人間の深層心理を水墨で描く女流画家 斉鵬

張春侠=文・写真

斉鵬のプロフィール
中国美術家協会会員。主な著作は『斉鵬画集』『斉鵬の絵画芸術』『当代文化と感性革命』『北京符号を語る』『当代人格符号』など

 千年以上の歴史を有する水墨画は、山水や花鳥風月を描くものが多い。しかしいま中国で、一人の女流画家が、人間の深層心理や現代社会の世相を水墨で描き、注目を集めている。斉鵬――貧しい農村に生まれ、苦労して大学院に入り、哲学や心理学を学んだ彼女は、これまでの中国の水墨画になかった人間精神を描く新しい画風を切り拓いた。(文中敬称略)

ベランダの画家から哲学博士に

 北京の普通の庶民が住む住宅で、斉鵬に会った。彼女は眼鏡をかけ、小さな花模様のワンピースを着て、年は実際の年齢よりずっと若く見えた。

 「本当に恥ずかしいわ、部屋が散らかっていて」と彼女は言いながら、テーブルの上を片付けた。20平米足らずの書斎兼アトリエには、画家にとって必要な道具と作品のほかに、壁一面が書棚になっていて、フロイトやユングなどの心理学者の本が置いてある。「絵が描きやすいようにと、夫が書斎を私に譲ってくれたの。彼はベランダで読書するほかはないのよ」と斉鵬は、ちょっと後ろめたそうな顔をした。

『大運』

 斉鵬は全国でも有名な貧しい山間部である河南省平山県に生まれた。高校卒業後、16歳の彼女は、県の文化館が主催する絵画クラスに参加した。先生の指導の下、斉鵬は絵画の基本的技法を学んだ。そして次第に彼女は絵が好きになり、もうやめられなくなった。

 彼女は山で写生するのがすごく好きになった。ある日、山から帰ろうと思った時には、すっかり暗くなってしまい、山を下りることができなくなった。「最初はとても怖く、野獣や悪人に出会うのではないかと心配しました。けれど後には、山の神が自分を守ってくれていると感じ、山の中で眠り、一晩を過ごしたのです。いま思うと、身震いがしますが……」と彼女は言った。

 その後、斉鵬は、成績が優秀だったので、河北省の美術創作組のメンバーに選ばれた。21歳から彼女は、『山郷明珠』『月上東山』などの作品を制作し、河北省の絵画コンクールで入賞した。

 1984年から1987年まで、斉鵬は中央美術学院の中国画学部で山水画を学んだ。賈又福ら名のある先生に教えられ、彼女の絵の腕前は大いに向上した。1992年、彼女の作品『色彩・旋律・楽章』は、カナダの「楓葉杯国際水墨画コンクール」で優秀作品賞に選ばれた。

『鵲山』

 1993年、斉鵬は中国美術館と中国革命歴史博物館(現在の国家博物館)で個展を相次いで開催し、広く好評を博した。

 彼女は今でもそのときのことを覚えているが、あるカナダの評論家が彼女の個展を見た後、どうしても彼女のアトリエを見たいと言ってきたことがある。「当時は、私にはアトリエなんかありませんでした。一家三代が、一部屋にいっしょに住んでいて、夫は私のために六平米もない小さなベランダを片付けてくれました。それが私のアトリエでした。けれどもこの静かな小空間を得ただけでも、私は贅沢に感じました」。評論家はこれを見て「貴女の長い絵巻物はどうやって広げるのですか。どこで絵を描くの?」といぶかしげに尋ねた。「廊下のコンクリートの床に腹ばいになって描いています」と斉鵬は答えた。その答えに評論家は驚くばかりだった。

 1994年、斉鵬は米国・ニューヨークの現代アートセンターで個展を開き、「東方芸術創新賞」を獲得した。

『帝クウ』

 しかし、名声が日に日に高まってきたころ、斉鵬は突然、画壇から姿を消した。1995年から彼女は突然、大学に入り、学術研究に没頭した。1999年、斉鵬は中国人民大学の哲学学部に合格し、芸術哲学の博士課程を専攻した。さらに卒業後は、また社会学のポスト・ドクターのステーション(博士号を取ったあと、給料をもらいながら1、2年間研究を続けられる組織)に籍を置いて、社会心理学を研究した。

 斉鵬は、「寂寞」という二文字で彼女の学術生活を形容する。「もし、当時の流れのままに絵を描いていたら、私は現在、たぶんお金持ちになっていたでしょう。けれども、深いレベルのものを考えることは難しく、また『自由に創造する』心の空間も持たなかったでしょう。寂寞の時があってはじめてさらに多くの思考ができるのです。『詩がうまくなろうと思えば、詩以外のことをやらなければならない』と古人も言っていますが、絵を描くのも同じだと、私は思っています」と斉鵬は言うのである。

絵筆で現代人の本質を描く

『神人』

 博士課程を専攻していた時も、ポスト・ドクターとなった後も、斉鵬は人間性や人格、北京の「符号」(北京らしさ)、中国人の精神などについて研究を続けた。そして中国人民大学の「優秀博士論文賞」と「全国論文金賞」を受けた。芸術家であり、かつ学者でもあるという二重の身分になったことによって、彼女は、グローバルな視野の中での中国画の位置に関心を持ち始め、現代の中国人の心理や生存状態、中国の社会問題に関心を持つようになった。さらに進んで、水墨画で人物の心の世界を表現することを探求した。

