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MEDiA MANBUの安永博信総経理。上海在住11年目になる |
上海市内のホテルやレストラン、レジャー施設など、日本人が多く利用する場所には、さまざまな日本語フリーペーパーが置かれている。こういったフリーペーパーは、飲食やレジャーなどの生活情報から不動産や人材などのビジネス情報まで、上海に関するさまざまな情報を提供し、ここで暮らす日本人の生活を豊かにしている。
上海には今、月刊誌・週刊紙あわせて7つの日本語フリーペーパーがある(2007年4月現在)。関係者によると、03年の夏ごろから急速に増え始めたという。上海に進出する日系企業や上海にやってくる人が増加したためだろう。
しかし、どんなに上海在住の日本人が増えているとはいっても、限られた情報をめぐってフリーペーパーの競争は熾烈だ。経営が上手くいかず、廃刊を余儀なくされた媒体も少なくない。その点、現在刊行されている各誌は、それぞれのオリジナリティーを追求し、魅力あふれるコンテンツを作ろうと日夜努力を続けている。
◇『Whenever上海』 『Whenever CHINA』 〈誌面を飛び出し、いろいろな形で「楽しさ」を伝える〉 |
創刊7周年を迎える生活情報月刊誌『Whenever上海』は、上海のフリーペーパーの草分け的存在だ。編集者7人はすべて女性。そのためか、ホテルやレストランなど、ともするとありきたりになりがちな情報も、丁寧にきめ細かく紹介されている。
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MEDiA MANBUが上海で発行している刊行物 |
編集長の大河原敦子さんは、「上海がどんなに日本人にとって住みやすい都市であっても、やはり慣れない異国での生活は心身ともに疲れるものです。そこで私たちは、上海でどうやって楽しく暮らしていくかということを提案しています。上海の変化はとても速い。それをどうキャッチして、どこよりも早く、面白く、読者に伝えるかを常に考えています」と語る。
近年、ライバル誌がぞくぞくと登場してきたが、逆に市場を広げてくれたというプラス面もあると指摘する。また、それによって各誌の個性も顕著になってきたという。
「『Whenever上海』は他誌にくらべ、エンタメ情報が多い。読者に上海での生活を楽しんでもらうことに重点を置いているのです。今後はさらに新しいカテゴリーを増やし、Wheneverらしさを追求していきたい。雑誌で一番難しいのはオリジナルを創ることです。多様な媒体が出てきている今、オリジナルをどう創るか、雑誌の基礎体力を磨くことが大切なのです」
『Whenever上海』の姉妹誌である『Whenever CHINA』は、ビジネス情報に特化している。上海のみならず、中国全土で配布。
「他誌もビジネス版を出したり、ビジネス顧客にシフトしてきたりと、競争は熾烈になっています。また、私たちの主なクライアントである日系企業が、中国メディアに目を向けるようになっているので、現状はより厳しい」と語るのは編集長の近藤修一さん。綴じ込みに中国語の記事を掲載して中国人を意識したクライアントを惹きつけるなど、さまざまな戦略を練っている。
「中国のビジネス情報は、日本のメディアでも広く報道されている。そこで、その二番煎じにならないように、これからはもっと中国人や中国企業を取り上げていきたい。さらには、韓国系企業など中国で発展する日本以外の外資系企業の動向にも注目していくことが今後の課題です」
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表紙が目を引く『上海ジャピオン』。北京版も4月に創刊された |
上記二誌を発行しているのは、漫歩創媒広告有限公司 (MEDiA MANBU)。同社は二誌のほかに、日本語雑誌は北京版、蘇州・無錫版、大連版、杭州版、そして中国語のクーポン誌や英語雑誌など中国全土で刊行物を発行し、情報サイトの運営やイベント企画なども手掛ける総合的なメディアグループだ。
総経理の安永博信さんは、「私たちが目指しているのは『行動性のある雑誌』です。誌面を飛び出して、いろいろな形で『楽しさ』を伝えていきたいと考えています」と語る。日中国交正常化35周年を迎えた今年は、上海の日本国総領事館や商工クラブなどと協力して、大きなイベントを企画しているという。
「私たちの基本姿勢は、発展する中国のよい面を知ってもらうことです。これから中国は、オリンピックや万博など大きなイベントが相次ぎ、それを外国にピーアールする機会が増えます。私たちは雑誌やイベントなど各種媒体を通じて、そのお手伝いすることができる。最終的には、民間の交流や触れ合いの場を提供していきたい」
◇『上海ジャピオン』 〈手にとりやすく、気軽に読める新聞を目指す〉 |
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3月に編集長に就任したばかりの末永龍介編集長 |
2004年5月に創刊された週刊紙『上海ジャピオン』。週刊であることを強みとし、毎週金曜日、タイムリーな情報を提供している。「雑誌」ではなく「新聞」であるため、多くの部数を刷れるのも大きな強みだ。
編集長の末永龍介さんは、「上海市内や周辺地域のレストランや日系スーパーなど、約600カ所に配布しています。まんべんなく配布しているので、日本人の目に留まる機会が多いのではないでしょうか。また、新聞サイズのため、持ち運びにも便利です」と説明する。
