名作のセリフで学ぶ中国語(38)

 

孔雀(孔雀)

 

監督 顧長衛(グー・チャンウェイ) 2005年 中国 144分
2月日本公開

 


あらすじ

 1970年代の中国北方の地方都市。幼時の病が元で知能障害のある兄と、その兄を不憫に思い溺愛する母親と母親の言いなりの父親、姉と弟の5人家族。姉は安定してはいても、つまらない仕事に興味が持てず、落下傘部隊に入隊する夢を抱くが、それも破れ、暗い家庭から抜け出すため市政府の高官の運転手と結婚するが上手くいかず出戻ってくる。

 母親の世話で足の不自由な娘と結婚し、小商いを始め、小金を貯めた兄は世俗的には兄弟で一番の成功を収める。かつて自分をいじめた男が、金を無心にくるとかつてからかわれた方法で意趣返しをしたりもする。

 知恵遅れの兄の存在を同級生に知られるのを恥じ、兄を殺そうとまで思いつめた弟と姉は夜中にこっそり兄の薬に猫いらずを入れているところを父親に見つかり、翌日、母親は黙って兄の可愛がっていたガチョウを猫いらずで毒殺させてみせる。2人は何も知らない兄にガチョウの雛を買って返す。やがて、家出した弟は養老院で働いているのを姉に知られると出奔するが、子連れの女と結婚して戻ってくる。

 10年後、それぞれに家庭を持った兄弟姉妹は動物園の孔雀の前を通りかかる。なかなか羽を広げない孔雀に業を煮やして兄弟たちが立ち去った後、孔雀はその美しい羽を広げる。

解説

 文革末期から改革開放の初期までの10年間を背景に、中国のどこにでもあるような家庭の3人の兄姉弟の青春とその挫折を描く秀作である。障害を持つ兄がいるために、どこか暗く閉鎖的な家庭に育った理想主義者の姉と悲観主義の弟。ハンディキャップがありながらも、兄弟の中で一番現実的で功利主義的な兄が世俗的な成功を収める一方で、どんなに夢破れようとプライドを棄てることなく生きていく姉と、現実から逃避して生きつつも、ふてぶてしく、自由人としての道を歩む弟。この3人がその後の90年代をどう生きていったのか、物語のその後を知りたくなる。

 実際に脚本を書いた李檣は3部作の1つとして、この脚本を書いたそうで、兄弟のその後が映画化される可能性もないではない。監督の話では、どうも、脚本家自身が弟に投影されているらしい。そう言われてみると、妻のヒモとなって、好きなことをして暮らしたい、と言うあたり、後に彼が小説でも書いても何の不思議もない。姉のその後のほうは完成したばかりの顧長衛の第2作『立春』に、ヒロインの高校時代の友人として中年になった彼女が登場するそうだから、どういう中年女性になったのか、これもまた見るのが楽しみだ。

 
 

見どころ

 冒頭の家族がただ食事をしているだけのシーンから、どんどん映像にひきこまれていく、その安定感のあるカメラワークの心地良さは、さすがは『さらば、わが愛/覇王別姫』『紅いコーリャン』『太陽の少年』など、数々の中国映画の名作のカメラマンを務めてきた顧長衛の初監督作である。けれども、顧長衛自身は、だからこそ、映像美にこだわるのではなく、映像の美しさは二の次にしてでも、何よりも物語と役者の演技にこだわったと言う。もちろん、その点も文句ない出来栄えであり、今まではテレビドラマで活躍していた若手の優秀な脚本家と、それぞれ映画は初出演という若い新鮮な俳優たちの人選がまず見事である。

 特にこの映画で鮮烈なデヴューを飾った張静初の思い切りのいい演技に凄まじいまでの女優魂を感じた私は、彼女が中央戯劇学院の演出科出身であると知って驚いた。それでいて、この美貌。もっとも、最初、姉役にはチャン・ツィイーが予定されていたとかで、『さゆり』の撮影でスケジュールの調整がつかず、雰囲気の似ている彼女が起用されたらしい。自分に気のある青年の前でいきなりズボンを下ろすシーンにも、ためらいなく挑むなど、この作品で勝負をかけた心意気のようなものを感じた。その甲斐あって、その後は大作に次々に主演、いまや、チャン・ツィイーの後を追う第一人者的存在の女優となっている。

水野衛子 (みずのえいこ)
中国映画字幕翻訳業。1958年東京生まれ。慶応義塾大学文学部文学科中国文学専攻卒。字幕翻訳以外に『中国大女優恋の自白録』(文藝春秋社刊)、『中華電影的中国語』『中華電影的北京語』(いずれもキネマ旬報社刊)などの翻訳・著書がある。

 


 
 













 
     
 

















 
 
 
     
     
     
     
   

 
本社:中国北京西城区車公荘大街3号
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