座談会
驚きと戸惑いと感動と……
肌で感じた初めての日本

 この数年、中日友好の志ある若者たちが、相次いで人民中国雑誌社に入社した。みな若く、元気いっぱいで、情熱にあふれている。しかし大部分は日本に行ったことがなく、日本に関する認識は間接的かつ限られたものでしかなかった。

 2004年10月以来、人民中国雑誌社では「訪日研修プロジェクト」をスタートさせ、これまでに7回にわたって計13人が相次いで日本を訪れた。日本滞在中、彼らは自分の目で、自分の身体と心で日本を感じ取り、次第に日本を理解していった。

 時  間 2006年11月14日
 場  所 本社会議室
 出席者 王漢平 男 (41) 社長補佐
        銭海澎 女 (28) 翻訳部副部長
        沈暁寧 男 (31) 記者
        張  雪 女 (27) 進行
        賈秋雅 男 (24) 翻訳者
        高  原 女 (24) 記者
        于  文 男 (24) 記者
 司  会 張春侠 女     編集部副部長

 張春侠(以下、張) この2年の間に、これだけの若い人たちが日本に研修に行きました。人民中国雑誌社の歴史において、これまでになかったことです。賈さん、あなたは入社して3カ月たたないうちに日本に行ったのでしたよね。

 賈秋雅(以下、賈) 正確に言うと2カ月と26日でした。当時の私は自分が研修にいかせてもらえるなんて考えてもいませんでしたから、すごくラッキーだと思いました。

  皆さん、日本に行ったのはほぼ初めてで、さまざまな感慨があったことと思います。今日は日本に滞在していたときの見聞や体験を語り合いましょう。

物価が高すぎる!

支局で手料理を楽しむ研修生。左:銭海澎、右:張雪

  物価が高いと誰もが言いますが、皆さんはどのように感じましたか?

 張雪(以下、雪) 本当に、高すぎるわ! 四分の一の白菜で、日本円で80円以上、人民元で6元もするなんて。北京の白菜が、500グラムで1角(1角=約1.5円)なのを考えると、まさに雲泥の差だわ。

 銭海澎(以下、銭) そんなに高いのに、張雪は外側の葉を捨てようとして、2枚目をはがしたときにみんなに止められていたわよね。私たち4人はその白菜で3回、食事をしたんですよ。

  確かに物価は高いね。最初のころ買い物をするときには、何でもまず人民元に換算していたなあ。そのうちに面倒くさくなって、思い切ってそのままゼロを2つ取ってみたけれど、そんなふうに計算すればするほど高いような気がした。

東京の水産卸売り市場で、魚の尾ひれを手にした于文。「この尾ひれ、飛行機の翼に似てない?」

 沈暁寧(以下、沈) でも日本にはフリーマーケットがたくさんあって、すごく安いよ。僕が気に入った真新しい本棚は、もともと5000円するものだけれど、最終的には500円で買えた。

 王漢平(以下、王) 日本人は想像していたほど裕福というわけでもなかったし、倹約的だと思ったよ。物価が高いから、2、30万円稼いでいても、僕らが3、4000元稼ぐのとそんなに変わらないんじゃないかな。

  物価の話になればなるほど、胸が苦しくなるわ。

  どうして?

  私、5000円のメトロカードを失くしてしまったの!

  ええ? それはもったいなかったわね。

中国では、主な交通手段といえば車と自転車だが、東京では、毎日多くの人が地下鉄を利用する

  そうなの。でももっともったいないこともあったわ。日本に行ったのは私たちみんな初めてで、もちろん切符を買うのも初めて。だから、料金表の前でああだこうだとさんざん悩んで、ようやく目的地までの切符が240円だということがわかったわ。私は多めに買っておこうと思って、千円札を入れて、960円のボタンを押したの。すぐに切符が出てきた。改札を順調に通って電車に乗ることができて、とっても達成感があった。ところが改札を出るとき、私の切符は吸い込まれてしまった。私が買ったのは一回きりの切符で、プリペイドカードじゃなかったというのは、後から知ったの。

  もうそのことは忘れたほうがいいわ。日本経済に貢献したということにしておきましょう。

 于文(以下、于) 張雪だけじゃないよ。僕のお金も吸い込まれてしまった。公衆電話から電話をかけるとき、どうやってお釣りが出てくるのか見てみたくて、百円玉を入れたんだ。でも、お釣りは出てこなくて、90円損しただけだった。

