蔚県切り紙 戯曲「天水関」中の諸葛亮


D


 
天水関

                                                                             写真・文 魯忠民

  『天水関』はまたの名を『収姜維』と呼ばれ、古典小説『三国志演義』から題材を取った戯曲である。老生(京劇で付け髭をした宰相・忠臣などに扮する中年以上の役)による歌を主とし、かつて北方のさまざまな地方劇で演じられた。河北省蔚県の切り紙は戯曲の登場人物を得意とし、その種類は千にも及ぶ。

 三国(220〜280年)の時、諸葛亮は兵を出し、北伐を開始。魏を攻めんと祁山に出陣した。まず安定、安南の両城を攻め落とし、魏王の娘婿である夏侯楙を捕えた。諸葛亮は東を撃つと見せて西を撃つ奇計を用い、夏侯楙の名を騙って天水(魏の駐屯地)に救いを請いつつ、虚をついて大将の趙雲に天水を攻略させた。それを信じ込んだ魏の天水太守・馬遵は慌てて夏侯楙の救出をはかろうとしたが、部下の姜維がこの計略を見破り、それを逆手に取った計略で趙雲を撃退した。

 諸葛亮は姜維の才能を惜しみ、姜維を帰順させるべく計略を練る。姜維が親孝行だと知った諸葛亮は、先に姜維の母親のいる冀城を攻め、母親を救わんとする姜維を罠にかける。そして密かに大将の魏延に姜維を装わせ、夜半に天水を攻め、蜀に降服したと言わせた。計略にかかった馬遵は、案の定姜維に疑いを向ける。姜維が兵隊を率いて帰っても、馬遵は城門を閉じて拒絶し、矢を射かける。進退極まった姜維は、諸葛亮に帰順するほかはなかった。


 

 
本社:中国北京西城区車公荘大街3号
人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。