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日中文化交流協会が派遣した初めての作家代表団が訪中。周恩来総理(右から2人目)の招宴に出席した青野季吉(左端)、宇野浩二(左から2人目)、久保田万太郎(右端)の諸氏。1956年11月11日、北京の平和賓館 |
「写真で見る日中文学交流の50年展」が2006年9月19日〜27日、北京の中国現代文学館で開催され、好評を博した。
この写真展は、日本中国文化交流協会の創立50周年を記念して、中国作家協会と日中文化交流協会の共同主催で開かれたもので、当協会が提供した220点の写真と日本の作家の肉筆原稿などにより、日中文学交流の50年の歩みを再現した。
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茅盾(左)と中島健蔵の両氏。(1962年10月、北京) |
50年前の1956年3月23日、中島健蔵、千田是也、井上靖、團伊玖磨の各氏らが中心になって、日中両国の友好と文化交流の促進を趣旨に日中文化交流協会が創立された。その年、青野季吉、久保田万太郎、宇野浩二の各氏らからなる日本作家代表団が初めて中国を訪問。周恩来総理が一行と会見した。久保田万太郎氏は、その時の印象を「周総理 小春の眉の 濃かりけり」という俳句に詠んでいる。以来、今まで50年間、「文革」の一時期を除き、民間による文学交流はさまざまな障害を乗り越えながら、途絶えることはなかった。
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自宅で老舎(左端)、劉白羽(右端)の両氏を歓迎する谷崎潤一郎氏と松子夫人。(1965年4月7日、熱海) |
日中文化交流協会は、文学、演劇、美術、書道、音楽、映画、学術など幅広い分野で交流を深めてきたが、すべての芸術の根幹であり、社会に大きな影響力を持つ文学の交流を常に大切にし、その中心に据えてきた。
これまで半世紀の間に、日中両国の数え切れないほどの著名な文学者が海を渡り、親交を深め、日中友好と文化交流の促進に大きく貢献してきた。この写真展に展示された写真は、その歴史の瞬間を切り取った貴重な記録でもあり、その一枚一枚に、それぞれ感動的な物語が秘められている。
写真展の開幕式は9月19日、同館の大ホールで盛大に開かれ、日本から高井有一・日中文化交流協会常任理事(日本芸術院会員、作家)を団長とする日本作家訪中団一行、水野昌雄氏を団長とする現代日本歌人友好訪中団一行などが出席した。
高井団長は、次のような感想を述べている。
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奈良を訪問した巴金・中国作家代表団団長(右端)。61年に続く中国作家代表団の2度目の来日であった。(1963年11月8日、奈良) |
自宅で巴金(左から2人目)、厳文井(右から3人目)、馬烽(右から2人目)の諸氏を歓迎する水上勉氏(左から3人目)と叡子夫人(左端)。(1963年11月22日、東京) |
新疆ウイグル自治区セリム湖畔で乗馬を楽しむ井上靖(左)、東山魁夷の両氏。(1977年8月18日、イリ) |
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「或る時は生真面目に中国の要人と向き合い、また或る時は町角に出て、巷の人々と談笑する日本の作家の表情を眺めていると、さまざまの困難を乗り越えてきた長い歴史の在りようが偲ばれた。会場の雰囲気は、展示後半に行くにつれて明るくなる。カラー写真が普及したせいばかりではないだろう。日中双方の人たちの様子が、眼に見えて寛いでくるのである。それは、交流の日常化と深まりの現われなのに違いなかった」
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陳建功氏(左から2人目)の案内で市民の家を訪れ、餃子を包む黒井千次(右端)と高井有一(左端)の両氏。(1992年11月12日、北京) |
水上勉氏(左から3人目)の京都の自宅を訪れた中国作家代表団の鉄凝団長(右から2人目)、阿来(左から2人目)、楊廷玉(右端)、李小雨(右から3人目)、陳喜儒(左端)の諸氏。(2001年4月20日、京都) |
王蒙氏(右端)の自宅を訪れた(左から順に)作家の大城立裕、日中文化交流協会会長で作曲家、随筆家の團伊玖磨、岩波書店の大塚信一の諸氏。(1998年6月6日) |
日中文化交流協会会長の辻井喬氏(右)に記念の書を贈るオヒ友梅氏(左)。(1997年11月14日、東京)
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