 多くの社会調査と実例の分析を経て、斉鵬は、心の問題がすでに現代の重大な社会問題になっており、人々の心の変化はみな、人の精神状態に集中して表現されることを発見した。

 斉鵬はもう一度、絵筆を執った。絵を描かなくなってから11年が経っていた。2005年末、斉鵬は周韶華の個展を参観したが、盛唐の文化の精神を表現した絵に強く心を揺さぶられた。彼女は突然、これこそ自分がずっと探し、追い求めてきた表現方法ではないか、と気づいた。

 ちょうどうまい具合に、斉鵬は故郷からの招待状を受け取った。それは彼女の作品を展覧したいというものであった。しかし、展覧会までわずか半月しか時間がなかった。斉鵬は試してみようと、絵筆を執った。モデルも手本もなかった。そして『冷漠者』(冷ややかなる者)『焦慮者』『妄想者』『深思者』など、生き生きとした人物が一つ一つ、紙の上に躍り出てきた。

『理性者』(理性的な者)の二

 斉鵬は驚き、不思議に感じた。以前、彼女は、絵を描くのは大変骨が折れることで、何を描けば意義があるのかをいつも考えていた。しかし今は、考え方が逆になった。ただ考えがありさえすれば、それが絵筆の下から絵になる。「これはおそらく、10年の蓄積の結果でしょう」と彼女は言う。

 このように斉鵬は、西洋の「構造主義」を水墨画の中に取り入れ、明暗、光と影、線などの「水墨画の言語」によって、現代中国人の顔の表情や性格の特徴、人格のイメージを121の類型に分け、現代中国人の人格を「符号化」し、そこからモダンとポストモダンの社会の中の多種多様な人々の姿を描き出した。

 『焦慮者』は、顔の線が麻のように乱れ、入り混じって、あたかも細胞という細胞がすべて焦慮しているかのようであり、顔面の皮膚や肉も緊張して捻じ曲がっている。『憂郁者』(憂鬱なる者)は曲がりくねり、乱れた頭髪によって、女性らしい優しい美しさを表現している。彼女の目は左前方をじっと見つめ、その目に涙はない。しかし今しがたまで泣いていたことを彷彿させる。

 宋の時代以来、中国画が到達した最高のものは、山水画である。しかし、人間の情感や人間性、複雑な心にまで達した作品はきわめて少ない。斉鵬の「人格符号」はまさに、この空白を埋めたと言うことができる。

新しい山水画を創造する

『焦慮者』の二

 社会の現実に関心を持つと同時に、斉鵬は一連の『中国古村落』をテーマとしたシリーズの新しい山水画を創作した。

 1980年代の初めから90年代の末までに、斉鵬は太行山、黄山、泰山、華山、天柱山などの名山を踏破し、安徽省の民居、山西省の大院(大邸宅)、福建省の土楼(円筒形の住居)、陝西省の窰洞(洞穴式住宅)などの特色ある民居を視察し、大量のスケッチと山水画を描いた。「当時、私は、山水画はただ美しくさえあればよいと思っていた」と彼女は言う。

 『中国古村落』シリーズの中で、斉鵬がさらに重きを置いたのは、山水の背後にあるものであった。これらの作品の名はいずれも、中国の古典である『山海経』に出てくる名山や峡谷、河川から来ている。たとえば『鵲山』『軒轅』『神人』『大運』『帝犢』などである。これによって作品はさらに豊かな内容と、さらに多くの想像の空間を与えられた。

 中国の古い村落は、人と自然が調和し、共存していることを集中的に表現している。しかし、工業文明の時代になってから、人類の日増しに膨張する欲望が、こうした文化をたえず蚕食してきた。

『嫌悪者』(悪を憎む者)の一

 ポスト・ドクターとしての2年間に、斉鵬は北京の四合院や50に及ぶ古村落、民居の歴史的発展やその構造形式、現実的な意義を系統的に研究した。斉鵬はこう考えている。ある地方の風土が、その地方の人間を養っている。人間の生活や家屋、言語、風土、人情はみな自然と密接な関係があると。

 こうした考えは、『中国古村落』シリーズの中で、鮮明に表されている。たとえば『鵲山』の中では、画面の主体は黄山であり、山の前には典型的な安徽省の民居が描かれている。しかし現実には、こうした情景はありえない。だが斉鵬は現実と想像とをたくみに結びつけることによって、自然の美を表現するとともに、こうした文化遺産の現状や意義、さらに人間の自然に対する崇拝を表現したのである。

 斉鵬は言う。「もっと正確に言えば、この作品たちは、私の心の中の山水なのです。私はこれらを通じて、自然に対する、また人類の文明に対する、人々の関心と保護をさらに一歩進めて喚起したいと思っています」

 2006年から、斉鵬の『人格符号』と『中国古村落』のシリーズは、北京、上海、広東などで相次いで展示された。日本、米国、ドイツなどを巡回して展覧会を開く準備も進んでいる。

 斉鵬の目には、中国が現在抱えている社会問題はみな、かつて日本が経験してきたものだ、と映る。「私は絵の展示を通じて、日本の水墨画の技法を鑑みとして学習し、さらに中日両国の文化交流を推し進めたい」と彼女は言っている。


 
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