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林崇珍 王浩 沈暁寧=文 馮進=写真 |
中国の大都市では、世界のあらゆる自動車を見ることができると言っても過言ではない。中国が自主開発した国産車だけでなく、米国車、ドイツ車、日本車、韓国車、イタリア車、ロシア車、スウェーデン車……。大小の乗用車もあれば、バンやスポーツカー、ジープもある。さながら車のオリンピックだ。 昨年、中国は、ドイツや日本を追い越して、米国に次ぐ世界第2の自動車市場になった。世界の有力自動車メーカーがこぞって中国市場に参入し、国有のメーカーも健闘している。まさに群雄が割拠する戦国時代に突入した感がある。 |
特集1
21歳の賈翠菁さんは、中国人民大学の3年生である。18歳のとき、彼女は運転免許を取った。免許は取ったが車がない人を中国では「待駕族」というが、彼女もその一員になったのである。
個性を強調して目立つようにと、多くの若い人たちは、自動車の部品を取り替えたり、車体にさまざまなステッカーなどを貼り付けたりして、自分の車が独特の個性を持つように飾りたてる。「熊出没注意」というステッカーを車の後部に貼り付けているのもよく見られる。 そして音楽を聴きながら、北京の華やかな夜景の中を運転するとき、「楽しさや満足感で泣きたくなるほど幸せだと感じる」と彼は言うのだ。
人の目を引く自動車の広告や全世界同時発売の各種の新しい車種を見る若者たちの目には、自動車は単なる乗り物や高級な玩具ではなく、生活に対する夢のように映る。 だが、1999年、彼は市内の寄合住宅から郊外の団地に引っ越した。住宅は良くなったが、通勤の距離は遠くなってしまった。「当時、妻は毎日、一時間以上も自転車で子どもを学校に送って行った。とくに大風の日や雨の降る日は、妻や子がひどい目に遭っているのを見ると、私は耐えられなかった。車があればよいのにと心の中で思った」と李さんは回顧する。
2001年、李さんは6万元以上を払って、一台の英格爾(ENCOKE)を買った。それ以来、妻の出勤や子の登校を車で送ることは、彼の任務となった。「車がなかったころは、年に一回出かけるのも難しかった。どこへ行くにも遠いと感じた。今は北京の郊外にある観光地はくまなく巡ったよ」と李さんは言った。 選択の基準はどこに 中国の人々が車を買うとき、どんな見方をしているか。ごく一般的な見方を紹介しよう。 【中国の自主開発車】価格が安く、受け入れられ易い。
自動車のディーラーたちは、こうした消費者の心理を利用して、広告の中に、いっそう人を引きつける字句を挟み込む。例えば「個性あるきめ細かな生活を追求する大衆(フォルクスワーゲン)の乗用車、宝来(ボラ)」「未来に成功をもたらす大衆のパツ薩特(パサット)乗用車」「情熱をもつ若い都会のホワイトカラーに与える通用(ジェネラル・モーターズ)の賽欧(セイル)」などである。
国家統計局によると、2005年の中国人一人当たりの国内総生産(GDP)は1703ドルに達した。このため、自動車が都市の家庭の中に入ってくるのは、難しいことではなくなった。 しかし、最近の石油価格の上昇で、車にかかる費用は毎月平均2000元にも達し、「車を維持するのは車を買うより難しい」と人々はみな感じるようになった。しかも、マイカーの増加によって、都市の道路は渋滞し、駐車スペースは足らなくなった。「車より歩いた方が速い」と多くの人が不満を言っている。 同時に、自動車の排気ガスは、都市の大気汚染の重要な要因の一つともなっている。そこで、経済的で、環境にやさしく、燃費の良い車が、多くの消費者に歓迎されるようになった。 2002年から、中国の各大手の自動車メーカーは、販売台数を増やすため、次々に値下げ戦略をとった。2002年初め、国産乗用車の紅旗は、3万元値下げして、先陣を切った。続いてドイツのフォルクスワーゲン・グループと米国のジェネラル・モーターズ・グループも、桑塔納(サンタナ)、パツ薩特(パサット)、別克(ビュック)、賽欧(セイル)などの乗用車の価格を6000元から2万元、値下げした。2003年には、乗用車の奥拓(アルト)が3万元未満の価格になり、この年の「最低価格車」となった。 中国自動車工業協会の統計によると、2002年、中国の国産乗用車は全体で、5%から6%、価格を下げた。2003年には、国産乗用車の70車種のうち、30以上が値下げを発表し、その値下げ幅は最大8%から10%に達した。 |
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