術的に優れ、かつては皇帝の長衣を製作したことがあるとも伝えられている

 国民の無形文化遺産保護に対する意識を高めようと、政府は今年から「文化遺産の日」を制定した。関連法律の『中国無形文化遺産保護法』も全国人民代表大会に提出された。文化遺産の保護を重点的に検討する国際シンポジウムも近いうちに開催され、昔ながらの生態の保護(文化遺産を生みだした生産方式や生活様式と一緒に保護する)、博物館による保護、文化遺産の伝承と近代化の関係、文化遺産の保護と観光の関係などにおける問題について討論し、最善の解決方法を探る予定だ。

 中国は今、文化遺産について全面的な調査を進めており、現状をはっきりさせ、保護する内容について明確にしている。「どのように保護するか」今後はこれが、さらに困難を極める課題となるだろう。


 
本社:中国北京西城区車公荘大街3号
人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。