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成徳 趙京武 李リ=文・写真 |
旧州。かつては「那籤」と呼ばれ、広西チワン族自治区靖西県の県城の南、9キロのところにある。旧州は歴史が古く、風光明媚で、チワン族の風情が色濃く、「チワン族の生きた博物館」と言われている。 チワン族の人々は、刺繍を施した鞠――「繍球」を作る。その歴史は非常に長く、「旧州の繍球」といえば、その構造は独特で、素材は選び抜かれ、しかもすべて手作りであり、小さくて精巧、色鮮やかであることから、繍球の逸品であると称えられている。 旧州繍球の昔と今 旧州の「繍球一条街」の石畳の道を歩むと、川に沿って建てられたこの街に特有の民族的風情を強く感じる。石畳の地面、黒く大きな煉瓦の塀、褐色のぶ厚い板の門……。古い民家の前ではどこも、娘たちが座って繍球を縫っている。彼女たちの前に置かれた木のテーブルの上は、鮮やかな布切れや絹のリボン、絹の糸でいっぱいだ。その傍らにある自家製の木の棚の上に、赤い絹のリボンでつるされた、赤や黄、青、緑が交互に入り混じった繍球が掛けられている。繍球は大きなものも小さなものもあり、鮮やかに輝いている。 繍球の歴史は、2000年以上、遡ることができる。当時、石を振り回して投げつける「飛艨vという青銅製の古代の武器が、戦いや狩猟によく使われていた。それが後に、次第に現在の繍球になった。
千年近くにわたって、繍球はずっと愛情のしるしの品として、若い男女に愛されてきた。春節や「三月三」(チワン族伝統の祭日)、中秋節などの伝統的な祭日になると、チワン族の若い男女は互いに誘いあって、村はずれの畦道や川辺の草地で、男たちと女たちがそれぞれ一列に並び、互いに歌で問答をしながら気持ちを伝え合う。そして女の子が意中の人に繍球を投げる。もし双方が意気投合すれば、将来を約束する。 時代の変遷につれ、もともとチワン族の男女の愛情のしるしだった繍球は、親族や友人に贈って気持ちを伝える縁起物になった。現在、旧州では、7、8歳の女の子から60、70のお婆さんまで、みな針仕事で繍球を作ることができる。ほとんどの家が、繍球の商いをしている。 旧州の繍球は、刺繍方法によって二種類に分けられる。普通の繍球は、一本の糸で刺繍する。花弁の形をした生地に刺繍した色とりどりの図案は平面的で、線や色彩は絵のように美しく、刺繍方法とその工程は比較的に簡単である。これに対し、数本の糸で刺繍する「重ね刺繍の繍球」は、図案がより精美、複雑で、描かれたものは生き生きとして立体感があり、まるで生きて勢いよく出て来るような感じを受ける。これは、繍球の中の逸品であると言うことができる。 旧州の繍球の作り方は、かなり念が入っている。すべて手作りであるだけではなく、その工程もかなり厳密である。 まず、繍球の表面の布製の外殻を作るには、綿布4枚を糊で平らに張り合わせ、それにさまざまな色の絹の布を貼り付け、これを圧して、平らで丈夫な布製の外殻を作る。続いてそれを花弁の形に切る。旧州の繍球は一般に、大小を問わず、12枚の花弁からできている。
その次に、花弁の上に図案を縫い取る。これは最も重要な工程で、普通は繍球が小さいほど図案は簡単で、大きいほど図案は複雑で生き生きとしている。「中間の4枚の花弁は題材に拘らないが、他の8枚は、上の4枚に必ず鳥を、下の4枚に必ず獣を題材にする」と決められているという。 直径6センチ以下の繍球の図案は、旧州の女性たちのほとんどが自分で描くことができる。しかし直径8センチ以上、例えば、12センチ、20センチから1メートル、2メートルという大きな繍球の場合、どんな図案を刺繍し、図案の上の色彩をどう組み合わせるかは、まず絵に長じた人に図案を描いて、色を組み合わせてもらい、彼女らがそれを透き写しする。 