大自然と伝説と人情と
神秘溢れる「北疆」の旅
                                   高原=文・写真

魔鬼城では、人間はきわめて小さく見える

 新疆ウイグル自治区といえば、シルクロードやタクラマカン砂漠を思いおこす人が多い。しかし、天山山脈の北側に広がる「北疆」と呼ばれる一帯は、暑く、乾ききった「南疆」とは違い、気候は湿潤。砂漠もあるが、草原や高山湖、原始林が広がっている。

 「北疆」には、150万を超す人口を持つ大都市、ウルムチ市のほか、多くの少数民族の自治州があり、独特の文化や生活習慣をいまも保っている。大自然と伝説と人情を求めて「北疆」を訪れた。

天池に伝わる西王母伝説

雪嶺トウヒの森の冬景色(写真・居建新)

  新疆ウイグル自治区の区都ウルムチを出発し、車で一時間半ほど行くと、北疆ツアーの最初のスポット、天山の天池に着く。

 天池は、天山山脈の峡谷森林地帯に位置し、湖面の海抜は1910メートル、水深103メートル、面積は4.9平方キロあり、世界有数の高山湖である。天池の水は主に高山からの融雪で、海抜が比較的高いこともあって、ここの気温や水温は山麓よりもかなり低い。

 夏には、静かな湖面に舟を浮かべ、海抜5445メートルの、万年雪を戴くボグダ山の主峰を眺めることができる。ボグダ山の主峰の両側に、海抜5000メートルを超す2つの山があり、この三山は「雪海三峰」と呼ばれて、新疆・天山のシンボルである。

秋の天池の風景

 冬には、天池のほとりに生えているマツ科の雪嶺トウヒの風景が壮観だ。雪嶺トウヒは、中国西北部特有の樹木で、4000万年前に青海・チベット高原から新疆に移り、その後次第に繁茂したといわれている。この樹は、高くまっすぐに伸び、60から70メートルになることもある。四季をとわず緑の葉を茂らせる。10月中旬以後、天山は半年にもおよぶ長い冬の季節を迎えるが、大雪が降ると、山一面に雪嶺トウヒが白い雪のマントをはおり、ことのほか美しい。

 天池には、多くの興味深い伝説があるが、西王母に関する伝説がとくに多い。西王母は中国古代神話の女神で、いつもこの地に住んでいたと伝えられている。天池は彼女の鏡台の鏡という説もあり、彼女の湯浴みする池だという説もある。また天池にたなびく雲と霧は彼女の霓裳(天人の衣)、天池の西側にある小天池は、彼女の足を洗った盥、天池の北側の岸に生えている一本のニレの古木は、彼女がそこに挿した碧玉の簪で、それによって池に棲む悪い竜を震え上がらせた……という言い伝えもある。

天池では、カザフ族の民族衣装を貸して記念撮影する商売が盛んだ

 中国の神話や伝説の中の西王母は、さまざまな姿をしている。古代の神話と地理を記載した古書『山海経』は、西王母を、形は人間のようでヒョウの尾とトラの牙をもつ怪物としている。漢代初期の百科全書である『淮南子』では、西王母は不老長寿をつかさどる吉祥の神としている。戦国時代の墓の中から発見された『穆天子伝』では、西王母はおっとりとして美しく、歌舞をよくすると記載されている。

 『穆天子伝』の記載によると、周の穆王がはるか東方より馬車に乗って天山にやってきたとき、西王母は宴席を設けて穆王の一行を歓待した。二人は唱和して詩を吟じ、知り合ったのが遅すぎたことを恨んだ。別れに臨んで西王母は穆王に「長寿をお祈りします。またおいでください」と言いながら別れを惜しんだ。しかし穆王が再び戻ってくることはなかった。

プシバルスキーウマ(写真・張建生)

