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左から小渕優子団長、于明新社長鰐淵洋子副団長 |
9月5日午後、小渕優子衆議院議員を団長、鰐淵洋子参議院議員を副団長とする2006年日本青年交流代表団
A団一行38人が、人民中国雑誌社を訪問した。
日本各地の公務員、記者、会社社員、大学生からなるこの日本青年交流代表団は、中華全国青年連合会の招きにより訪中した。今回の訪中では、北京、武漢、上海を訪れる予定。わずか3日間という限られた北京滞在期間中、また武漢へ向かう当日という慌ただしさの中、『人民中国』に強い関心を抱いているという彼らは、わざわざ時間を割いて当社を参観、青年社員たちと交流を深めた。
やさしい小渕優子団長
日本青年交流代表団来訪に先立って、小渕優子団長が故小渕恵三元首相の次女であるということはすでに聞いていた。このことはよりいっそう私たちの交流活動への期待感を高め、自分たち自身の目でこの若い女性議員の魅力に触れてみたいという思いを強めた。
すらりとした体つきの小渕団長は、白い上着と緑のスカート姿がとてもしなやかで、親しみやすいイメージである。
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答礼の挨拶をする小渕優子団長 |
于明新社長の歓迎の挨拶を受けての小渕団長の答辞も、非常に印象深いものであった。団長は次のように語った。「人民中国雑誌社に、流暢な日本語を話せる社員がこんなにたくさんいらっしゃることに、大変親しみを感じました。それに対して、我々代表団には中国語を話せる人があまりにも少ないですね。日中双方の相互理解は、政治家の交流だけでなく、民間の直接交流も非常に重要です。『人民中国』には、よりいっそう日中友好交流に関することを報道していただきたいと思います。この次に人民中国を訪問する際には、少なくとも団員の半分以上が中国語で交流できるようにしたいです」。
小渕団長が于社長から写真集を贈られると、歓迎会の雰囲気はさらに盛り上がった。それは、2002年に出版された、当時の小渕恵三首相と江沢民主席、朱鎔基総理との記念写真及び小渕首相が玉淵潭で植樹した際の写真などが収められた『中日国交正常化30周年』記念写真集だったのである。「父ではありませんか! このとき私もその場にいたんですよ!」小渕先生は驚喜し、写真を眺めながら、感慨深げに当時を懐かしんだ。
話題の中心は流行文化
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『人民中国』翻訳部見学 |
小渕団長を始め、代表団のメンバーに『人民中国』の読者は少なくなかったが、初めて中国に来て、初めて『人民中国』を読んだという青年たちもいた。
こんなにも多くの若き日本の友人たちが雑誌社にやってきたことで、私たちは非常に興奮した。この機会に、日本の青年たちに『人民中国』及び中国に対する良い印象を残したいと考え、記念となる品を贈ることにした。私たちはあれこれといくつかのアイディアを出し合い、最終的に、青年たちひとりひとりの生まれ年の十二支を浮き彫りにした銅製のレリーフを贈ることに決めた。日本の友人たちにそれぞれ生年月日を書いてもらうとすぐ、そのプレゼントを購入するために大急ぎでスタッフが店頭に走った。非常に慌ただしかったがなんとか間に合い、彼らがわが社を離れる前にプレゼントを贈ることができた。驚き喜ぶ彼らの顔を見て、私たちも嬉しくなった。
于社長の案内で社内を参観したのち、団員たちは青年社員と個別に交流を深めた。双方ともに若者だけあって、話の中心はやはり流行文化のことになった。
早稲田大学で近代史を勉強したという東哲也さんは、中国の音楽に夢中だ。自分の携帯電話にダウンロードした中国の音楽のコレクションを聞かせてくれた。人気スターのヒット曲から、あまり知られていないような曲まで何でも揃っている。まもなく、彼は周傑倫(ジェイ・チョウ)の『千里之外』という曲をみんなに聞かせ、「聞いたことがありますか」と尋ねた。誰もが「聞いたことがありません」と答えると、彼は、「これは今日発表されたばかりの最新作です。私も買ったばかりなんですよ」と得意げに言った。
また、例えば『HERO』『さらばわが愛/覇王別姫』などの中国映画、『NANA』『鋼の錬金術師』など大人気の日本のアニメといった話題になると、双方共に驚喜の叫び声をあげた。中国語、日本語、英語三種の言葉を取り混ぜ、文字や絵を用いながらの会話の中、こうした馴染みのある名前は、いつでも一瞬にして両国青年たちの心をぐっと近づけてくれる。
驚きだらけの交流
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日本青年代表団の一行と中国国際出版集団の責任および青年たちの記念撮影(写真・楊振生) |
もしも今回の交流活動の主旋律をひとことで表現するとしたら、それは「驚き」に他ならないだろう。
編集部の張春侠は佐崎由佳さんとほぼ同じ歳で、1970年代初めの生まれだ。佐崎さんは、自分が生まれた頃の日本は第2次ベビーブームで、ほとんどの家に子供が1人〜3人いたと言いながら、「何人兄弟ですか」と張春侠に尋ねた。彼女が4人だと答えると、佐崎さんは口をあんぐりとあけて驚いた。「本当ですか? 日本の報道を読んで、中国の家庭はすべて一人っ子だと思っていました。」「中国が一人っ子政策を厳しく推し進めたのは、1980年代のことでした。規定によって、都市部では一組の夫婦は一人しか子どもを持つことができませんが、農村部では少し違っています。最初の子が女の子だったら、2人目の子供を持つことができます。少数民族の生育政策は更に柔軟で、3人目の子供を持つこともできます。20年あまりの一人っ子政策の結果、3億人ほどの人口抑制効果がありました……」彼女はこう説明した。「なるほど。そうだったんですか」。佐崎さんははっと悟ったように言った。「もし中国に来ていなかったら、こんなふうに理解することもできませんでしたね」。「ですから、これからもどんどん中国に来てくださいね。ありのままの中国を肌で感じてください。」「ぜひ、ぜひ!」佐崎さんは嬉しそうに笑った。
翻訳部の銭海澎を驚かせた質問をした日本の友人もいた。「中国の女の子はダイエットしますか?」彼女はびっくりしたが、すぐに「しますよ」と答えた。彼女にとって、それは日常茶飯事の当たり前のことで、どうしてわざわざそんなことを聞くのか、とても不思議だった。
別れるまでには、みんなすっかり仲良くなった。短い時間だったため、まだまだ話し足りない気持ちが残った。そこで、お互いにメールアドレスを交換し、これからはインターネットなどを通じて、友好的な交流を続けていくことを約束した。
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