ノンフィクション作家 キャスター 青樹明子
 
原体験としての日本語

 
仕事仲間とスタジオでの筆者(左)

 ラジオの深夜放送は卒業するメディアだ、と言ったのは、長年ラジオのパーソナリティーを務めたアーティストの福山雅治さんである。

 「あるときから聞かなくなるが、原体験として残るメディアだ」(『朝日新聞』2005年3月28日付け)

 同感である。遠い昔の学生時代、ラジオの深夜放送は私の生活の一部だった。番組のオープニングメロディーはもちろん、深夜の孤独を癒すパーソナリティーの温かい語りかけは、遙かな時を越え、今なおあざやかに甦る。後に彼らの一人、谷村新司さんにお会いしたときは、古い友人と再会したかのような不思議な気持ちにとらわれた。

 これは何も日本に限ったことではない。

 中国国際放送での日本語番組から離れ、四年ほど過ぎた頃だった。北京の某ホテルにチェックインしたときである。

 フロントの青年は、宿泊カードに書かれた私の名前を、ぼそぼそと声に出して読み上げた。「○○○○……」。彼は、ああそうだ、というように軽くうなずき、私に尋ねる。

 「この名前は日本人に多いんですか」。日本語だった。

 「同じ名前の人を知ってるから。ラジオ番組の司会者でした。私は毎日、彼女の放送を聴いたものです」

 私はいたく感動した。まるで「谷村さん」になったかのような心地がする。「ラジオで毎日、日本語を聴いた」という原体験のせいかどうかはわからない。少なくとも放送を卒業した彼が、今、日本語を使う仕事に就いているのは事実だった。

 北京大学でのシンポジウムに参加した時のこと。質疑応答に入ってまもなく、一人の学生が立ち上がった。

 「明子小姐、お久しぶりです」

 日本語だった。彼は用意したメモを読み上げる。

 「私は番組のリスナーでした。ラジオで毎日、日本語を聴いているうち、日本語に興味を持ちました。今では北京大学日本語科の学生です。私の日本語はいかがですか」

 こみあげるものを感じ、しばらく言葉が出なかった。

 こういう体験は、私だけに限ったものではない。国際放送のパートナーだった趙海東くんはもちろん、王丹丹さんや付穎さん、太和田基さんといった、かつての仲間たちは、みんな同じような感動を味わったはずである。

 ラジオは、不思議なメディア文化である。発信する側と受け手とが、ある感情を持って結ばれる。それは、青春を共有した友人のように、過ぎ去りはするが、一定の想いを双方の胸のうちに留めていく。

交流を作る文化

 パーソナリティーとリスナーの間に、切れない絆ができると同時に、リスナー同士、横の交流が生まれるのも、ラジオの特徴だろう。

 ある少女の手紙――。彼女は受験生時代から、番組を聞いてくれていた。

 「アキコお姉さんと海東さんがずっとそばにいましたから、あの闇のような『試験時代』を無事で暮らすことができました。それだけじゃありません。いい思い出&いい友達を、いっぱい作りました」

 北京で私が担当していた日本語番組が終了した後、番組のリスナーたちはどこへ行ったのだろうか。彼らはネットに舞台を移して、日本のサブカルチャーを媒体に、コミュニティーを作って交流していたのである。

 サイトの名前は「日本音楽文化論壇」という。趙海東くんが中心となって作った、中国人が中国語で「日本文化」「日本語」「日本社会」を楽しむサイトである。彼らはここで、最新のJポップ情報を交換し、漫画やアニメを論じあい、日本映画、テレビドラマを語り合う。そして話の合う友人を見つけ、交流を深めていく。

 しかし何かが足りない。生きた情報が不足していたし、オンタイムの話題もどこかぎごちない。すべての仲間に共通する体験も欠けている。

 すると、彼らの行き着くところはただひとつだった。「もう一度、日本の番組が聴きたいね」

 そんな声の高まりに、日本と中国、両国の関係者が動いた。

 ――もう一度、日本語のラジオ番組を。

 ――日本の深夜放送のように、心に残る放送を。

 日本人、中国人、民間人、公務員、多くの人々が集まった。すべて手弁当である。主旨に賛同してくれる日系企業五社(全日空、三菱商事、東芝、富士ゼロックス、トヨタ)も協力を惜しまなかった。

 2005年10月、広東省広州市で、そして2006年12月31日、『北京人民広播電台・外語台』にて、再び日本の番組を始めることができたのである。

AM774「東京音楽広場」

 北京での番組はまず、かつてのリスナーたちが反応した。私が驚くくらい、多くの声が寄せられてくる。みんな再開を祝ってくれていた。

 「とうとう日本音楽の番組を聴くことができるんだね。ずいぶん長い間、聴けなかったよね。なつかしいな〜」

 北京での番組は、毎週日曜日午前10時と午後4時からの一時間。十曲ほどのJポップと、街角トレンド情報、若者文化、アニメ・漫画・映画・テレビなどの文化芸能情報、そして日本語を楽しむコーナーもある。目指すのは、総合雑誌のような番組である。一時間聴くと、日本が等身大でわかるような番組を作りたい。

 そして番組の最後は「交流の広場」。ラジオならではの、双方向のコミュニケーションを成立させたいと考えている。

 3月28日放送で、ようやく理想のパターンにめぐりあった。日中を結ぶ、声のキャッチボールである。

 まずはリスナーから、こんなメッセージが寄せられた。

 「このところ、大切な試験の準備をしているんだ。番組も勉強しながら聴いているんだよ。明子姐姐、日本の学生って、いったいどんなふうに試験勉強しているの? 僕たちみたいにやっぱり苦しいものなんだろうか。今、もう夜中の12時を回ったのに、僕はまだ奮戦中なんだよ」

 このメッセージを、私は日本の女子高生に見せた。彼女は「中国の高校生って、私たちと同じなんだ」と感動し、自分の試験勉強のスケジュールを書きとめた。

 「その中国の学生に伝えて。お互い頑張りましょうって」

 彼女はその中国人リスナーに、コブクロの『ここにしか咲かない花』を送ってほしいと私に託した。これ以降、彼女はネットで番組を聴いているという。

 日本と中国は、距離的にとても近い。しかし、相互理解の点からいえば、地球半周分の隔たりもある。中国の若者に、普通の日本人を知ってほしい。日本人も等身大の中国を知るべきである。政治も大事、経済も重要、しかし、近くて遠い距離を埋めるのは、心のどこかにちょっと触れる小さな「何か」なのではないだろうか。

 
 

 
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