 有名な『西遊記』の中では、孫悟空が、「王母娘娘」(西王母の別名)の主催する蟠桃の宴を大いに騒がせたが、西王母は地位のきわめて高い女神として描かれている。

 近年、専門家の中には、神話の中の西王母は決して根拠もなく捏造されたものではなく、古代、中国西北部にいた母系制の遊牧民族の首領であったとの考証を基に主張する人も出てきた。彼女の住んでいた集落では、トラを崇拝し、トラをトーテムとしており、西王母はヒョウの尾とトラの牙があったという伝説があるという。

火焼山からブルルトカイへ

ウルングル湖と湖畔の白い砂浜。この湖は北疆で冷水に棲む魚がよく獲れるところである

 天池から国道216号線を北上し、カナス湖へと向かった。その距離は900キロ近い。長旅だが、沿道の風景は美しく、旅人の目を楽しませてくれる。

 途中、グルバンテュンギュト砂漠の奥に位置する火焼山を訪れた。この山は一本の草を生えていない。砕かれた石が露出していて、全山、赤褐色か赤い色をしている。厳しい日差しに照らされて、熱波が絶え間なく押し寄せ、深紅色の煙雲が立ち昇り、あたかもゴビのすべてが燃えているようだ。

火焼山の赤い土と青い空、黒い道路が続く

 モンゴル国から天山南路にかけての一帯に広がる土と砂礫の大地であるゴビは、人はほとんど住んでいないが、動物は非常に多い。火焼山から北に少し行ったところに、カラマイリ有蹄類野生動物保護区がある。ここには野生ウマや野生ロバ、コウジョウセンガゼル、野生ヤギ、イノシシなどがいる。

 中でももっとも貴重なのは、プシバルスキーウマ(モウコノウマ)である。これは頭が大きく、脚は短く、姿はアニメに出てくる野生のウマのようだ。新疆・ジュンガル盆地の原産で、厳しい砂漠やゴビの環境での生活に慣れており、国の一級保護動物である。現在は、野生のプシバルスキーウマはすでに絶滅した。このため外国の動物園から帰ってきたプシバルスキーウマがカラマイリに放され、それが繁殖して、現在四十数頭になっている。

カザフ族のパオの内部

 ブルルトカイ県に着き、一泊した。ここは北疆のアルタイ地区に属し、ウルングル湖のすぐ傍らにある。ここに住むカザフ族は、客をもてなすのが好きな人たちである。ここには「全魚宴」という新疆独特の料理があり、フルコースでは十数種類の料理が出る。魚はすべて現地でとれた冷たい水に棲む魚で、料理は見た目も美しく、美味しい。

 カザフ族の人々は元は草原の遊牧民族であった。近年になって多くのカザフ族が定住を始め、牛や羊を飼育するようになったが、豪快で客好きな彼らの性格は少しも変わっていない。知り合いであるかどうかを問わず、彼らはできる限りの心のこもった接待をする。

道端で遊ぶカザフ族の子どもたち

 カザフ族の風習では、客が家に来ると、主人はテーブルクロスを広げ、ミルク茶やナン(平焼きパン)、新疆チーズ、バターを出して客にすすめる。その後、多才多芸な主人は、伝統楽器のドンブラ(マンダリンに似た二弦の楽器)を弾き、民謡を歌い、笑い話や謎々をし、客と主人の感情を和ませてから正餐をとる。

 カザフ族の人々は、羊や牛、馬の肉を好んで食べる。客が来ると、少なくとも一頭の羊を屠り、款待する。客には羊の頭と尻の肉やスペア・リブなどもっともおいしい肉を出し、尊敬を表す。肉を食べ終わり、肉のスープを飲み終えると、主人はさらにミルク茶とお菓子を出して接待する。このころには、お腹が丸く膨れてしまうが、それが主人に対する客の敬意を表すことなのである。

カナス湖と怪獣伝説

  「カナス」はモンゴル語では「美しく豊かで、はかり知れず神秘なところ」を意味する。ここカナス湖は、確かに美しくて神秘なところだ。

  カナス湖は新疆ウイグル自治区の最も北側にあるアルタイ山脈の奥深いところに位置し、ブルルトカイから約260キロ離れている。しかし、山中の道は曲がりくねっていて、車で4時間半もかかった。