  ほら、公衆電話だってお金がたいせつなものだと知っているのよ。一旦受け取ったものはお返ししませんって。まあ、失敗した分だけ賢くなったわね。(皆、笑う)

「トイレ革命」を体験する

東京の路上で、撮影の練習

 高原(以下、高) 東京ってとても人に優しい街だと思う。主なエリアの至るところに電車の駅があって、どこに行くのもとても便利。それに、東京の道路はどこもとても狭いけれど、短い距離の間にいくつも信号があって、歩行者が道を渡るのも便利だわ。

  それは僕も同感だな。東京の地下鉄路線図はとても詳しくて、自分がいる位置、どこに何時に到着するかなど、何もかもがはっきりしている。たとえ日本語がわからなくても、目的地は見つけられるよ。

  僕は日本でもっとも人に優しいのはトイレだと思うな。東京には赤ちゃんを連れている人や身体の不自由な人専用のトイレがあったよ。手すりや緊急警報器が設置されているだけでなく、赤ちゃんのオムツを換えるための台もあるんだ。それに、手を洗う水はただ流れていくだけではなく、便器の水を流すのに再利用されているんだよ。

  女子トイレはもっとすごいわよ。身につけているものを脱ぐ音、用を足すときの音を隠すために、一般に女性はトイレで3回は水を流すでしょう。とっても無駄なことなんだけれど。だから、便器に特殊な仕掛けがあって、最初の2回は音だけで、3回目にやっと水が出てくるようになっていたわ。最初は、便器が故障しているのかと思ってびっくりしちゃった。

  国際的な都市として、北京でもトイレは改良されて、(ホテルの等級を星の数で表すのにならった)星つきレベルのトイレも登場していますね。

「道に迷っちゃった!どっちにいけばいいんだろう?」最後にはなんとか無事に帰りついた王浩(右)と于文

  トイレといえば、高原ったら可笑しいの。うっかりして男子トイレに入っちゃったのよ。

  本当? そんなことがあったの?(爆笑)

  日本のトイレって、男女別のところもあるけれど、共用もあるでしょう。男女共用だと思ってよく見ないで入ってしまったの。幸い男の人はいなかったけれど、危うく気まずい思いをするところだったわ。

  日本トイレももっと人に優しくする必要がありそうだね。そうでないと、またいつか間違って入ってしまう人がいるだろうから。(皆、笑う)

  トイレの周りをうろうろしてばかりいないで、話題を変えましょう。

  東京は秩序がありすぎるような気がするわ。短い旅行ではすばらしいと思うけれど、長期間に及ぶとつまらなく感じてしまう。毎日いつも同じ、新鮮な刺激がなくて、さらに上昇しようという気力が感じられなくて、ひどく味気ないからかな。北京は違うよね。毎日変化があって、エネルギーがみなぎっているのが感じられるから。

  僕が驚いたのは、日本では上下関係意識がとてもはっきりしているということ。野球部では、最初の年には下級生はまったくグラウンドに入れなくて、そばでトレーニングをしているだけ。その上、上級生が来る前にグラウンドの整備とか、いろいろな準備をしなくちゃならないんだ。先輩のことを呼び捨てにしてはいけないというのも、ちょっと理解できないよ。

忘れがたい読者の情

東方書店の脇田さん(右から2人目)、名久井さん(右から1人目)と共に箱根の彫刻の森へ。興奮のあまり、みんな彫刻の形を真似し始めた。「童心」を忘れない脇田さんとの楽しい思い出。

  日本の読者ってすごく親切だよなあ。僕は学生時代、大学に華道の実演にきてくれた正奈史先生と親しくなったんだけれど、先生は僕が日本にいるのを知って、家に招待してくれたんだ。僕が持っていった『人民中国』をとても喜んでくれて、自分の学生や友だちにも定期購読するように勧めてくれたりもしたんだよ。しかもそれ以来、先生はうちの雑誌社から日本に研修に行く人をみんな自宅に招待してくれているんだ。

  僕が日本に行ったときは、ちょうど紅葉の一番いい季節だったんだ。友人の金田さんと一緒に地下鉄に乗ったとき、紅葉を紹介しているパンフレットを僕が無造作に手に取ってみたら、僕が興味を持っている様子を見て、そのうち紅葉を見に連れて行ってあげるよって彼は言った。僕は本気にしてなかった。ところが数日後に電話がかかってきて、赤城山に紅葉狩りに行こうって誘われた。山全体が紅葉で、むちゃくちゃきれいだったなあ。その夜は忠治館という木造建築の旅館に泊まって、露天風呂に入って、伝統的な日本文化というものも体験できたよ。

