財布 山西民間の刺繍


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火焔駒

                                                                             写真・文 魯忠民

 この物語は、北方のさまざまな地方劇に採用されているが、中でも陝西省、山西省一帯の地方劇「秦腔」のものが有名である。

 宋代(960〜1279年)の兵部尚書であった李綬は奸臣・王強に陥れられ、投獄された。李綬の次男・彦貴は、早くから黄璋の娘・黄桂英と結婚の約束をしていた。李家が事件に巻き込まれたことを知った黄璋は、なんとかして婚約の解消をはかろうとした。そして、小間使いを殺害し、彦貴に金目当ての殺人というぬれぎぬを着せた。

 彦貴は死刑の判決を言い渡され、斬首されることになった。これを知った桂英は、父の目をかすめて雨の中を処刑場に急ぐ。同じ頃、李綬に恩義ある義理堅い馬喰は、名馬「火焔駒(炎の馬)」を走らせ、夜道を急いで関所に駆けつけ、李綬の長子・彦栄にこのことを知らせた。彦栄は時を移さず舞い戻って、処刑場に飛び込んで彦貴を救い出し、無実の罪の真相を明らかにした。李彦栄はまた、王強が敵に内通している密書を押収して朝廷に上奏し、国を害する奸臣を排除したのであった。


 

 
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