『苦肉計(苦肉の策)』は、古典小説『三国演義』の第46回からの出典である。曹操が80万の大軍を率いて南下し、呉を攻めた。多勢に無勢の不利な形勢において、東呉の都督・周瑜は曹操の軍を破るために火攻めを用いることにした。しかし寝返るふりを装って曹操の陣営に赴く者はなく、周瑜が本陣で途方にくれていると、老将黄蓋がやってきて、自分がその役をかってでた。大喜びの周瑜は、ひそかに苦肉の策を定めた。
翌日、周瑜が会議を招集し、敵に備えて各将を配置した。このとき黄蓋が立ち上がり、悲観的な論調で、武装を解除して曹操に投降することを主張した。周瑜は「士気をそぐものである」として黄蓋を叱責し、側近に彼を斬首するよう言いつけた。武将たちが必死で頼み込み、なんとか50回杖で尻を叩くという罰に改められたが、黄蓋は皮が破れ肉が裂けるほどの重傷を負った。この年画では、周瑜が激怒し、魯粛はなだめているが、諸葛亮がまったく動じていない様子が描かれている。のちに、魯粛が諸葛亮にどうして止めに入らなかったのかと恨みごとを言うと、諸葛亮は笑いながら言った。「一方が叩きたがり、一方が叩かれたがり、『苦肉計』を進めているというのに、なぜ私が止めなくてはならないのか」
『苦肉計』で部下の武将たちを欺き、生来疑い深い曹操をも欺くことができた。曹操の陣営にまんまともぐりこんだ黄蓋に、策略をめぐらせて本陣も呼応し、火攻めを順調に実行に移し、曹操の軍を打ち破った。赤壁の戦いの大火による、魏、蜀、呉の三国鼎立は、『苦肉計』の功なしにはありえないものであった。のちに『苦肉計』は京劇で精彩を放つ一幕として、広く人々に好まれるものとなった。
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