 金田さんは僕が日本の神話が大好きなのを知って、わざわざ出版社から画集を取り寄せてプレゼントしてくれたこともあった。お返しに僕はきれいな切り絵をプレゼントした。金田さんは中国の白酒が大好きだから、彼が北京に来ることがあったら僕は茅台酒を一本プレゼントする、僕がまた日本に来るときには五糧液をプレゼントするって、帰国前に約束したんだ。

正先生(右)は日本の伝統的なスタイルの手作りのおせち料理をつくってくれた。目がくらむような色とりどりのさまざまな料理

  いずれにしても、金田さんはできるだけはやくあなたに会いたいと思っているでしょうね。(皆、笑う)

  僕らが支局で食べていたのはすべて小林泰さんという愛読者の方が持ってきてくださった「小林人民公社」のお米。すごくおいしかったよね。1986年に人民中国が東京に支局を開設して以来、毎年のように彼はお米を運んできてくれるんだって。物価の高い東京で、これぞ「雪中に炭を送る」だよね。本当にありがたい。

  僕の知り合いの田中誉士夫さんという方も僕の研修生活を非常に気にかけてくださって、横浜の花火大会に連れて行ってくれた。日本料理が口に合わないのを心配して、わざわざ中華街の重慶飯店で中華料理を食べさせてくれた。花火を見終わってから、また食事とビールをごちそうしてくれた。最初、僕にはわけがわからなかった。ご飯はもう食べたのに、どうしてまた食べるんだろうって。そのうち、これがいわゆる日本の「二次会」「はしご酒」というものなんだってわかったよ。

日本で迎える祝日

成人式に参加するために美しい振袖を着ている女の子たちは、まるでファッションの展示のようだった

  雑誌社はあえてこの時期にあわせてくれたのだと思うんだけれど、私たちは日本でクリスマス、お正月、成人式の3つの祝日を過ごしたのよね。

  私が一番印象に残っているのはお正月。正奈史先生の家で過ごしたお正月は、正真正銘の日本のお正月だったわ。その日は雪がたくさん降っていたから、中止になってしまうかもしれないって心配しちゃった。でも、電話をかけてみたら、正先生はもうすっかり料理の準備もできて、私たちを待っているって。地下鉄の出口を出たら、正先生が迎えにきてくれていた。靴をびっしょりに濡らして、傘を差して待っていてくれたのよ。私たちはすごく恐縮したけれど、彼女は「大丈夫よ、そんなに遠くないから」って。でも実際には、たっぷり20分はかかる距離だったのよ。

  正先生は本来、実家に帰ってお母さんとお正月を過ごすはずだったのに、私たちをもてなすためにわざわざ残ってくれたのよ。すごいごちそうで、教科書で読んだような典型的な日本の大晦日の食事だったわね。とても素敵な色とりどりの凝った食器でもてなしてくださって。その晩は、日本の伝統的なゆず湯のお風呂も体験させてもらったけれど、あのほのかな香り、とても良かったわ。

  それから正先生は初詣にも連れて行ってくださった。私たちがそこに着いたとき、行列はお寺の庭の外まで並んでいたっけ。真夜中の12時に、大勢が順番に鐘をついて幸福を祈るのは、厳かでしめやかな雰囲気。それから、みんなでおみくじをひいたら、私は大吉だった。嬉しかったなあ。

  翌日、鎌倉の鶴岡八幡宮にも行ったよね。とにかくすごい人出で、お祭りムードいっぱいで、たくさんの人が伝統的な和服を着ていたわ。これだけ現代的な国なのに、自分たちの伝統をこんなふうに留めているなんて、得がたいことよね。

池袋の「ふくろ祭り」では、伝統的な文化イベントに参加する日本の一般の市民たちの情熱に感銘を受けた

  でも、日本はお行儀が良すぎると思うわ。通りの提灯や飾り、絶え間ない人の流れ、少なからぬ慶祝行事がありながら、それを引き立てる爆竹の音がなくて、街全体が祝日らしからぬ静けさに包まれているせいかもしれない。中国の旧正月のように、賑やかにお祝いする雰囲気こそ、祝日って気がするのよね。

  目黒区主催の成人式にも参加したわね。とても人が多くて、女の子たちはみんなとってもきれいな振袖を着て、ばっちりお化粧して、まるで結婚するみたいだった。

  でも、そこにいた若者たちはみんなぜんぜん感動していないみたいで、つまらなそうだったわ。区のお役所の主催だっていうから、てっきりとても厳粛なものだと思っていたのに。みんな写真を撮りあったり、おしゃべりしたり、ぜんぜん慎み深い雰囲気はなかったよね。まるでファッションショーのようで、髪を緑色に染めていた男の子までいたわ。

