|
中日関係史学会理事・北京東方の星総合企画代表
李建華=文・写真 |
1998年の夏、百年に一度という規模の大洪水が中国を襲った。長江大洪水である。これをきっかけに、中国政府は長江上流の植林の重要性を認識した。 1998年、当時の江沢民国家主席と小渕恵三首相は生態(エコロジー)分野での協力に合意。中国政府は日本政府に長江の生態建設への支援を要請し、両国の政府は長江上流の安寧河・金沙江流域で協力プロジェクトを行うことになった。 2000年7月、JICA(国際協力事業団、現在の国際協力機構)の技術協力プロジェクトとして「四川省森林造成モデル計画」がスタート。モデル林の造成や人材の養成などが進められた。
6年経った今、安寧河の流域はどんな状況にあるのか。それを知るために9月中旬、四川省涼山イ(彝)族自治州を訪ねた。 四川省の南西部に位置する涼山イ族自治州は、昔から「南のシルクロード」の要衝として知られ、イ族をはじめとする少数民族が入り混じって暮らしている。前漢の司馬遷、蜀漢の諸葛孔明、元の世祖フビライ、旅行家の徐霞客やマルコ・ポーロなど歴史上の著名な人物が足跡を残した地域でもある。 17の県から構成され、総面積は6万平方キロ。人口は415万人で、そのうち176万人はイ族である。「建昌」という古称のある西昌市は、中国の「宇宙シティー」として有名で、観光都市を目指している。インフラ整備に力を入れ、高層ビルはまったくない。りっぱに整備された道路沿いにはブーゲンビリアがピンクの花をいっぱいつけていて、心なごむ場所という印象を持った。 「安寧」とは無縁の安寧河
目の前を安寧河が静かに流れている。その両岸には水田が広がり、稲刈りに忙しい村人の姿が目に入った。 涼山州を南北につらぬく安寧河は、雅゚江下流の大きな支流であり、昔は「孫水」「長河」「白沙江」と呼ばれた。清朝になって「安寧河」という名に変わり、それが定着した。涼山州の冕寧から発し、攀枝花で雅゚江と合流して金沙江に流れ入る。全長320キロで、流域面積は涼山州の西昌市、昭覚県、喜徳県などを含んで1万1000平方キロに達する。いわば、長江上流の重要な支流である。
しかし、「安寧河」という名に反して安寧とは無縁の河である。「乾熱河谷」(高温で乾燥した河谷)という複雑な地形や激しい気象変化などの環境要因に加えて、長年続いた森林伐採や過耕作・過放牧など人為的要因により、流域内の土壌流失が著しく、洪水、地すべりなど自然災害が頻発。森林被覆率が27.4%までにダウンし、水土流失の面積は流域全体の45.7%を占めるに至った。 生態環境の劣化は1998年の長江大洪水という甚大な被害をもたらす一因ともなった。年間降水量は850〜1200ミリで、日本のNGO「緑の地球ネットワーク」が15年も続けて造林活動を行ってきた黄土高原の大同より3倍も多いものの、蒸発量は降水量を5、6倍も上回り、特に乾期の3月から5月にかけて強い南風が吹いて降水量の十数倍になることから、いくら造林しても林ができない状態に陥る。そして、植物の生育が極めて困難な海抜3000メートルを超える高海抜寒冷地帯も抱えて、森林造成をいっそう難しくしている。 「安寧」のために 緑の証し 赤茶けた安寧河が美しい緑を映し、安寧を取り戻すために、水土流失の減少、生態環境の回復、少数民族地域の経済発展や現地住民の貧困脱却を目的として、JICAは専門家による造林、苗畑、訓練普及という3つの分野を中心とした「四川省森林造成モデル計画」を2000年7月より実施し始めた。
安寧河西岸にある瑯環郷モデル造林地に辿りついた。「乾熱河谷」に属するこの地域に、中国は1960、70年代にウンナンマツの航空播種を行ったが、活着率が低く、思い通りに造林が実らなかった。地元林業局はこれまでに何回も植林を試みたが、結果はいずれも好ましくなかった。 海抜1800メートルで、面積は南向きの斜面で13ヘクタール。2001年に事業最初の造林地としてモデル林を造成した。山全体が草も疎らな石礫地だったという過酷な環境の中、植栽木は今、見事な成長ぶりを見せている。今年3月に涼山州を訪れたJICA緒方貞子理事長が手植えしたウンナンマツが育っている。現地自生の喬木アベマキがところどころに見えるほか、プロジェクトで植えた葉っぱの白っぽいメイデンユーカリなどが元気に育っている。