  この途中、ブルチン(モンゴル語では「奔流する川の水」の意味)という県城を通った。ブルチンは色鮮やかな美しい町で、至る所にヨーロッパ風の屋根の尖った建築があり、青や黄色、さらにピンク色や赤などに塗られていて、まるでおとぎ噺の世界のようだ。

カナス風景区の臥竜湾(写真・居建新)

 近年、カナス風景区の自然環境を保護するため、風景区内の旅館は全部取り壊され、大勢の観光客はブルチンの県城に泊まるようになった。このため、人口6万人のこの小さな町は、ホテルやレストランが林立する「ホテルの町」となった。

 カナス自然保護区に到着しても、カナス湖は見えない。カナス湖は高山にある湖で、海抜約1300メートルのところにある。三日月形をしていて、その長さは24.5キロに達する。カナス湖を見たければ、保護区内を走る専用バスに乗って上へ登らなければならない。

 登るに連れて、カナス湖はその姿を徐々に現してくる。竜のようにくねくね曲がっている臥竜湾から、静かで美しい月亮湾、さらに雲や霧が立ち昇る神仙湾まで、一つ曲がることに一枚の美しい風景画が現れ、ひとつとして同じものはないと言うことができる。

 カナス湖観光にもっとも適した季節は秋である。秋になると、湖のほとりにある森林はしだいに夏の緑服を脱ぎ、緑の中に黄金色、オレンジ色、萌黄色などの秋の色が挟まり、それが重なり合って、麓から山の頂上にゆっくりと広がっていく。

 森林に抱かれた湖水の色も変わる。カナス湖の水中には氷河によって作られた多量の小石の堆積物が風化して存在し、その粒状の石が、角度と強さの異なる陽光に照らされると、異なる色で反射する。このため湖水は、季節と天気の変化にともない、ときにはグリーン、ときにはブルー、ときにはグレーに変わるという珍しい景観が出現する。

 カナス湖にはもう一つの珍しいものがある。それは「千メートルの枯れ木の長堤」である。常識から言えば、枯れ木は上流から水の流れに乗って下流へ漂っていくはずだ。しかし、カナス湖の場合は、それとは反対だ。上流の、湖に流れ込む河口近くに、大量の枯れ木が漂い、それが一つになって長い堤になっている。ある人が下流に浮木を投げ入れてみたが、その浮木はなんと上流へ漂って行き、そこにある長堤といっしょになった。これは、湖の下流には高い山があり、上流から吹き付ける強い谷風を阻み、風の向きを変えさせ、浮木を逆流させたため、こんな奇観を造ったのである。

もっとも美しいカナス湖の月亮湾(写真・居建新)

 カナス湖は美しいだけではない。その神秘性も語らなければならない。その中にもっとも有名なのは、湖に怪獣があるという伝説である。

  地元のツーバ人の間には、湖に巨大な怪獣がいるという伝説が伝わっている。その怪獣は魚の形をしており、長さは約10メートルあり、鴨や羊、牛などの動物を丸呑みにするという。多くの遊牧民は、かつて湖のほとりで羊や牛を失ったことがある。また湖岸の水の浅いところで、羊や牛の骨格が丸ごと発見されている。このためツーバ人は、この怪獣を湖の聖とか守り神として崇拝している。

 この20年間、湖の怪獣を見たという報告が頻繁にあった。最近では、2005年6月のこと、数人の北京の観光客が遊覧船で湖を観光しているとき、遊覧船から200メートルほど離れた水面に高さ1メートル以上の波が起こり、水面下に十数メートルもある大きい物体が快速で泳いで行ったのを見た。当時、一人の観光客は、ビデオカメラでその状況を録画した。これは湖の怪獣の研究に貴重な資料となった。

