頤和園の長廊画(最終回) 写真・文 魯忠民
   
 

穆桂英、元帥となる

 北宋(960〜1127年)時代、北方の少数民族契丹人が打ち立てた国家―― 遼王朝は幾度となく中原(黄河中流・下流地域)に侵攻した。外敵侵入に抵抗するため、名将楊継業一族は忠義を尽くし命を賭して、長きにわたって戦場で戦い続けた。戦死する者もあれば、奸臣に陥れられ冤罪の晴れぬまま命を落とす者もあり、残された孤児や未亡人たちは故郷に帰って隠れ住んだ。

 やがて西夏王の反逆が始まると、宋の皇帝は武芸試合で元帥を選ぶよう命令を下した。楊継業のシャ夫人太君は国をひどく憂い、曾孫の楊文広兄妹を都に差し向けて様子を探らせた。二人が都に着くと、ちょうど試合が行われているところだった。機に乗じて楊文広が飛び入りし、王倫を刀で叩き切り、帥(最高指揮官)の印を奪い返して戻ってきた。

 宋の皇帝は彼が楊家の末裔と知ると、その罪を許して印を賜り、兄妹の母である穆桂英に元帥として出征するよう命じた。楊家は幾度となく奸臣に陥れられてきたため、齢50を過ぎた穆桂英は深い恨みを抱いており、帥の印を受け取りたがらない。そこで、民族の大義を重く見たルワ太君が、桂英説得に乗り出した。こうして、穆桂英は鎧に着替え颯爽とした勇姿で、自ら指名した将軍たちと共に大軍を率いて、毅然と出征した。

 『穆桂英掛帥(穆桂英、元帥となる)』は元代の小説と民間伝説に由来するものであるが、戯曲として最も早く取り入れたのは、豫劇(河南省の地方劇)の作品であった。

 
   
   
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 北京の頤和園は、中国清代の離宮である。庭園にある長廊は、全長728メートル、世界でも最長のギャラリーと言われている。その梁の上には人物や山水、花鳥、建築など各種の彩色画が8000以上ある。なかでも人物画は中国の古典文学、歴史物語、神話伝説などから材を取って、描かれている。本誌では今月号から長廊の彩色画を1つずつ取り上げて、絵画に描かれた物語をご紹介していきたい。

 

   
 

 
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