さらにその次の工程は、三角の細長い繍球の花弁を作る。昔は、花弁の中に入れるものとして、緑豆、粟、綿の実、もみ殻がよく使われた。これは繍球に一定の重みを持たせ、投げたり捕ったりするのに適している。同時に、友情や愛情の種を相手に投げることを暗喩し、あるいは愛情が緑豆のようにいつも緑であることを示している。 いつのころから始まったかはわからないが、旧州の繍球は、使い古した綿を詰めるようになったが、後に、これは不潔で、湿り易いため、湿りにくい木屑を詰め物に使うようになった。 最後の工程は、中に詰め物をした三角の細長い花弁の先端と先端とを縫い合わせ、丸い鞠にすることだ。ビーズや絹のリボンなどの飾り物を縫い付ければ、緻密で精巧な繍球ができ上がる。 繍球で豊かになる 黄肖琴さんは、旧州の、民間手工芸の職人の家庭に生まれた。父親は家庭で使う木彫りの品や竜灯踊りの竜頭などの手工芸品を作っていた。
彼女は8歳から繍球の作り方を身につけ、その後、巧みな刺繍の腕で頭角を現した。彼女がデザインした繍球は、直径が5センチから40センチまでいろいろあり、図案はどれも立派なものだが、作るたびに繍球の図案は、ダブることがほとんどない。 普通は、繍球の花びらの繋ぎ目に多くの飾りのリボンがついているが、黄肖琴はこうしては精緻な細工が見えなくなってしまうと思い、飾りのリボンの一部を取り去って、精緻な細工がすべて見えるようにした。 繍球はよく見ると、31の花弁の上に生き生きとした鳳凰や鶴、梅の花、バラ、「福」や「寿」の字をあしらった図案などが刺繍されていて、幅の広い赤い絹のリボンに映えて、素朴な中にも豪華さが感じられる。 自分で大いに工夫を凝らして作った繍球を眺めているうちに、黄肖琴さんは、この繍球を友人に頼んで、県城で売ることを思いついた。一週間後、友人から電話があり、繍球を50個、急いで作ってほしいと言ってきた。これが最初の注文だった。 時間がないので、黄肖琴さんは、農閑期で家にいる農家の女性たちに手伝ってもらおうとしていたが、こんな小さな繍球でお金が稼げるとは誰も信じなかった。黄肖琴さんは何度も頼み込んで、生地や糸、針を買い整え、彼女たちに送った上、もし繍球が売れなかったら生地の代金はいらないと再三、約束した。それでついに、隣りに住む50過ぎのおばさんが、繍球を作ることに同意した。 そして今、黄肖琴さんといっしょに繍球を作る人は、数百人になった。旧州の小学生だけではなく、各地から黄肖琴さんの名を慕ってやってきた人もいる。多くの人が、繍球の制作と販売を通じて豊かになった。
繍球は海外にも売れている。アメリカの取引先は、3年連続で、毎年1万個以上、注文してきた。さらにクリスマスツリーや平和の鳩などの抽象的な図案を持ってきて、これを大量に生産してほしいと注文した。黄肖琴さんは、これが旧州のすばらしい刺繍工芸を発展させ、刺繍製品の等級と品位を高める絶好のチャンスになると考え、思い切って注文を受け、自ら見本の製品をデザインし、制作した。そして各戸を回って、手を取って制作方法を教えた。 このほか、旧州の人々は、日本の国立民族学博物館の要望に応じて、直径1.2メートルの大型の繍球を作ったこともある。その繍球は、同博物館に収蔵されている。また香港、澳門の復帰に当たり、直径がそれぞれ1.997メートルと2メートルの巨大な繍球を制作したこともある。 現在、アメリカ、日本、カナダ、シンガポール、オーストラリア、南アフリカや香港、台湾、北京、広州などから、注文が降るように来ている。旧州の女性たちは、農繁期が終わるとすぐに、昼夜休まず、残業して繍球制作にいそしんでいる。現在、旧州繍球の年間生産量は、すでに20万個を上回っている。 |
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