同じ大学に通う、中国人の友人宅へ春節(旧正月)時にお邪魔させてもらった。この時、しみじみと日中関係について考えた。
彼女の実家は安徽省淮北市にある。到着したのは春節2日前の2月16日。バスターミナルまで彼女が迎えに来てくれ、早速、実家へ向かった。中国の一般家庭での滞在は初めてで、私はうきうきしていた。
すると彼女が「真里さん、少々気分を害するかもしれない話をしていいですか」と話しかけてきた。一体何なのだろう。「どうぞ話して」と促すと、彼女は、日中戦争の際にここも戦場となり、多くの犠牲者が出たこと、今も日本を快く思っていない人が大勢いることなどを説明してくれた。改めて具体的に「嫌日」の事実に触れると悲しい、切ない気持ちになった。
そんな状態で彼女の家に到着したわけだが、彼女の家族は熱烈に歓迎してくれ、家族の一員として接してくれた。春聯(赤い紙にめでたい文句を書いた対聯)を一緒に書いたり、餃子を作ったりと本当に楽しかった。そして近所の人たちも皆、暖かく接してくれた。
除夕(旧暦の大晦日)には父方の祖父母のお宅へ伺い、年夜飯(年越しのご馳走)を家族全員で囲んだ。新年には母方の祖父母のお宅へも伺い、これまた盛大なご馳走で歓待してもらった。家族を大切にし、客人を暖かく迎え入れる中国の良き伝統を体感し、深く感謝するとともに、非常に興味深い日々だった。いずれでも、祖父母が私に一生懸命話しかけてくれたことが思い出深い。戦時、大変な経験をしたが、今はわだかまりはないと言われたときは単純に嬉しかった。
しかし、友人の家族や近所の人との会話の際に、戦争関連の話が話題となることが多く、相手が60年前の戦争をまるでつい最近の出来事のように語り、日本を責めるのには率直に言って違和感があった。
私にとって戦争は「過去(歴史)」なのだが、相手にとって戦争は「現在」に密接につながっているようだった。戦争を巡る認識の差の大きさに驚いた。これは歴史の捉え方のギャップなのか、「被害者」と「加害者」の意識の違いなのか、私にはまだよくわからない。ともあれ、こうした認識の差があることが理解されておらず、そのため日中関係がぎくしゃくしたものになりやすいのではないかと思った。
また残念なことだが、相手に対する誤解は互いに感じられる。これはやはりメディアの責任が大きいと思う。ニュースというのは往々にして悪いこと、特殊なことが取り上げられるものだが、日中関係については特にこの傾向があると思う。帰国後、中国報道に携わる際に、肝に銘じておこうと改めて思った。
ここまでの文章で、読者の皆様に悪い印象を与えてしまったかもしれない。しかし、以上のようなことを考えられるほど、友人の家族や故郷の人々と私は率直に会話したということである。互いにたくさん質問し、また真剣にそれぞれの考えや、国の状況を説明しあった。非常に貴重な経験だった。
日中関係はどれほど複雑な背景があろうと切っても切れない関係である。ならば、いかに互いの利益となるように付き合えるかを考えるべきだと思う。私は今回、記者という立場を離れ、中国を素直に知る機会に恵まれた。この貴重な機会を享受するとともに、帰国後は記者として、偏りのない視線で中国の姿を伝えたいと思っている。
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