モデル林の目的は、主に地ごしらえ試験(植樹できるよう土地を整備すること)と樹種選抜試験にある。地ごしらえ試験では主に植穴方式とライブフェンス方式を実施し、樹種選抜試験によってウンナンヒバ、メイデンユーカリ、モリシマアカシアなど20種類の適正樹種が採用されているという。2007年10月までに西昌市、昭覚県、喜徳県でモデル林700ヘクタールを目指す計画面積は、現段階ですでに667ヘクタールが実現され、活着率75%以上を達成しているようだ。 造林事業を持続的に保っていくため、図解を多く取り入れた技術者向けの「造林指南」と、中国語とイ族語を併記した農民用テキスト『造林実用技術』及び『育苗実用技術』を作成した。不可能と思われた困難な場所における造林の成功は、農民の植林に対する意欲を引き出すうえで効果てきめんであり、収入増につながるだけでなく、その参加によって成果が広がる。農民の組織管理、施工管理、検査までを一貫した事業管理ノウハウを徹底できれば、客観的結果として生態環境の良性循環を期待できる。
翌日、涼山州モデル苗畑に案内してもらった。同行して熱心に事業を紹介してくれたチーフアドバイザーの嶋崎省さんは、四川省森林造成モデル計画のリーダーをつとめる。 標高1580メートルで敷地面積が1.8ヘクタールある苗畑は2000年12月に建設され、苗木生産規模は60万本。主に「乾熱河谷」地域の自然条件に適したポット育苗技術を開発して造林の苗木を提供するためのものだ。ここで50あまりの樹種の育苗技術方法を完成し、開発された底なしポット方式による造林や普及用苗木としてこれまでに約300万本を生産した実績がある。 入り口にコンテナ式ポットが幾層にも積んである。今後の植栽のための育苗に使うという。広々とした敷地に建つ鉄筋組みのハウスの中には、地上から高さ50センチぐらいの架台に数え切れないほどポットが並べてあり、数人の女性が挨拶代わりに笑顔を見せながら静かにポットの種まきや散水作業をしている。
嶋崎さんは底なしポットを手にしながら、「従来の底ありポットでは、根はどんどん伸びてもポット内で絡み合っている。それを山の方に植えても、何十年かすると、根同士が絡みあったり絞めあったりし、木が枯れてしまう現象が出てくる。そこで、根をきちっと成長させたほうがいいということで、底なしポットを導入した」と話す。 底なしポット技術では、人工根切りが大変な作業となる。それを克服するために、架台を作り、空気にふれると伸長が止まる性質を生かして、空中根切り技術を開発した。さらにコンテナ式ポットによる育苗技術を開発し、苗木の根曲がりや根巻きを根本的に解消することができた。初期投入は大きいが、技術が確立すれば省力化が可能となり、またポットは繰りかえし使用可能なため、長期的に見ればコストの低減につながるという。
海抜2950メートルの昭覚県碗廠郷大石頭村にある昭覚試験苗畑。面積は1ヘクタールで、苗木の生産規模は5万本。主に高海抜地域に適した樹種を中心に苗木の生産技術を開発している。 遠くに緑と赤茶けた色が混じっている山が見えるが、簡易治山工事中だそうだ。現地で普及できる技術の開発を目指し、小規模だが土が流れないように土嚢積み、石積み、竹柵など表土の移動を止める工法を実験しているという。石、竹、ムシロ、土嚢など資材も現地で調達可能なものを使用し、現場の実状に合わせて事業を運営するJICAの方針が徹底されている。 苗畑責任者の羅伍達さん(イ族)は四川省林業学校を卒業し、2003年7月にこの仕事に就いた。試験苗畑で働いている16人はみんなこの村のイ族の人々。試験苗畑により、収入を得るだけでなく、苗を育てる技術も身につけることができた。 羅さんの話によると、退耕還林(耕地を林に戻す)や封山育林(森林への立ち入りを禁ずる)によって勝手に伐採や放牧ができなくなり、生計が立てられなくなった。そこへ、プロジェクトの日本の友人たちは菜種栽培に資金的支援を行ったばかりでなく、専門家を呼んで現場での技術指導を行い、菜種栽培を導入した。これにより、収入が増えるだろうと、みんな大喜びしているという。
