文姫、漢に帰る
蔡文姫は、文学者で書道家の蔡ヨウの娘で、後漢(25〜220年)晩期の人。文姫は幼少のころから利発で、博学多才、詩と詞、音律に通じていたが、その一生は不遇であった。
父は、権臣王允の恨みを買い、無実の罪を着せられて殺害された。嫁入りした次の年に夫を亡くした文姫は、戦乱の中、匈奴によって河南の故郷から連れ去られ、匈奴の左賢王に嫁がされて12年を過ごし、2人の子をもうけた。
曹操は北方を統一した後、よき友だった蔡ヨウを懐かしみ、彼の娘が不運であることを知る。そして高価な贈り物を持たせた使者を匈奴のもとに遣わし、彼女を請け出したいと望んだ。匈奴は蔡文姫の帰漢を認めたが、子供を連れて帰ることは許さなかった。文姫は、ただ悲しみをこらえて子供たちと別れるしかなかった。
千里はるばる故郷に帰った文姫は、曹操の仲人で董祀に嫁いだ。そして曹操の期待に従って、『後漢書』の編纂に参加し、記憶を拠り所に、父の遺稿400編を書き記した。
絵に描かれているのは、文姫が帰郷して父の墓に参拝したときの場面である。彼女は、心の中の苦しさと悲しみを父親に伝えるかのように、琴を奏でながら、自ら作った『胡笳十八拍』を歌っている。
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