やんちゃ坊主から金メダリストへ
劉翔選手
優しい母と「飛人」劉翔(右)(新華社提供)

 2004年アテネ・オリンピックの110メートルハードルの決勝で、劉翔は12秒91の成績で金メダルをつかみ、「陸上の短距離種目で黄色人種も金メダリストに」という望みを実現した。

 劉翔は1983年、上海のごく普通の家庭に生まれた。幼いころ、父は躾にとても厳しかった。劉翔はいたずらをすると、父に知られるのをもっとも恐れた。しかし母にとってはいつでも、世界一の息子だった。普段、友達とのおしゃべりでも、彼女はたびたび口にした。「ほら見て、うちの息子はすごくハンサムでしょう。小さいころから本当にハンサムだったのよ」。劉翔が小学生のころ、学校が終わる時間になると彼女は窓のところに立って待ち、息子の姿が視界に入ったとたんすぐに台所で料理を始めたものだった。一年中競技であちこちに遠征している劉翔は、今ではめったに家には帰ってこない。彼女は劉翔の広告がプリントされたコカコーラを部屋に置き、ちらちらとまなざしを注いでいる。

 劉翔は幼いころからすばしっこい子供だった。両親につれられてよその家にいくと、こっちのソファからあっちのソファへと飛び回り、ちょっと目を離すとタンスの上にあがってしまったりしたので、多動症ではと両親が心配したほどだった。彼が幼いころからずば抜けた天賦の運動神経を持ち合わせていたことを示すエピソードである。

 劉翔のスポーツとの縁は、小学校4年生のときに地元の少年体育学校で高飛びと短距離走を学んだことに始まる。95年より上海体育運動技術学院に所属。ここでハードルを学び、全国青少年競技会、ユニバーシアード、オリンピックと走り続け、絶えず自己ベストを更新し、世界チャンピオンとして表彰台に上りつめた。

 中国のスポーツファンにとって、劉翔は新世代のスポーツ選手を代表する存在である。ずば抜けた成績のみならず、常に見せる自信も、劉翔が人々に愛される理由である。常に奇跡を見せてきたこの青年が、2008年に開催される北京五輪でも、再び奇跡を生み出してくれる瞬間を誰もが期待している。 (表紙写真・羅更前 )

 

 

 
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