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「あのころ」を呼び覚ます音の風景

 もう30年も前のことだ。私は北京放送で仕事をしていたのだが、「北京――音の風景」という番組を制作したことがあった。北京の街のあちこちで音を録音し、それにナレーションを添えていく番組で、とても楽しい仕事だった。

 聴覚は視覚とともに数々の思い出を頭に刻み込んでくれる。半世紀、50余年も前に北京にやって来て暮らすようになったばかりのころの記憶の中には、いまも耳の奥にしっかりと刻まれている音の風景が少なくない。

春節の爆竹復活
 あのころ、北京放送局の宿舎のすぐ近くを流れる川の辺では、夜のうちに郊外から石炭を背負ってきたラクダが、復興門を通って街に入るのを待っていた。夜が明けると、このラクダたちがなんともいえぬ悲しそうな声をあげて鳴きだすのだ。これは、わたしの毎朝の目覚し時計になっていた。

 あのころは、街の中でも荷物を運ぶラクダの列をみかけた。先頭のラクダの首に掛けられた「カラン カラン」という鈴の音も懐かしい。いまでは、動物園に行かなければラクダにはお目にかかれない。どうしたことか、動物園のラクダは、あの悲しそうな鳴き声をあげないようだ。

 ロバも、客や荷物を乗せて街の中を歩いていた。あのころのロバの鳴き声も悲しそうだった。苦しそうに、鳴いているというより、泣いているようだった。一頭が鳴きだすと、まわりのロバも呼応する。人間どもへの抗議のように聞こえた。ロバも、春節(旧正月)に白雲観などの縁日の客寄せに姿をみせ、いくらかお金を払うとその背中に乗せてくれるほかは、ほとんど見かけなくなった。

 市内には路面電車が走っていた。チンチン電車である。運転手さんが足もとのぺタルを踏んで「チンチンチン」と鐘を鳴らしながら街のなかを走っていく。京劇ファンの運転手さんなのだろう、京劇のお囃子をまねて「チンチン チチンがチンチン、チチンがチンチン」と賑やかに街の中を闊歩していく電車もあった。

 この路面電車も、「チンチンチン」の音とともに姿を消した。1959年の3月のことだ。

 ちなみに、北京で路面電車の復活が話題になっている。商店街の前門大街を老舗のならぶ歩行者天国にする工事の一環として、ここに全長1キロの遊覧用の路面電車を走らせるというのだ。騒音規制がきびしくなった昨今、例の「チンチン チチンがチンチン」は復活しないだろうが……。

 街の中の音といえば、物売りの声も懐かしい。金魚売り、くず屋さん、床屋さん、研ぎ屋さん、焼いも屋さん……。

かつて走っていた北京の路面電車
 床屋さんは「ピーン」と鉄の大きなピンセットみたいなものを弾く。床屋さん「到来」の合図である。研ぎ屋さんは薄い鉄の板を何枚かたばねて「ジャラン ジャラン」と鳴らしながら「鋏や包丁、研ぎものはなんでも」と、独特の調子で歌うように街を行く。

 こうした物売りの声も、ほとんど聞かれなくなった。私の家のあたりでは、いまでも床屋さんと研ぎ屋さんが、土、日になると近くの道ばたの木陰に仕事道具をならべて「店」を開いている。お年寄りの恰好のおしゃべりの場だ。あの「ジャラン ジャラン」や「ピーン」が聞けないのは寂しい。物売りのあの音、この声、北京の胡同(横町)の交響詩だったのだが……。

 新顔ではないが、一時中断されていた音で復活したものもある。大晦日の夜の除夜の鐘だ。この復活は蘇州の寒山寺で始まり、いまでは北京の大鐘寺、戒台寺、鐘楼などでも、除夜の鐘が撞かれている。テレビで聴いたかぎりでは、西郊外の戒台寺の除夜の鐘の音が、ひときわ澄んで素晴らしかった。お参りの人に撞かせているようだが、やはりお寺の和尚さんが、それなりのしきたりに従って撞いた方がいいなと思う。

 禁止されていて復活したものといえば、去年(2006年)から春節の爆竹が市民の強い要望で13年ぶりに復活した。

 「パンパンパン ポンポンポン」――たしかに爆竹は春節の気分を盛り上げてくれる。邪を払い、福を呼ぶという。大人たちを幼き日に誘ってくれる。

 音の風景は、舞台がどんなに様変わりしても、眼をつぶればタイムトンネルを遡って、20年、30年、50年の昔の思い出のなかに、心を呼びもどしてくれるのだ。音には「あのころ」を呼び覚ます不思議な力があるようだ。

 そう、朝まだき、窓のそとから聞こえてくる鳥の鳴き声。カラス、カササギ、スズメという順で耳に入っているのは、50年前も今も変わらない。「カッチ カッチ」というカササギの鳴き声に幸せを託す心も変わらない。カササギは、中国では吉鳥なのである。


 
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