「涼山会」の日本の友人たちは、資金を集めて村のために製粉機を購入したり、小学校の校舎を改築して机や椅子を新調したりと、村人たちととても仲良く付き合っている。涼山会とは、JICA造林事業の実施にともない、プロジェクトと青年海外協力隊の有志20人ほどでできたNGO。生態モデル村である大石頭村で様々な活動に取り組んでいる。 流暢な中国語を話す町田良太さんが涼山会の事務局長をつとめる。昨年9月からプロジェクトの業務調整を担当しているが、難しいコミュニケーション環境のなかでよくコーディネートしていると、中国側パートナーから信頼され、評判が高い。 「碗廠郷温嶺之江小学校」を訪ねた。看板の漢字の横に象形文字のようなイ族の文字が躍っている。小さな庭と教室が3つある。都会と比べると小さすぎるスペースだが、600人の村にしては上出来である。1〜3学年で構成され、55人全員が大石頭村の子どもたちだ。
西部教育を重視するということで政府は学費を免除。イ族の出身で西昌師範学校を卒業した沈阿呷さんと馬明英さんは、涼山会の要請を受けてここで教えて1年になる。先生は3人いて、国語、算数、体育、音楽を教えている。「毎週木曜日に涼山会の方々が来てくれ、子どもたちはとても喜んでいます」と沈さんが笑顔で言った。 取材を終えたその夜、嶋崎リーダーの宿舎でふと壁にかけられている絵に目を引かれた。イ族の5歳の子どもが書いた絵だ。花が咲き、鳥が飛びかう広い野原で、イ族の美しい衣裳をまとって手を携えながら踊る子どもたち。一人は顔を90度まで傾け、大げさな格好で青空を仰ぎみている。中日関係は冷え込んだ時期を乗り越え、いまや新たな交流の時期が訪れている。
涼山民族中学校を訪ねた。1500人を有する学校のなか、日本語を勉強する学生が20人ぐらいいる。日本語の授業の一環として茶道の準備に学生たちはおおわらわだった。全員鮮やかな和服姿で、好奇心に燃える生徒のわいわい騒ぐ風景は微笑ましい。 親身になって付き合う
畳代わりに教室の床に敷かれたムシロに、青年海外協力隊員として派遣されている松浦志保さんがちょこんと座って、実際にお茶をたててくれた。飛び入りの「お客さん」一行に「お茶のわかる方はいらっしゃいますか」と聞くので、「いません」と正直に答えると、「あ、ほっとした」とぽつり。その一言にみんなはどっと大笑いした。 東京出身で音楽大学ピアノ科を卒業した20歳代の松浦さんは、涼山民族中学校高校部で12クラスの音楽授業を担当するほか、音楽クラブも兼任し、中日合作職業訓練班で日本の歌も教える。 「中国語を研修で3カ月習っただけで涼山に来ました。生徒は日本語が分からないため、授業は中国語で教えます。今は四川方言も分かるようになりました。1クラスに90人もいることには驚きましたね。全員の名前は無理ですが、顔は覚えています。みんなよく勉強します。価値観や生活スタイルの違いは感じますが、困ったことはありません。人々は気持ちがおおらかで、心が広い。毎日がとてもたのしいです。イ族の歌とダンス「達体舞」も覚えました」と話す。
広島県西条市の出身で関西学院大学を卒業した30歳の友貞新さん。涼山民族中学校の中日合作職業訓練班日本語クラスで2期生に日本語を教えている。 高校や専門学校を卒業しても仕事が見つからない若者を集めて職業訓練として日本語やパソコンを勉強させ、コミュニケーション能力を重視して教えるが、厳しい就職状況の中で、就職の面倒まで見ざるを得ない。去年一期生13人が卒業したが、一人は友貞さんのアシスタントをつとめているほか、ほぼ全員が上海の日系企業に就職が決まった。 現場主義の大切さ 青年海外協力隊の事業は1965年の発足以来、80カ国に約2万7000人の隊員を派遣している。そのうち中国へは、2006年10月現在までで609人の隊員が派遣されている。現在派遣中の協力隊員は73人である。 中国への協力隊員は遠隔地に派遣されるケースが多い。「現地の若い人と交流できて、人と人との交流が相互理解につながって意義のあるいいことだ」と友貞さんが言えば、「協力隊員の派遣制度は、特にこの時期の日中関係において、相互理解のためにプラスになると思います」と松浦さんも言う その通りだ。若者は未来の担い手である。中国と日本の国民間の理解が難しい現在は、植林と同じように、「現場主義」を貫くことが非常に大切だと思う。長い目でみれば、 のこの派遣制度は、日中の信頼関係を醸成する確かな礎となるに違いない。
|
|