★ メディアフォーカス
MEDIA FOCUS |
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2007年の春節(旧正月)、胡錦涛国家主席と温家宝総理はともに貧しい村に行き、現地の農民たちといっしょに年越しをした。こうした行動は、政府がいっそう民情をよく体験・観察し、民生に関心を寄せようというシグナルだと、人々は考えている。果たせるかな、春節後に開かれた全国人民代表大会の席上、温家宝総理は『政府活動報告』の中で、今年の活動の重点は人々の生活を改善し、生活レベルを高めることだと何回も強調した。 2006年の中国の歳入は3万9000億元に達し、予算より2573億元多かった。これを基礎として中国政府は、今年は歳出のうち、4778億元を教育や医療、住宅、社会保障システムの改善に当てることにした。 これは、新年にあたって政府が人々に贈った「民生の大紅包(お年玉)」だと、世論は見ている。去年は、2600年以上も続いてきた農業税が取り消されたが、これも合わせて考えれば、ここ数年、中国政府の政務の理念は、人々の生活に関心を持つことに重点が置かれている、と言うことができる。 政府の民生政策が社会的支持を得ているとはいえ、中国はまさに転換期にあり、人口が多く、地域間の天然資源や経済発展が不均衡な大国として、直面している問題や困難は非常に複雑である。このため人心を得る政策を長期にわたり実施しようとするなら、指導者のしっかりした意志や柔軟な政治手法、実際の国情にあった認識が必要であり、しかも人々の理性的な支持と反応も必要である。 |
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2006年、中国ではインターネット上で、こんな話が広がった。「我々はやっと肉を食べ始めたが、君たちは逆に野菜を食べ始めた。我々は野良で汗を流さなくてもよくなったが、君たちはわざわざジムへ汗を流しに行く。我々はやっと満腹するようになったが、君たちは逆にダイエットを始めた」。この話は、いまの中国人の生活水準の貧富の格差を反映している。 2005年、中国の一人当たりのGDPは、1703ドルになった。改革・開放から20数年で2億人以上が貧困状態から脱した。そして北京や上海などの経済が発達した地域では、新たな富裕層が出現し始めた。彼らは高級車や豪邸、贅沢品を購入し、それらを「成功者」「生活の質」のシンボルだとしている。ある経済学者は、こうした人々は、数こそ多くはないが、中国の消費の新しい流れを創り出し、先導的役割を果たしていると考えている。こうした消費の考え方に影響されて、多くの若者たちは、オーバーローンで高級商品を購入し、「ローン族」となった。 都市ではこうした消費主義が出現しているが、同時に、中国ではかなりの人がまだ貧困状態を脱していない。中国社会科学院の統計によると、中国人の最高収入と最低収入の格差は18倍に達している。これに対し、2006年に中国政府は専門家会議を招集し、多くの人々の生活の質を高めるため、所得と分配を調整し、所得格差を縮小し、社会保障を完全なものにしようと研究した。現在、新しく改定された個人所得税制度は、所得改革の前奏曲だと言えるだろう。 |
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最近、中国ではネット上で「給料を曝け出す」行為がブームになっている。多くの人が、自分の給料をネット上に公開し、自分の給料が同業者の間や社会の中でどのくらいの水準にあるかを知りたいと思っている。 個人の収入は往々にして、生活上のタブーだが、ネットの匿名性のおかげで、人々は何はばかることなく、公開で討論できるようになった。給料を比較することによって、ある人は得意になり、ある人は満足し、またある人は不満に思う。 ネット上に「曝す」という行為は、まるで春になると自分の着物を日光に曝すように、個人のプライバシーを大衆に公開し、社会の共感と心の慰めを求めるものだ。だから家庭内の関係や感情の問題、人生での不遇などすべてが「曝し」の内容となる。こうした行為に加わる人が多くなるにつれ、中国はいよいよ「曝しの時代」を迎える。 実は「曝しの時代」は、現在の中国人が密接な人間関係を望む意識の表れである。昔は寄り合い住宅でいっしょに暮らしていたが、生活は苦しかったものの、隣近所の間で喧嘩をしたり、助け合ったりしていた。それは忘れがたい思い出となっている。だが今は、生活のテンポが速く、競争は激烈で、「個」を重視する西洋の礼儀や堡塁のような高層ビルが人間関係を疎遠なものに変えてしまった。孤独と寂しさが、物質的な生活水準の向上がもたらした幸福感を弱めている。だからこそ「曝し」の行為は、現代生活の弊害に対する風刺であり、それを改善しようとする行為なのである。 |
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