什刹海体育運動学校
世界チャンピオンの揺りかご
沈暁寧=文 劉世昭=写真

総合体育館の入り口の前には、什刹海体校出身の世界チャンピオンの名前が刻まれた碑がある

 2008年北京オリンピックの到来に向けて、北京中でさまざまな準備が進められている。読者の皆様の熱い要望に応え、今月より北京オリンピックに関するレポートを連載でお届けする。

 さて、まずは「世界チャンピオンの揺りかご」とたたえられる北京市什刹海体育運動学校からご紹介しよう。4人のオリンピック金メダリストを含む、29人の世界チャンピオンを育てたこの学校では、今何が起こっているのだろうか。(文中敬称略)

2008北京オリンピックを迎える什刹海体育運動学校

張怡寧(手前)と王碧玲コーチ(左から一人目)、1960年第26回世界卓球選手権大会女子シングルス金メダリスト邱鍾恵コーチ(左から二人目、王碧玲のコーチ)。(写真提供・王碧玲コーチ)

 什刹海体育運動学校(以下什刹海体校と略す)は、北京市中心部の什刹海という美しい湖のほとりにある。学校に入った途端、「同一個世界、同一個夢想(世界は一つ、夢は一つ)」という文字の印刷された北京オリンピックの大型ポスターが、とりわけ人目を引く。11、2歳の、スポーツウェアを着た子供たちが、しゃべったり笑ったりしながら並んで目の前を走り抜けてゆく。その元気いっぱいの表情や敏捷な身のこなしに、あふれんばかりのスポーツの息吹が感じられる。

 この学校でもっとも重要な建物が、4階建ての白い総合体育館である。地下2階は千平方メートルに及ぶ卓球場で、およそ80人ほどの生徒が三十数台の卓球台の前で、「ピンポンパンポン」と必死に戦っている。胸がようやく卓球台に届くほどの子もいるが、卓球をしているときはまるでプロ選手のような勢いである。バレーボールコートでは、生徒たちがスパイクの練習中で、「ドスンドスン」というボールの落ちる音が、まるで太鼓を叩く音のように響いている。ネット付近でボールをトスしているコーチが時折、「もっと高く跳べ! 手の形に気をつけろ!」と大きな声で指導している。……「オリンピックを目指して、全力を尽くす」と書かれた横断幕が掲げられているそれぞれのトレーニングコートで、生徒たちは汗びっしょりになって訓練に励んでいる。

中国女子バレーボールチームのキャプテン馮坤

 「わが校は、国家のためにスポーツ選手予備軍を養成し、送り出すことに務めています」というのは什刹海体校の劉燕彬副校長。「まもなく開催される北京五輪は、子供たちが勝利を目指して力いっぱい戦い、チームワークのスポーツマンシップを培うという貴重な機会をもたらしてくれます」。そのため、平日の授業にもオリンピックの歴史や関係知識を取り入れることにしたという。オリンピックの卓球の元金メダリスト王涛、張怡寧やテコンドーの金メダリスト羅微も母校に戻り、オリンピック競技場における自らの経験や心得を語り、生徒たちの技術向上のための指導にあたっている。

 武術やテコンドーのオリンピック選手たちのトレーニングも、設備が整いトレーニング条件が良好な什刹海体校で行われる。学校側は最高の設備、場所を手配するだけでなく、栄養師や医療の専門家を招き、科学的な食物摂取、リハビリ、ヘルスケアサービスを提供している。選手たちが訓練に集中して金メダルを競えるよう保障するのも、什刹海体校の最も重要な任務である。

ここから巣立った金メダリストたち

世界チャンピオンの董炯が、かつてトレーニングをした什刹海体校のバドミントン練習場

 什刹海体校総合体育館の前にある芝生に、今にも飛び出そうとしている牛のような、天然の巨大な石がそびえ立っている。その巨大な石の下の黒い花崗岩の礎石には、張怡寧、羅微、馮坤、王涛……29人の世界チャンピオンの名前が刻まれている。これらの輝かしい名前をひとつひとつなぞりながら、彼らがここで勝利をめざして励んでいた過去に思いを馳せた。

