今年4月、思茅市は普ジ市に改名された 着陸態勢に入ったモーターグライダー 思茅 老舗の車順号茶荘 ダイ族の娘たち プーアル 景洪 易武

  シーサンパンナを離れ、普ジ市に向かって北上した。まぶしい太陽が、切り立った山々から時おり顔を覗かせ、飛び跳ねる火の球のように私たちのあとをついてくる。平坦な高速道路が太陽に照らされ、銀色のリボンのごとく、くねくねと前方に延びていた。

生産、交易の中心

「中華プーアル茶博覧苑」に入る「茶馬古道国際文化の旅」の車列

 普ジ市(2007年4月8日に思茅市から改名)は雲南省の南西部に位置する。面積は4万4221平方キロメートルと、同省の市のなかでもっとも大きい。一つの区と9つの自治県を管轄し、人口は237万人。そのうち、少数民族は144万人で、全体の61%を占める。

「博覧苑」に建つ問茶楼

 普ジ市には36の民族が暮らしているが、代々この地に住んでいるのは漢族、ハニ族、イ族、ダイ族、ラフ族、ワ族、プーラン族、ヤオ族、ミャオ族、リス族など14の民族。亜熱帯の季節風の影響をうけ、この地域では一年中霜が降りない。そのため、お茶の栽培に適している。

 茶畑は合わせて2万9361ヘクタールあり、かつて、「茶馬古道」雲南―チベットルートの重要な宿場町の一つだった。また、プーアル茶の主要な生産地であり、中国最大の茶栽培地の一つでもあるため、「プーアル茶の都」と称される。

茶葉を摘み終えて家路につく茶農

 普ジ市は清代の雍正年間(1723〜1735年)から、プーアル茶によって栄え始めた。道光年間(1821〜1850年)から光緒年間(1875〜1908年)初期には、各地から商人が集まり、同郷会館や茶舗が開かれた。

 今でも、プーアル茶で名を馳せる。通りの両側にはプーアル茶の店舗、そして卸売りや販売の広告看板が数多く目に付く。

 市内で製茶会社を営む王倩さんに話を聞いた。

普ジ市で製茶会社を営む王倩さん

 王さんは、普ジ市の東北に位置する墨江ハニ族自治県の出身。72世帯しかない山の中の小さな村で生まれ育った。村には土地がたくさんあるため、どの家も百ムー(1ムーは6.667アール)以上の茶畑を持っている。王さんは祖母、両親、姉、弟二人の七人家族。祖母の代から茶の栽培を始めたという。

 2002年、市内の農業学校で茶葉の栽培と生産技術を学んだ。その後、家族と一緒に「金峰茶業有限公司」を設立。わずか5、6年で、「栽培・生産・販売」を一貫して行う会社を打ち立てた。

 商売の拡大にともない、故郷にある1200ムーの茶畑は栽培拠点となった。王さん一家は市内に家を買った。そして王さんは社長となった。

王倩さんが営む「金峰茶業有限公司」(王倩さん提供)

 たおやかなイメージの王さんだが、仕事のことになると自分の意見をはっきり言う。「チャンスがあれば、北京に進出したいと考えています」。きっぱりとした口調から、決心のほどがうかがえる。

 王さんによると、近年、プーアル茶の商売は景気がよいため、新たに始める人も多く、競争が熾烈だという。普ジ市だけでも500以上の会社がある。「普ジ市は名実相伴うお茶の都です」と話す。

偶然から生まれたプーアル茶

普ジ市のプーアル茶交易市場(王倩さん提供)

 プーアル茶という名の由来には、次のような伝説がある。

 清代の乾隆年間(1736〜1795年)、繁栄していた普ジ城に、濮という姓の大茶商がいた。先祖代々、茶の生産と販売を生業とし、毎年、朝廷に茶を献上していた。

民族村では、少数民族のさまざまな喫茶習慣を体験できる

 ある年のこと。茶を献上する時期が、若旦那が嫁を迎え入れる時期と重なってしまった。朝廷の命令に逆らうことはできない。若旦那は家族や婚約者に別れを告げ、普ジ府の役人と一緒に上京した。道中、うつうつとして楽しめず、春雨がしとしとと降るなか、歩みを進めた。

 気分が乗らなかった若旦那は、茶が雨にぬれないよう気をつけなかった。そのため、クマザサの葉っぱに包まれた茶は湿ってしまい、数カ月後、都に到着してから取り出してみると、すっかり色が変わっていた。長い道中、雨にぬれたうえに高い温度の中で蒸され、発酵を始めていたのだ。

ワ族の「焼茶」を実演する「博覧苑」のスタッフ

 ところが、この発酵は意外な変化をもたらした。茶湯の色は濃い赤で明るく、味は苦さの中にも甘さがある。これを飲んだ乾隆帝はたいそう喜び、この茶に「プーアル茶」という名を賜った。

 この話の真偽のほどは分からないが、茶の専門家たちによると、時間が経ったプーアル茶、特に生茶は発酵後、健康維持に欠かせないさまざまな成分が生じ、保健効果が高い。そこで、プーアル茶は古ければ古いほど値段が上がり、収蔵価値も高くなるという。

プーアル茶を満喫

博物館の内部

 市中心部から29キロ離れた営盤山には、博物館や問茶楼、茶祖殿、茶摘み区、製茶場、民族村など9つのエリアからなる「中華プーアル茶博覧苑」がある。敷地面積は300ムー。プーアル茶の起源や発展から栽培や生産に至るまで、同市とプーアル茶の切っても切れない縁を紹介している。

「博覧苑」に建てられた茶祖殿

 環境にやさしいバッテリーカーに乗って、「博覧苑」を参観し、茶畑の景色を観賞した。「博覧苑」の高台には、茶の祖先を祭るため茶祖殿が建てられ、3体の銅像が安置されている。3体の銅像は、3500年前に茶葉の利用を始めた古代濮人(神農の子孫といわれている)、1800年前に茶の木の栽培を始めた濮人の子孫であるプーラン族の王子・叭岩冷、そして「茶聖」と仰がれる陸羽(733〜804年)だ。

茶祖殿に祭られた古濮人(中央)、叭岩冷(左)、陸羽(右)の銅像

 言い伝えによると、プーラン族の王子・叭岩冷は、子孫に金銭を残さず、茶畑を残した。金銭はいずれ使い終わってしまうものだが、茶の木を残せば子々孫々繁栄でき、幸福をもたらすと考えたのだ。これは叭岩冷を賞賛する物語として、この地に広く伝わっている。

 博物館には、プーアル茶の栽培や生産に使った道具や年代物の手作りの餅茶(円型に固められた圧縮茶)など、茶馬古道に残された貴重な文物が数多く収蔵されている。

 民族村には、雲南省の各民族のさまざまな生活様式や喫茶習慣が展示されている。例えば、ジノー族の「涼拌茶」、ワ族の「焼茶」、ダイ族の「竹筒茶」、プーラン族の「青竹茶」、ハニ族の「土鍋茶」など。時間が足りず、この特色ある茶をすべて味わうことはできなかったが、あたり一面に漂うプーアル茶の香りに陶酔した。

(左1)博物館に展示されている3540万年前のモクレンの化石。思茅市の景谷盆地で発見されたもので、茶の木と遺伝関係があると言われている (左2)博物館に展示されている馬が茶を背負うときに使う道具など (右2)博物館に展示されている餅茶を作る道具 (右1)古い茶の木の化石

 
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