 1980年からは、国内のいくつかの科学調査隊がカナスで湖の怪獣の研究に来たが、いまだに実物を捕えたことがないため、人々が納得できる解釈はまだなされていない。

ホームーとツーバ人の伝説

ホームー村の風景

 観光客が多いカナス湖と比べ、ホームー村は、深い山の奥にある「浄土」ともいえる。ホームー村は「ホームーカナス蒙古族郷」に属している。

 ここの風光はたおやかで美しく、「アジア唯一のスイス風景」と賞賛されている。村には、アスファルトの道もなければ、セメントの家もなく、バスも走っていない。ただ、青い空と白い雲、緑の山と透き通った水、木造の家と木の橋があるだけだ。そして数頭の牛が渓流のほとりで草を食み、水を飲んでいる。純朴な村人たちは、「ナイ茶」(ミルク入りの茶)を沸かす。

ホームー村の木造の家

 ホームー村の人口は、現在、1400余人。少数のカザフ族のほかは、70%がツーバ人である。

 ツーバ人は神秘的な民族である。中国の55の少数民族の中には入っていない。中国では「図瓦人」と表記される。世界的にはツーバ人は、ロシアに約18万人、モンゴルに約3万人が住んでいるといわれる。

 現在、中国領内には2600余人のツーバ人がいて、カナス湖近くのバイハバ、カナス、ホームーの3つの自然村に分布している。その中で、ホームー村の交通が最も不便で、毎年、半年近く、大雪に閉ざされ、外の世界と隔絶されてしまう。

現代のツーバ人

 そのため、ツーバ人はこの民族の伝統的な生活様式を依然として保っている。彼らは主に狩猟や放牧によって暮らし、チベット仏教を信仰し、丸太小屋に住み、ミルクで造った酒を飲み、平凡の生活を送っている。彼らが神秘的だと言われるのはなぜか。それは主に、ツーバ人がどこから来たかがよくわからないからである。

 ツーバ人の多くは、自分たちがチンギスハン(在位1206〜1227年)の軍隊が西方に出征したとき、この地に残った兵士の子孫だと信じている。言い伝えによると、当時、彼らの祖先が大軍とともに西征してこの地に達したとき、ここを守備するよう命じられ、上級の兵士の印である「青いネクタイ」を授けられた。それから百年以上たって、モンゴル帝国は滅亡した。ここにいたツーバの兵士たちも、四散して逃げ去ったモンゴルの貴族たちから忘れられてしまった。明の時代になると、彼らは「青ネクタイ」をしまい込み、軍服を脱いで、普通の牧畜民となった。

ツーバ人が使っているマグサを切る農具

 確かに、ツーバ人の顔つき、服装、信仰や生活習慣はみな、モンゴル人と非常に似ている。しかし、その中には疑問点も少なくない。例えば、ツーバ語は、モンゴル語との相似性はわずか30%ほどしかない。逆にカザフ語にもっと近く、互いに通じるので、意思疎通ができる。したがってツーバ語は、古代の突厥語にその源を発するに違いない。

 また、ツーバ人の住宅は、パオではなく、木造の家である。ツーバ人は金の飾りを身につけるのが好きだが、モンゴル人は銀の飾りが好き。ツーバ人は牛のミルクで酒を造り、モンゴル人は馬のミルクで酒を造る……こうしたことはどのように解釈すべきなのか。これに対してさまざまな専門の学者たちが研究や論議を続けている。

 現在、多くのツーバ人は旅館やレストランを経営し、観光業に携わっている。これからもっと増えるかもしれない。ホームーは「浄土」ではなくなり、純潔を取り戻すことはないだろう、と思うと、寂しい気がする。だが、それを選ぶのはツーバ人自身の権利である。彼らも、より快適で、より近代的な生活を望んでいる。そのため、彼らは自ら進んで伝統的な生活様式を捨てたのだ。こうした矛盾は実に解決が難しい。

魔鬼城の物語

ウルホ魔鬼城。ウルホは有名な石油都市であるクラマイ市の一つの区。ウルホから南に百キロ行くと、クラマイの油田が広がり、おびただしい石油の汲み上げポンプが忙しく働いている(写真・居建新)