張怡寧さんの執着心

卓球女子シングルスの世界ランキング一位の張怡寧

 1990年10月のある日、9歳の張怡寧は父の三輪車に乗って什刹海体校にやって来て、王碧玲コーチのもとで卓球の訓練を始めた。「ある研究機構がわたしの教え子を対象に能力テストを行った際の診断では、張怡寧が世に出て活躍する可能性は、後ろから2番目ということでした。ところが、この子は今やオリンピックで金メダルを獲得しただけでなく、世界ランキング一位でもあるんですよ」と、王コーチは微笑みながら語った。「この子の卓球に対する熱情、勤勉さや執着心がもたらしてくれた結果でしょう」

 張は1982年、北京の普通の労働者家庭に生まれた。両親は娘に何か特技を身につけてほしいと考え、武術、書道、ダンスや水泳などを習わせた。しかし、張はその中のどれにも興味をそそられなかった。ある日、父と一緒に卓球室に入った張は、たちまち跳んだりはねたりする小さくて白いピンポン球に惹かれた。その後、毎日のように鏡に向かってラケットのスイング練習を続けた。

テコンドーコースのチームメイトたちのトレーニング

 什刹海体校に入学した張は、午前中はクラスメイトと一緒に付近の学校で国語、数学、英語などの授業を受け、午後は夜まで4時間あまりの技術訓練を続けた。卓球は非常に面白いゲームだと思った彼女は、毎日同じ動作の練習を数百回繰り返しても、厭きることがなかった。当時、コーチは生徒たちに訓練日記を毎日書かせ、その日に体得したことをまとめさせていた。ほかの子はときどきごまかして怠けるが、張はまじめに書き続けるだけでなく、常に技術上の問題についてコーチに教えを請うた。生徒たちは週末のみ帰宅が許されているが、彼女はほかの子のように週末を心待ちにするようなことはなかった。しばらく卓球と別れなくてはならないからである。自主トレであろうと、ほかの人の練習相手になるときであろうと、全身全霊を傾け、あらゆる練習のチャンスを大切にした。こうして、張は入学してからわずか1年で、ほかの子を追い越し、難易度の高いループドライブの技術を習得した。

第24回アテネオリンピックテコンドー67キロ級の女子の金メダリスト羅微

 普段から無口で、訓練や試合中となるとなおさらほとんど笑顔を見せないため、張は卓球界の「クールキラー」と呼ばれている。「親しい人と一緒にいるときには、気遣いのできる優しい子なんですよ。この子は幼いころからしっかりと自分の考えを持っていたし、自信も負けん気も強かった。過去に自分が負けた相手に出会うたびに、非常に興奮して、少しも臆することなく、相手に勝つことしか考えない、そういう子なんです」と王コーチ。1991年、10歳の張と仲間たちは什刹海体校の代表として、全国少年児童卓球大会の女子団体部門で優勝した。これは張の人生における初めての優勝経験であったが、彼女は微かに微笑みを見せただけだった。2004年アテネオリンピックの卓球女子シングルスで金メダルを取ったときに初めて、輝くような笑顔を見せた。什刹海体校での4年間を振り返って、彼女は言った。「とても充実した日々でした。あの学校のすべてを懐かしく思います」 

粘り強い羅微

甄九祥コーチは什刹海体校で、たくさんの卓球の世界チャンピオンを育てた

  2004年8月29日、北京時間の真夜中一時ごろ、羅微が対戦相手を制し、第24回アテネオリンピックのテコンドーで女子67キロ級金メダルを勝ち取った瞬間、学校中が沸き立った。

 瞬発力に優れた羅は、幼いころからハードル競走の練習に励んでいた。1998年のある競技中、思いがけずその優れた資質が北京テコンドーチームに注目され、すぐに什刹海体校に招かれて入学し、テコンドー選手としての道を歩み始めることになった。

