尊敬し合う夫婦を表す「挙案斉眉」
成句の「挙案斉眉」は、『後漢書・逸民列伝・梁鴻伝』からの出典。
後漢(25年〜220年)時代、梁鴻という文人がいた。暮らしは貧しかったが、大きな志を持っていた梁鴻は、勉学に励み、博学多才で立派な人格だった。そのため、多くの人が自分の娘を嫁にして欲しいと望んだが、彼は受け入れなかった。
同じ県に孟光という、醜い容貌ながら、よい品性を持った女性がいた。彼女はすでに30歳になっていたがまだ嫁いでおらず、梁鴻のような徳の高い人でなければ、嫁入りはしないといわれていた。梁鴻はそれを知り、仲人を通して孟光に求婚し、妻として娶った。
その後、梁鴻は、憂国憂民の詩を作って朝廷の怒りを買い、皇帝は彼を逮捕するよう命令を下す。それを知った梁鴻は妻を連れて逃げ、名前を隠して、長者の皐伯通の家で働き始めた。
毎日、皐家の米をついて帰ってくる梁鴻を、孟光はいつも食事を用意して待っていた。そして、料理をのせた案(食膳)を眉毛の高さまで挙げ、夫への尊敬を表し、梁鴻もそれに対して、常に礼を以て接した。
皐伯通はこの光景を見て、「一介の使用人である夫に、敬った態度を妻が取っているのは、きっと偉い人に違いない」と考え、自らの家の部屋を空け、梁鴻夫妻を住まわせ、親しい友になった。
その時から、「挙案斉眉」と「相敬如賓(互いに尊敬し合うこと)」は一緒に用いられるようになり、お互い尊敬し愛し合う夫婦を賞賛する比喩として使われるようになった。
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