 青々とした山と清らかな川に恵まれたカナス自然保護区から出て、国道217号線を南へ4時間余り走ると、クラマイの「魔鬼城」に着く。

 土と砂礫の大地であるゴビの中に、うねうねと続く古い砦のような「建物」が見えてくる。しかしこれは人工的な建築ではない。砂と土で自然に造られた城――有名なウルホ魔鬼城である。

 魔鬼城を、地元の蒙古族は「スルムハク」と呼び、カザフ族は「シャイタンクルシ」と呼ぶが、どちらも「魔物が出没する場所」を意味する。人跡まれなゴビの中に、砂山や岩石が連綿と続いたり、ぽつんと聳え立ったりしていて、城のようで城ではなく、果てしなく広がっている。そうした風景から人々は、ここに魔物が住んでいるのではないかと思わずにはいられないのだろう。

 魔鬼城の総面積は約120平方キロで、東京23区の五分の一くらいの広さだ。一望すると視野が果てしなく広がっているようだが、実際はその地形はかなり複雑だ。魔鬼城の中心部の風景区は、もし観光客が道路標識に従って歩かないと、魔鬼城の奥地に誤って入り込み易い。それはまるで、魔物にさらわれてしまったかのようだ。そうなったら、地元の捜索隊に出動してもらうほかはない。

新疆では、すべての標示が漢字とウイグル文字で書かれている

 魔鬼城の風の音も恐ろしい。ここは四季を問わず、狂風が絶えずに吹いていて、普通、風速約25メートル以上に達する。夕方になると、ゴビから吹きつける狂風が、凄まじい音を発する。地元の人によると、その音は、時に狼のうなり声や金切り声、赤ちゃんの泣き声などにも聞こえることがあり、その奇怪な声が、魔鬼城をさらに神秘的で恐ろしいものにしている。

 この魔鬼城の魅力が、多くの監督にここを映画のロケ地に選ばせた。有名な『グリーン・デスティニー』の中で、章子怡の演じる玉嬌竜と張震の演じる羅小虎の愛の物語は、この土地から始まった。

 現在の魔鬼城は荒涼とし、恐ろしいが、今から一億年前の白亜紀には、ここはにぎやかだった。魔鬼城があるウルホ地区は、当時は巨大な淡水湖であり、湖の周辺はウルホ剣竜、首長竜、ジュンガル翼竜などの大型古生物が生息していた。しかし地殻運動により、ウルホ湖の湖底はしだいに上昇して陸地になり、長い年月にわたり風と砂に浸食されて、現在の魔鬼城が形成されたのである。


メモ
 旅行シーズン 北疆への旅行に最適な季節は毎年6〜9月。そのうちの7、8月は観光者はもっとも多く、気候はもっとも快適である。9月は天気がやや寒くなるが、果物はもっとも豊かで、カナスの景色ももっとも多彩な時期である。10月中旬以後になると、北疆の旅行季節は終わり、カナス風景区は大雪に閉ざされる。

 食事 牛と羊の肉とめん類が主食で、野菜は少ない。果物でビタミンを補充する。ウイグル族やカザフ族が主食とする新疆のナン(平焼きのパン)を食べるときは、大きな塊をかじるのはよくない。手で小さくちぎって口に入れるのがよい。

 民俗 北疆はウイグル族は少なく、大多数はカザフ族で、一部に蒙古族もいる。カザフ族とウイグル族はイスラム教を信仰している。彼らは豚を不潔な動物と見なし、豚肉を食べないし、彼らの面前で豚の話をすることもできない。

 気候 新疆は温帯大陸性気候で、空気は乾燥し、昼夜の温度差が大きい。このため「朝には毛皮の裏地をつけた服を着るが、昼には薄物を身にまとう」という言い方がある。新疆、特に北疆へ旅行するときは、四季の服を持って行った方がよい。

 時差 新疆は北京と事実上2時間の時差があるものの、やはり北京時間を使っている。そこで注意しなければならないのは、新疆では出勤は朝10時、退勤は夜8時で、1日3度の食事は、朝は午前8時、昼は午後2時、夜は午後8時であるということである。



 
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