メディアフォーカス MEDIA FOCUS
『新世紀週刊』
中国式カーニバル

 2007年5月1日から4日にかけて、「迷笛音楽節(MIDI音楽フェスティバル)」のお祭り騒ぎに参加するため、8万人近い人々がどっと北京海淀公園に流れ込んだ。仮装行列、思う存分大声で歌う歌や躍動感のあるメロディの中、若者たちは思い切り個性を表現し、中年の人々は青春のバイタリティーを取り戻し、年寄りたちは時代の移り変わりを体験する。

 「迷笛音楽節」のプロデューサー・張帆氏は言う。「このイベントは中国人の骨の髄まで浸透したカーニバル好きの遺伝子を体現している」。1997年の香港復帰に続く澳門復帰、中国サッカーの日韓共催ワールドカップ進出、北京オリンピック開催決定などに際し、中国の民衆は自発的にさまざまな慶祝活動を行い、大型の娯楽イベントといえば政府によって組織されるものだったという慣例を変えていった。政府側も寛容な態度を示し、合法的である限り、大衆が心ゆくまでお祭り騒ぎを楽しむことを許した。

 こうした盛り上がりは、市民意識の芽生えであると考える社会学者もいる。自分の個性を表現したい、共感できるものを探したい、社会においてなんらかの役割を果たしたいという人が増えている。競争と挑戦ばかりの生活の中、お祭り騒ぎは人々にとって感情のはけ口となり、プレッシャーから解き放たれるために必要である、とある心理学者は言う。またメーカーもこのチャンスを嬉々として利用し、商業的価値を作り出そうとする。このため、ビール祭り、グルメフェスティバル、ファッションショー、観光フェスティバルなどが中国各地で催されている。


『南風窓』
岐路に立つ「特区」深セン

 深セン市は中国の改革開放政策における成功のモデルであり、すでに30年近くハイスピードで発展を続けてきたが、最近では歩幅を緩め、上海、天津、広州などの都市から挑戦されている。

 深センの発展のスピードダウンの原因となったのは、まず数多くの都市がそれぞれの特徴をいかしてフレキシブルに発展し、「改革試験区」であった深センの、優先的に発展してきた優位性がなくなったことである。続いて、「東北振興」「西部大開発」などの戦略のもとに、国の優遇政策が内陸部に傾き、経済特区としての深センの優越感は次第に薄れていった。そのうえ、都市の中産階層がベンチャービジネスの成果を享受しはじめたことで、進取の精神も減退していった。

 投資者たちの目が他へ向き、ベンチャーエリートたちが流出しはじめたとき、深センの将来はいったいどうなるのか。深センも他の都市と同じように、「特権」に依存しすぎず、健全なベンチャービジネスとサービス施設で沿海地区の交通の便の良さを活用し、他よりも際立つ投資環境をつくり出すべきであると主張する人もいる。また、深センはさらに一歩、医療、教育、安全など都市としての社会保障システムの整備を進め、深セン市民や地方から働きに来ている人々が平等に福祉や待遇を享受することができるようにして、人材を引きつけ、引き止める必要があるという意見もある。しかし、深センの未来を本当に左右するのは、やはり当初この街を育んだ開拓精神であるはずだと、多くの人は信じている。


『三聯生活週刊』

デジタルマガジンの時代へ

 2007年4月、中国の人気女優である徐静蕾が、インターネット上でデジタルマガジン『開タイ(カイラ)』を創刊した。パソコンの画面で雑誌を開くと、中には映像やスライド、アニメーションやBGMまであり、読者に新鮮な感動を与える。このニューウェーブ雑誌はたちまち人々の注目を集め、第2号までの発行で、ダウンロード数が200万にも及んだ。

 実のところ、中国ではすでに10年前にデジタルマガジンは登場していたが、従来の雑誌のデジタル版にすぎず、初期段階に留まっていた。

 この2年ほど、ネット技術の発展に伴い、欧米諸国を手本に『カイラ』のようなスタイルの、インディペンデントで制作する元気のいいデジタルマガジンに、発展の契機が訪れた。

 デジタルマガジンは従来の雑誌と比べ、制作手段の簡単さ、コストの低さ、豊富な内容、スタイルの多様さ、幅広い範囲におよぶ発行などの利点を持っている。現在、中国のデジタルマガジン業界はすでに1億ドル近い投資を獲得している。

 デジタルマガジンの勃興に対し、中国期刊(雑誌)協会の張伯海会長は、「ものめずらしさはいつでも一時のブームを引き起こすものだが、最終的に残るのは結局、プロフェッショナルでハイクオリティーなものである」と考えている。

 従来の雑誌もさらに開発努力を重ねれば、雑誌の未来は、紙とネットでウィン・ウィンの段階に進むことができるのである。

 

 
本社:中国北京西城区車公荘大街3号
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