 最初にチームに入ったとき、テコンドーの技術をまったくといっていいほど知らない羅は、先輩に「打たれる」ばかりの毎日だった。痛みに泣いたことも何度もあった。ひ弱で苦労知らずな彼女のことだからそろそろ限界で逃げ出すだろう、とチームメイトは皆思っていた。しかし、この少女は粘り強く、涙をぬぐい、歯を食いしばって、先輩たちに立ち向かっていった。

コーチの指導を受ける尹沢華(右)

 「こんなこともありました。一万メートルを走った直後に階段を跳ぶトレーニング中に羅が、体力が続かず階段で転んでしまった。すねの傷口から、青白い脛の骨が見えたほどのひどい怪我でした。練習を中止するようコーチが指示したにもかかわらず、彼女は包帯で簡単に巻いただけで、歯を食いしばって最後の400メートルのラストスパートまで走り切りました」とチームメイトの劉華勝は振り返る。「諦めようと思ったことは、何度もありました」と羅微は言う。「チームメイトが拳と蹴りを繰り出すときのかけ声を聞くたびに、体の中からエネルギーがむくむくとわいてきて、自分自身に勝てるんです」。粘り強い性格のおかげで、チームメイトの彼女に対するイメージは改められ、やがて金メダリストとして壇上に立つことになったのである。

 羅が優勝すると、什刹海体校の李貴成校長は興奮ぎみに次のように生徒たちに語った。

 「羅微の金メダルは中国代表団の29個目の金メダルです。これで、前回のオリンピックの金メダル数、28個を上回りました」

什刹海体校で成長する子供たち

私の未来、私の夢  

バレーボールのコーチが新入生を指導

   この学校の卓球館で、チームメイトと試合中の11歳の尹沢華。左利きのシェークハンド・グリップ、敏捷なフットワークで、狙いすまして打ったボールのコースや、スピードの速さを見ていると、かつての世界チャンピオン王涛を思わせる。先ごろ行われた全国体育学校卓球大会において、尹は男子シングルスで優勝。今ではこんなに強い尹であるが、3年前内蒙古自治区の通遼市から両親にこの学校に送りこまれたころは、ホームシックでひそかに涙を流していたという。今ではすっかり学校生活が好きになり、「同級生たちと一緒に勉強し、トレーニングし、食事し、寝るのは、家にいるよりずっとおもしろい。コーチもとてもよくしてくれます。ちょっと厳しいけれど」と語る。

 すでにチームの主力選手となった尹には、2つの願望がある。一つはオリンピックに参加して金メダルを獲得すること、もう一つは大先輩の王涛さんと試合をすることである。「今はダメです。まだ彼には勝てません」とあどけなさの残る彼は、ラケットを弄びながら、そう言ってニコニコと笑った。

 身長194センチ、美しい顔立ちの韓嘯は今年17歳、この学校でバレーボールのトレーニングを始めてから、もはや5年になる。もうすぐ北京市のバレーボールチームに入ることになっているが、常に生活を共にしてきたコーチや同級生と別れるのがつらいという。

食堂が提供するさまざまな料理は、選手の栄養のバランスを保証する

 2005年、雲南で集中合宿のトレーニングに参加した韓は、海抜の高い環境に馴染めなかったためか、心臓の調子が良くなかった。悪くすると、今後のスポーツ選手としての前途にも影響するのではないかと心配した韓は、トレーニング中あまり思い切ったことができなかった。コーチは彼の懸念を見抜き、運動量を調整し体の負担を軽減しつつアドバイスを与えることで、彼の精神的なプレッシャーを取り除いた。生活面ではチームメイトたちの配慮のおかげで、彼はより多くの休憩時間を確保することができた。「僕たちのチームは、誰が困難にぶつかろうと、みんなで進んで助けあうんだ」という韓。「コーチはいつも私たちに、集団から離れたらパワーを失うと思いなさい、と言っていますから」

 やがてプロのスポーツ選手になる韓は、自分の未来について語るとき、体育館の壁にかかっている馮坤(中国女子バレーボールチームで、2004年アテネオリンピックで金メダルを獲得した時の主力セッター。かつてこの学校でバレーボールを学んだ)の写真を眺めながら言う。「いつか、僕の写真も馮坤姉さんの横にかけられるようになりたいんだ」