月刊誌は比較的大きなクライアントが多いのに比べ、『上海ジャピオン』はローカル色が強い、小さなクライアントをたくさん集めている。そういった意味でも、棲み分けはできているようだ。
内容は、お宅訪問やクラシファイドなどコミュニティー性が強いものと、芸能・スポーツ情報やグルメガイドなど娯楽性が強いものの二本柱で構成。「5分で読める新聞を目指し、読みやすいもの、軽い内容を心掛けています。読者の方からは、堅苦しい記事がないからいいと喜ばれています」
紙面を開くと、日本の芸能やスポーツ記事の豊富さに目を奪われる。海外で暮らしている日本人にとって、日本の情報はノドから手が出るほど欲しいものだ。そんなニーズをしっかりと把握している。
読者視点の記事も多い。「海外での暮らしは、口コミ、人と人との情報交換が非常に大切です。『上海ジャピオン』がその橋渡し役になれればいいと考えています。私たちは、こちらから一方的に伝えるだけでなく、口コミ情報を拾いあげることにも力を入れています。この地に住んでいる一人ひとりが、記者なのです」
また、年に2回、読者を招いての座談会も開催。こういった読者に密着したスタイルも、人気を博している理由のひとつだろう。
紙面づくりで一番頭を悩ませるのは、ターゲットがしぼれないことだという。読者の共通点は上海に住んでいる(もしくは出張・旅行で訪れた)ということのみ。年齢、性別、経歴、興味対象がさまざまな読者に対して、みなが魅力的に感じる情報を発信しなければならない。
その一方で、ターゲットが広いということは、限りない可能性も秘めている。
「上海の日本人は意外と、駐在員は駐在員同士、留学生は留学生同士と、なかなか交流範囲を広げられずにいる。そこで、『上海ジャピオン』を通して、その垣根を取り払うことができたらと思います。それを日本人だけにとどまらず、現地の中国人や外国人とのつながりにも広げていきたい。『上海』というただ一点の共通項によって、たくさんの人・情報を結びつけること。それが私たちの目標です」
上海で輝く日本人
「公益活動を今後も続けていきたい」 |
上海日本商工クラブ事務局長 曽我部裕行さん |
2004年3月、上海市政府から「民営非企業単位」として公認された上海日本商工クラブ。公認にともない事務局長が公募され、海外経験の豊富な曽我部裕行さんが、28人の候補者のなかから選ばれた。上海と日本をつなぐ仕事に奔走し、多忙な毎日を送る曽我部さんに、上海に対する思い、現在の活動について聞いた。
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【プロフィール】1949年、高知県に生まれる。成蹊大学を卒業後、三菱グループ明和産業に入社。朝鮮や中国への赴任を経験し、87年退職。2000年上海へ。04年、上海日本商工クラブの事務局に就任。 |
ぼくが初めて上海を訪れたのは1982年ぐらいの頃。まだガーデンホテル(花園飯店)もなかった。虹橋空港までの道路も舗装されておらず、雨が降ると泥道になって渋滞がひどかった。
1987年に明和産業を退社してからは、いろいろな会社を転々として、面白いビジネスをたくさん経験しました。トンガ王国で中古自動車の輸出に携わったこともあります。
そして2000年、次はアメリカへ行くか上海へ行くかで迷った。ぼくは高知県出身で、曽我部という姓から、自分の先祖は始皇帝ではないかという思いが強く(土佐の長曽我部氏は秦氏の後裔を称していた。秦氏は、始皇帝の子孫が日本に渡ったのが始まりという言い伝えがある古代の渡来氏族)、中国には特別な感情を持っていたから、上海を選びました。
上海の魅力は、その発展の速さです。日本よりも四倍は速い。みんなお金がなくても胸を張り、一攫千金を夢見て、ギラギラしている。そんな、ほとばしるエネルギーを感じます。
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安徽省の小学校を訪ねたときの様子。子どもたちに囲まれる曽我部裕行さん(上海日本商工クラブ提供) |
上海に進出している日系企業は、現地で合わせて50万人ほどの中国人従業員を雇っています。そこでぼくたちは、公益事業を通じて中国社会に貢献したいと考えた。
上海には安徽省からやってきた出稼ぎ労働者が多い。このため、上海日本商工クラブ事務局では、2005年から安徽省の貧困家庭の子どもたちへの教育支援を始めました。子どもたちの1年間の学費は1人あたり300元。その援助を呼びかけています。2005年は15人を援助し、子どもたちからは感謝の手紙が届きました。
2006年はさらに多くの子どもたちを援助するとともに、彼らの学校を訪問。顔が見える交流を実現したのです。学校訪問では、上海とのあまりの違いに、駐在員の方たちはショックを受けたようです。
上海の日本人はみなこの活動を応援してくれている。日本人ばかりでなく中国人からも反響があり、続々と援助が集まっています。今年は、135人を援助することが決まっています。 今後の展望 事務局長に就任してから、ほとんど休む暇もなく奔走してきた。この3年間に業務範囲はどんどん広がり、事務職員の数も3人から8人に増えました。ぼくはもうそろそろ、この職を他の人に譲ろうと思っている。この仕事を離れても、上海には残るつもりで、公益活動の延長で何か、これまでできなかったことをしていきたいと考えています。
最近は時間がなくてあまり行っていませんが、上海で一番好きな場所は文廟(孔子廟)の周辺。昔の上海が残っています。文廟の近くには子どもたちがたくさんいて、駄菓子屋なんかもある。仕事が一段落したら、ぜひゆっくりと散策したいものですね。
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