  私たちが行った場所が間違っていたんじゃないかな。次の日の新聞には、明治神宮の成人式が一番盛大で、数十万人が参加したって記事が出ていたの。そこに行った林支局長も、きれいな女の子がたくさんいすぎて、いったいどこを見ればいいのかわからなくなるほどだったって。

私たちが見た日本のメディア

日本テレビの編集室はとても乱雑に見えるが、業務のプロセスにはきちんとした秩序がある

  神保町、渋谷の書店にいくつか行ったことがあるんだけれど、本はとにかくたくさんあって、幅広い分野にわたって充実していて、非常に細かい所まで行き届いていることがわかったわ。部屋を掃除するノウハウが書かれている本を見たのだけれど、こんな生活の中のこまごまとしたことまで本になるなんて、思いもよらなかった。雑誌はさらに読者対象が細かく絞られていて、10歳ぐらいごとにひとつの層に分けられているらしいわ。

  私が思いもよらなかったのは、日本の若い女性向けの雑誌の内容はわりとからっぽで、中年女性向けのものの方がずっとすばらしかったこと。例えば『婦人公論』といった雑誌。そこからわかったことは、日本にも30歳以上の働く女性もたくさんいるし、家庭の主婦も自分自身の教養を大切に考えていて、外の世界の変化にも非常に敏感だということ。結婚したら家庭に入って、夫の姓に改姓して、中国人はみんな日本女性の解放はまだまだだと思っていたのに。精神的な面において、現在の日本女性の解放度、人格の独立性って、実はすごく高いと思う。

  僕は神奈川新聞で研修した日々がとても印象深く残っているんだ。残念ながら僕は日本語ができない。それなのに、誰もがとても真剣に僕にレクチャーしてくれた。林支局長に通訳してもらって、僕はそれぞれの部門の仕事の流れを理解することができたし、その中から日本における就職や人事管理制度に関することも理解していったんだ。

  中国とはどんなふうに違うのですか?

神奈川新聞の企画会議風景

  もっとも深く感じたのは、企画という仕事は新聞社の各段階の仕事すべてに一貫して関係があるということ。テーマ選びや紙面の組み方だけでなく、経営と広告も同じように企画から離れられない。神奈川新聞社の広報部はほぼ毎日一つの企画方案について討議しているんだ。企業や学校の記念祝典だけで、年に200回以上もあるそうだ。たとえば開催第21回目になる神奈川新聞社花火大会も、こうした企画の一つで、今ではよく知られたブランドになっているんだよ。こうした点は、是非僕らも学ぶべきだと思う。

  東京の中国に関する本は、飲食や旅行などサービス業関連の内容のものばかりで、現代中国社会の精神的な面を反映している本はとても少ないと思ったわ。政治的の本には故意に歪曲されたような痕跡も見られるし。

  日本のメディアには、マイナス報道を繰り返すことに力を入れているようなところがある気がする。2006年に東京で研修しているとき、秋田県のある女性が近所の子供を殺したというニュースを、テレビは3カ月にもわたって報道し続けていたし。

  中国で発生したいわゆる「反日デモ」のことも、日本のテレビでは、少数の過激な人たちが日本大使館の窓ガラスや日本料理店に向かって石を投げる場面を、毎日のように繰り返し放映していたね。日本の友人から、中国はどこもかしこもみんな反日なのかと聞かれたよ。僕は個別現象に過ぎないと答えたけど、彼らにはどうしても信じがたいようだった。日本のメディアがこうした報道をするとき、中国に関するより全面的な情報を日本の人々に提供してくれたら、このような誤解が生じることもなくなると思うな。

  実際、大多数の日本人は中国との友好を望んでいるんだよね。当時、中国を訪問していた日本女性から聞いた話なんだけど、中国に来る前、家族や友人から危険だから行くのはやめたほうがいいと反対され、彼女自身もいくらか怯えていたらしい。いざ中国に来てみたら、何ひとつ危険なことはなかったし、中国の友人たちから暖かい招待を受けたと言っていたよ。

  このような状況を見る限り、私たちの肩にはとても重い責任がかかっていますね。日本を理解することに力を入れると同時に、日本の友人に中国を全面的に理解してもらえるよう、両国の民間交流をさらに深める努力をしなくてはなりません。みんなで頑張っていきましょう。


 
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