◆あらすじ
妻とは離婚し、2年前にレイオフされた杜はやっと見つけたレストランの駐車場の管理人をしている。そんな杜も、生花店を経営する宋という女性との再婚が決まり、心弾む日々だが、気がかりなのは、あまり学校の成績の良くない息子の小宇のことだ。その小宇も中年の女性教師、趙先生が目をかけてくれ、夜は補習をしてくれている。
いよいよ、結婚式という当日、宋の亭主の劉三が刑務所から出所してくる。刑務所に入る前に宋との離婚に同意したはずの劉三は離婚同意書を破り捨て、2人の結婚式を妨害したばかりか、新婚用の家具も持ち出し、二度と宋に近づくなと杜を脅す。その頃、不良少年たちから300元をかつあげされた小宇は不良少年たちと大喧嘩をする。相手に怪我をさせたことについて息子を諭す杜に、劉三に何をされても我慢しているなんて情けないと言い返す小宇。
息子の言葉に刺激された杜は劉三に談判に行くが、逆に包丁で脅され、さらには職場の駐車場に停めてあった高級車を壊され、杜は職を失ったばかりか、高額の賠償金を支払う羽目になる。息子の誕生日の夜、せっかく買ったバースデーケーキを通りすがりの人間に叩き落された杜はついに切れ、救急車に通報してから、劉三を後ろから殴りつけ大怪我を負わす。その晩、侘しい夕食の席で父と息子は初めて自分たちの思いのたけを、ぽつりぽつりと口に出す。
翌日、自首した杜は宋に息子を別れた妻の元に送り出すことを託す。刑務所の労働に服す杜を遠くから見つめる小宇。小宇は北京に留まり、宋の生花店を手伝いながら自活して、父の出所を待つのだった。
◆解説
非常に地味な作品ながら、庶民の哀歓と、不器用な父と子の情愛を描いて、心打つ佳作である。出てくる登場人物は皆、北京の街の片隅に現実に生きていそうな人々ばかり。
日本語タイトルに「胡同」とあるように、杜一家が住むのは胡同の四合院の長屋であり、息子が自転車を飛ばして走り回る北京の胡同と、近代的なビルの立ちならぶ大通りとの対比が今の北京を象徴している。わずかな落ち度で容赦なく従業員の首を切る経営者がいる一方で、長屋にまで押しかけてきたヤクザを長屋の住人たちが総出で追い返したり、豪華なマンションに住む夫婦だか、金持ちの愛人の元に宅配で生花がデリバリーされるような生活がある一方で、趙先生の息子の人民解放軍の兵士は立ち遅れた西北建設での事故で命を落とす。そんな小さなエピソードの一つ一つに現代中国の格差社会の一端も見事に浮き彫りにされている。
さまざまな味わい方の出来る作品だが、私が一番感動的したのは教育のない父親が息子に託す思いと、だが、言葉ではなかなか自分の思いを伝えられないもどかしさ、そして、最後に親子が互いの気持ちを理解しあう深い絆だった。時代と社会がどんなに変わろうとも、人間が必要とするのは人間同士の情であることを淡々とだが切々と訴えて見事である。
昨年、中国映画祭で来日した主演の范偉が、「真面目でおとなしく、じっと耐えて生きてきた、ごく普通のありふれた男が、追いつめられた末に爆発する。典型的な中国人の姿だと思う」と語っていたが、この息子が成人した時は、ただ、おとなしく耐えるだけではなくなるのだろうな、とふと考えさせられもした。
◆見どころ
『私に栄誉を!』といい、『春行きの地下鉄』といい、日本では未公開だが『芳香之旅』といい、風采の上がらない、どこにでもいそうな男を演じて今や抜群の存在感を見せる范偉が主演。この作品でモントリオール国際映画祭で主演男優賞を受賞した。もともとが小品と呼ばれるコント出身のコメディアンなのだが、こうしたシリアスな作品で見せる確実な演技力は只者ではない。息子役もいい。ちょっと頭の足りない、口下手だが、熱い心を持つ少年を実に自然に演じて、見ていて切ない気持ちになる名演技だった。
映画全体で特に心に残ったのは、その父と子の2人の食事シーンだ。不良と大喧嘩した息子を派出所から引き取って来た父親が、ザッザッと麺をゆでて作る炸醤麺。夕食も食べずに駐車場の夜勤に出かけた父親にホーローのお椀に饅頭を届ける息子。夜勤から帰ってくる父親のために準備する朝食は焼餅だ。息子は白湯を注いだコップの上にそっと焼餅を載せて、温めておく。さりげない質素な食事のシーンに言葉では意思の疎通が上手く出来ない父と息子の情愛が感じられて、つい涙ぐんでしまった。
水野衛子 (みずのえいこ)
中国映画字幕翻訳業。1958年東京生まれ。慶応義塾大学文学部文学科中国文学専攻卒。字幕翻訳以外に『中国大女優恋の自白録』(文藝春秋社刊)、『中華電影的中国語』『中華電影的北京語』(いずれもキネマ旬報社刊)などの翻訳・著書がある。
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