外に出れば感心される学生

トレーニング中の韓嘯

 近年来、什刹海体校に入学する生徒はほとんどが一人っ子で、人一倍家庭で甘やかされてきた子供たちである。そのため、コーチたちはまずこの子供たちの自己中心的な考え方と傲慢でひ弱な悪い癖をあらためさせ、スポーツマンシップと独立した生活能力を培った。日常生活では、学生たちは自分で掃除、洗濯し、隊列を組んで並んで食事に行かなくてはならない。練習の場では、技術的な動きが目標に達しなければ、合格するまで何度でも繰り返し練習しなくてはならない。「私たちのやり方を厳し過ぎると考える人もいるかもしれません。しかし、幼い頃から、集団主義や努力して目的を達成する精神の薫陶を受け、粘り強い人格と団結の意識を培うことによって、生涯その恩恵を受けることになるのは彼ら自身なのです」とバレーボールの張佳声コーチは語る。

 今年58歳の甄九祥コーチは、この学校で34年間にわたって仕事をしてきた。王涛、張怡寧、王晨など多くの卓球の世界チャンピオンはみな彼の指導を受けてきた。あるとき、彼が生徒を連れて地方へ試合に向かった列車の中でのこと。生徒たちは互いに助け合って荷物を運んだり、ポットにお湯を汲んだりした。朝、起床してからも、寝台をきちんと片付けてきれいにした。子供たちのそんな行動は、他の乗客たちから賞賛のまなざしを浴びた。どちら学校の学生さんですかと聞かれると、生徒たちは「北京什刹海体校です」とさらりと答えた。甄コーチも大変得意だった。「什刹海体校の子は外に出れば、誰からも感心されるような、立派な生徒なのです」

什刹海体校の未来

体校は日本とほぼ毎年スポーツ交流を進めている。写真は1990年代に明徳義塾高校を訪問、交流した場面

 オリンピックを迎えると同時に、什刹海体校は、さらに遥か未来のことにも目を向けている。たとえば、分校の開設やテニスと空手のコースを増やす準備である。そして、人気の高い卓球とバドミントンのトレーニングクラスを専門学校に昇格、社会に開放し、トレーニング人数を増やし、より多くのプロフェッショナルな人材を発掘、養成することを目指している。

 このほか、什刹海体校では国際交流活動も活発に行われており、日本とも密接的な交流を長年続けてきた。ここを卒業した生徒には、現在日本で卓球のコーチをしている人もいる。日本青少年卓球大会のチャンピオンの中には、かつて什刹海体校でトレーニングを受けたことのある人も少なくない。毎年のように百人以上のスポーツ愛好者が日本からやって来て、武術、バレーボール、卓球、バドミントンなどの交流も行っている。劉燕彬副校長は「より多くの種目、より高いレベルにおいて日本と協力できることを、心から望んでおります」と語った。


資料  北京市什刹海体育運動学校は、1958年に創立された国家クラスの重点スポーツ中等専門学校であり、全国トップレベルのスポーツ選手予備軍の人材養成基地でもある。これまでに3000人以上に及ぶ優秀なスポーツ選手を輩出してきた。

 現在、この学校には卓球、バドミントン、バレーボール、テコンドー、ボクシング、武術、散打(「散手」ともいい、中国武術を基礎とした格闘技)、体操、そして重量挙げという9つの種目のトレーニングコースがあり、70数人のプロのコーチと800人以上の生徒が在籍している。

 北京市什刹海体育運動学校は、全国で生徒を募集している。健康で、スポーツ好きで、学業成績の良好な小中学生なら、誰でも申し込むことが可能。試験に合格すれば、入学が許可される。

 校内には一流の設備を誇るトレーニングコートと学生向けマンションが建てられ、トレーニングにやってくる国内外の生徒に、素晴らしいトレーニング及び生活環境を提供している。


 
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